【第4回】強迫性障害なりのロジック②|石鹸すらも汚くて
というわけで。前回に引き続き、私の強迫性障害の症状が酷かったときのことについてお話しいたしますよと。
繰り返しになりますが、私の行動の裏には必ずと言っていいほどロジックがありました。
まあどれもこじつけが酷く、穴があるようなものばかりでしたが、それでも私はそれに基づき、縛られながら生きていました。
当時の行動、それを支えるロジックを記していきましょう。
今回はパート2なので、気になる方はパート1からご覧ください。
それでは本編です。
床
まあ床は色々とものが落ちているし、汚いと感じるのはわかる、なんて人も多いのではないでしょうか。
汚いものが物に張り付いてるのにも限界がある、結局全ては重力によって最下層、すなわち床に到達する。
勿論そんなことないのはわかっているのですが、自分なりに謎の説得力があり、床に触れたら手を洗う、なんてことをしなくては気が済みませんでした。
これは家の外だけではなく、自分にとって絶対安全領域として清潔感を保っていた自室でもでごぜえやす。
床にものを落とす、拾う。
そうしたら、その落としたものも、自分の手も、念入りに洗う。
そんなこんなをしておりました。
ちなみにカーテンにも似たような考えがあり、外界と内部を隔てるカーテンには、両方の不潔なものが付着していると思っており、朝カーテンを開けるたびに手を洗う、なんてことをしていた次第です。
教室
これまでと被る部分も多いのですが、私にとっての教室についてお話しします。
教室は勿論、若者が大勢集まっていますよね?
自分にとって若者は比較的マシな部類でした。ちなみに中年が一番無理でした。
それでも人が多数いるということは、中には不潔な人も勿論います。
お手洗いの後手を洗わない人がいたときは発狂しそうになりました。
教室は電車やカフェなどと違って、「いつも同じ」人たちが大勢いる。
だからこそ、誰かによって「いつも同じ」習慣が行われている。
汚い行為は繰り返されるのです。
もし誰かが不潔な行為をしていた場合。
他の世界と違ってその汚さには確実性、継続性が存在します。
まあその「誰か」や「不潔な行為」を目撃せずとも、その可能性自体に恐れをなして暮らしにくかったのですが。
教室に関しては、また今度詳しくお話ししますが、反復に恐怖を感じていた、と思っていただければ。
食べ物
さて、食べ物も大きな問題です。
突然ですが、皆さんは「イカの墨入りスパゲッティ」を食べたことがありますか? サイゼのイカ墨パスタのことです。
今はリニューアルされて色が薄くなったとかなんだとか。
これはリニューアルされる前の話です。
私は小さい頃はよくイカ墨パスタを食べておりました。放課後サイゼによると、そのことを思い出したのです。
イカ墨パスタあるある、ってなんでしょうか。
そう、勿論「口の周りや唇、歯などが黒くなる」です。
あれは嫌な人が大勢いることでしょう。
そして私は気がつきました。
イカ墨は黒いから特に目立っているだけで、他の料理でもそうなのでは? どの食べ物でも口の周りなどは不潔になっているのでは? と。
勿論当たり前は当たり前なんですが、意識したらさあ大変。
食事という行為自体を汚いものと認識してしまいました。
摂食障害になったとかではなくまあ可愛らしいものなのですが、食後は口を濯ぐ、口の周り、唇をウェットティッシュ等でふく、なんてことをやめられずにいました。
そしてこれは今もやめられずにいます。
昔はすごく必死に繰り返し拭いていましたが、今は拭う程度でございます。
お手洗い
お手洗いの問題は、私の人生にずっと付きまとうものです。
以前お話ししたように、私は長い間個室しか使えないでいました。
それは今もなのですが、強迫性障害がひどい時期にはさらに色々と制約がありました。
ロジックとしては皆さんがお手洗いに対して感じる不潔感と本質は同じで、それに対する嫌悪感や対策が過度になっている、という感じです。
まずは、お手洗いのドア問題。個室ではなく、ドアがついていて、部屋として独立しているタイプのお手洗いの入り口のお話しです。
お手洗いを終えた後の人々の対応はさまざまなものがあります。
石鹸でしっかり洗う人、水だけでも時間をかける人、さっと濡らすだけの人、はたまた洗わない人まで。
要するに、入り口のドアも汚いよな、ってお話しです。
そして何より、学校では手が洗える場所はお手洗いの中だけだったので、大問題です。
なので、他の人がドアを開けるまで待つ他ありませんでした。
惨めですね。授業中にお手洗いに行ったときなんて、なかなか教室に戻れずにいました。
まあサボったり授業中お手洗い行く人もそれなりにいた高校だったので、長いこと待ったことは極端に多いわけではありませんでした。
そして、個室のドア問題。
個室しか入れない私ですが、鍵をかけるときは指で触れる必要があります。
しかしそこは用を足した後の誰かが座っている場所。右手の人差し指で鍵を閉めて、その後は手を洗うまで、絶対に何にも触らないようにしていました。
ズボンを脱ぎ着するときにも、色々と触ってしまいます。
汚い話になってしまうので詳細は伏せますが、それもまた大変でした。
家では私専用のお手洗いを作り、そこら辺の問題は全てクリアできていたのですが、外ではそうもいきませんよね。
そんなことまでしてくれた母には感謝しております。
石鹸
家の外での石鹸はもう不潔。
だって用を足した後の人々が触れているのだもの。
プッシュするタイプでも、そのスイッチには人が触れているわけで。
自動で出るタイプでも、その泡は以前使った人の続きなわけで。
よくわからない理論ですが、とにかくダメでした。
そしてそれがひどくなり、なぜか石鹸そのものがダメになってしまい、家でも使えずその分水で流す時間が増えて手がボロボロになっていきました。
まとめてみやしょう
そんなこんなで私なりのロジックを述べてきたわけですが。
いやあ何かがおかしい。
それは当時も気づいていて、だからこそ余計に辛かったのですが。
手や物を洗い続ける生活が続きました。
これは私の個人的な感情で、周囲の人にはとてつもなく迷惑でわがままな思いですが。
他の人にも理解してほしかったです。私に合わせろ、私がそうできるようにしろ、私と同じことをしろ、という意味ではありません。
ただ、私なりのロジックを完全に否定することだけはやめてほしかったです。
私だってわかってるんですもの、おかしいなんてこと。それでも正当性を持たせてしまう。やめられない。苦しい。
幸い私の周囲の人は、否定することなく、うなづいてくれる人がほとんどだった。
それだけで、私の苦しみは減ったんだと思います。
先ほどの意見と矛盾するようですが、母には家の環境を整えてもらうべく色々とやらせてしまいました。
本当に申し訳なく、そして心の底からありがたく思っています。
まあそんなこんなで環境に恵まれていた私からのお願いでした。
次回は私が自分を守るためにとった行動なんかを紹介しようと思います。
では。