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【自家製サッカー概論】34 スペースを目指す選手と、そこに出るパス

 パスについて――。以前に、「パスは受け手だ」と、大木武監督の受け売りを、さも自分が発見したかの様に大上段(のつもり)で、書いた。
 
 「パスは受け手だ」。この言葉は今でも大切にしており、パスを考える時に大事なポイントだと心に刻んでいる。
 
 例えば、カタールワールドカップでのコスタリカ戦。
 ボールを保持する日本と5バックで守ったコスタリカ。点が欲しい日本は、前線に選手が並ぶことなった。
 
 5バックを相手に、前線の選手が前に張っていても狙われやすくなる。
 だから、中盤に落ちて、ボールを引出す役が必要になる。
 
 こちらが以前に書いた、「ゴールに向かう選手」から「組み立てる選手」への役割の切り替えである。
 表現を変えるなら、「ボールを受ける」から、「ボールを引き出す」へのシフトチェンジだろう。
 
 その中で、鎌田大地選手は「ボールを引き出す」ことにトライしていた様に見えた。
 そこで、ボールを受けて、パスを配給し、相手を揺さぶりたかったのだろう。
 
 あの試合を思い出しても、日本代表は攻めあぐねていた様に見えたが、決して攻め手がなかったという訳ではなかったと思う。
 
  話を戻そう。
 
 「パス」とは、「出し手」と「受け手」によるプレーである。
 そして、「受け手」の動きが、「パスの大きな決め手」となる、ということである。
 (「出し手」も大事なので、大きな決め手、としておきます…)
 
 ……と、受け手の重要性を力説した後で、本題へ入ろう。
 
 最近、海外サッカーのハイライトなんかを色々と見ていて、興味深い動きがよく目につく様になった。
 
 Aが走りだし、Bがパスを出す。その時、Bのパスの受け手は、AではなくCである。
 そしてCがスペースへ走るAへと送る。そんなパスである。
 
 見た目的には、いわゆる「3人目」の動きで、BとCのパス交換の間に、Aが走り、そこにパスを出すというものだ。
 だが、明らかにBとCは、Aの走り出しを意識している様で、デザインされたプレーにも見えた。
 
 これまでは、「Aの走り出しにBがスルーパスを送る」、そんなプレーにBのパスセンスを賞賛するケースが多かった様に思う。
 だが、先の「3人目の動き」に送るスルーパスの様に、単に出し手の功績ではなく、スルーパスが「チームの狙いのある産物」となってきている。
 随分と進化したものである。
 
 こうしたプレーはJリーグでは横浜Fマリノスなんかがよく見せていたと思う。
 
 練習次第で出来る様になるのだろう。
 「スペースへ走る選手へ直接送る」のではなく、「スペースへ走る選手へ、ワンクッション入れて、パスを送る」というプレーは今後増えてくるのではないか。
 
 ポイントにしたいのは、現段階は、練習し反復し成功させているだろうが、その内に、「誰かが長い距離を走り、仲間が即興で、その先にあるスペースへとボールを送る」様になるのではないか、ということだ。
 
 結局は、「スペースに走り込む選手」と、「そこにボールを送る選手」の関係ではある。
 
 だが、それが「2人で完結させる」のではなく、「3人」、ひょっとしたら「4人」とパスを重ねて成立させる様になるのでは…、ということだ。
 
 その時に、重要となるのは、パスを交換する選手以上に、「『どのスペースを狙っているか』を明示して走り込んでいる選手」の様な気がするのだ。
 
 1つのスペースを狙い、走り出す選手と、ボールを渡し合う選手による集団プレー。
 そんなスルーパスが今後増えてくるかも知れない。
 
 その時にも大切なのは「パスは受け手だ」ということだと思う。
 「ボールを出せ!」と走り込む選手。こういう選手が大事なのである。
 
 スペースがあり、足元で受けて仕掛けられる状況なら問題ない。

 問題は、攻撃が膠着状態に陥った時、前線に張り付くだけでなく、「パスを信じて走り込める選手」がどれだけいるか、ということである。
 
 サッカー観戦、サッカー分析をする時なんか、こうした視点も必要だと思う。

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