マネジメントとは、心も含まれる。
うーん、たまたまイイねをくれた方の記事を読んだんですが…。
これは、私自身も良くわかるというか想像がつくので辛いだろうな…と思ったりします。
私の履歴上、大学での勤務経験もあるのでいわゆる大学組織がどんなものか?は当たらずとも遠からずだと思う。その上で自分が心がけていたことをつぶやいておきます。
まず、今の世で答えが明確に一つに絞れない状況において
全ての人を満足・納得させることはできない
という結論を理解し、割り切った方が良いと思う。
これは何も、相手に納得させることをあきらめろ、という事ではありません。むしろ
相手のとらえ方まで、こちらがコントロールしようというのはある意味傲慢
であることを気づいた方が良いのです。
これは、私自身が失敗した実例がある。自分としては、丁寧に相手に論理だてて納得してもらおうと頑張った。が、
慇懃無礼だ
の一言で終わり。相手がどんな性格で、どのような価値観であるか。どこが地雷で、どこがツボか。そんなことまでひとりひとり、全て対応はできないのです。また、する必要もありません。
無理をしてしまうのは、日本人に特にありがちな傾向として
皆に嫌われたくない
という心理が働きがちだから。私は、こうしたことは外していました。リーダーとしてやっていると、100%不可能なことだからです。
たとえリーダーでなくても、相手からすれば自分たちの学校生活を握る人物としか見えない。自分の方は、というといち職員に過ぎないのに…と言った気持ちになるでしょう。が、こうした双方の意識の違いが、行き違いを生み、両方が疲弊してしまう。どちらにとっても、何にもならない訳です。
であるならば、感情をこめすぎることは誰のためにもなりません。適度に事務的でとどめることは、自分が疲弊しすぎないためにも必要なこと。自分のキャパシティを逆算して、やれること、やれないことを事前に分ける。その上で、やれることをきっちりやる。それで、いいのだから。
私が見ていても、こうしたことは心根の優しい人、いわゆる
いい人
程不器用で、下手だな…と思う傾向にある。こうした人たちは、真っ先に疲弊します。それだけならともかく、こうした人たちが疲弊して、倒れたらどうなるか。一気に質が悪くなって崩壊する。崩壊はしなくても、全体としての質は停滞したまま。そこそこで落ち着き、良くはならないでしょう。
こういう組織については、残念ながら数多く私は見てきています。内部にいる人たちは、人としては温和で、優しく、普通と言える人たちが決して少なくなかった。だが全体を見た時、その在り方は良いといえたのか。私独自の見解を申し上げると、
それじゃ何もならないよね
というもの。それが、色々な振る舞いや感情の使い方が間違っていることによるものなのです。
だからこそ、実は心のマネジメントを改善するだけでもかなり良くなるはずだ、という要素はあの場所にはあった、と言えましょう。実際、私は学生バイトの子を率いた際、その状況や彼ら彼女らの考え方に合ったやり方を工夫してみた。すると、彼ら彼女らの柔軟性という若さも手伝って、私も楽しくやれた。
仕事の内容を劇的に変える要素のない、図書館業務というモノであってもやろうと思えばできる。変えることが許される環境こそ大事だな、そこにいる人たちの考え方や姿勢に、そうしたものがあればなおさらうまくいくのだな、と。結局、考え方という無形の部分が重要になって来るのです。
日本的組織ですと、変えることに対する拒否反応や保守感情というのはかなり強固でしたので…私は
無理だねぇ(笑)
と思ってはいます。が、やり方を変えずとも考え方という心の部分は、各個人で変えることができるし、した方が良い。それは単純に
自分のため
であり、ここが重要ですが
自分のためが、みんなのためにつながることがあるんだよ
という事実。そこに、目を向けて変えてみた方が良い。心のマネジメントとは、そういう要素もあるのですから。
いぢょー。