【第6回】強迫性障害への向き合い方 家族編|空虚自立立
さてさて。
前回まで自身の抱えていた強迫性障害をつらつらと語ってきたのですが。
この症状、私だけのものではないのです。
私は色々な人に迷惑をかけて、そして助けてもらいました。
いやあ恵まれていたなと思う次第でございますが。
私に対して周囲の人がとってくれた対応を紹介したいと思います。
必ずしもこれが正解というわけではないのでそこはご了承ください。
登場する人々はかなり受け入れてくれたので、もしあなたの周りに強迫性障害の人がいるからと真似をすると心が壊れてしまうかもしれないこともお忘れなきよう。
今回は家族編ということで、さて、始めましょうか。
生活空間の分離
まず家庭内でのルールをいくつかお話しします。
といったものの、ルールというより私からの押し付けでございます。
それでも自分なりにはかなり妥協しているつもりだったので恐ろしい話でございますよと。
当時父の単身赴任の影響で、一軒家に母と二人で住んでいた私は強迫性障害を発症して以降、母との生活空間を分離することに懸命になっていました。
というのも、当時の私にとって母も「汚いもの」の一つでした。
今となってはもちろん、本当に失礼で情けないことだと心の底から反省しております。ここでもこの表現を使うことは憚られたのですが、リアルをお伝えするためにそのままの言葉でお伝えします。
さて、そんな風に感じていた私は、まずお手洗いからお願いしました。
うちは2階建てでお手洗いが2つあったのですが、2階は私専用のもの、母は使わない、なんて失礼なルールがありました。
次に、私の部屋への立ち入りを制限しました。
まあそれは一般的な思春期男子のそれとあまり変わらなかった気もするんですが、ある程度の距離を置いていたのは確かです。
それと、これはルールとして定めたわけではないんですが、手を洗う場所を分けていました。
私は2階の洗面所でしか手を洗うことがありませんでしたね。
そうして私は、依存しながらも関わりを浅くしようとする、そんな空虚な自立を果たそうとしておりました。
さて、私が強制していたルールはそんな分け隔てだけではありませんでした。
手洗いルールの強制
自分が手を洗いまくってしまう私。
それは母にも行ってもらう段階まで来てしまいました。
母は庭で花をたくさん育てていて土いじりが趣味なんですが、「花に水やりをした後家に入ってきたらまず最初に手を洗うように」とお願いをしていました。
土を触っていなくても水やりの後は手を洗う、という人は少なくないでしょうが、それを強要していた私は不健全だったというほかありません。
それ以外にも何かの作業をした後は手を洗って〜なんてことをお願いしていました。
母の対応
たくさんのお願いを聞いてもらっていた、とここまで述べてきました。
それ以外にも様々な暗黙のルールや、私が今覚えていないだけの制限もあったでしょう。それだけ母に無理を強いていたのです。
そんな母にも限界が……なんてことは全くありませんでした。
ずっと、私の謎のこだわりに困り顔をしながらも合わせてくれていました。
色々なところを走り回ったり、知人をつたってつたってを繰り返して、最適と思われるカウンセラーを見つけてくれました。
父もお金を出し惜しみすることもなく、治療に多大な額を費やしてくれました。
そんなこんなで、私は両親にありがたいことかぎりなし、な対応をとってもらいました。
当時の私は感謝を伝えることなんかもせず、ただただとち狂っていただけなのにも関わらず。
でも今は言えます。本当にありがとうございました。
さて、そんなこんなで今日はここまでにしましょうか。
次回は学校編でございます。
では。