【第2回】強迫性障害の兆候|妄想手汗少年
さて、第2回でございます。
本日は強迫性障害になったばかりのことをお話していきたいと思っております。
その前提として、まず当時の自分について少しお話しさせていただきます。
その後本編が始まり、感情や行動だけでなく、当時の漠然とした違和感を自分なりの言語化が記されております。
ネガティブな話になってしまいますが、ぜひ最後まで。
当時の己
当時自分が置かれていた状況ということで。
強迫性障害の兆候を書く上で、せめて当時の状況だけでも共有したいなと。
それまでの人生全部は難しいのでね。
新たな環境
さて、わたくしが強迫性障害になったのは高校2年生の2学期のこと。
高校2年生になるタイミングで中高一貫校から某通信制高校の毎日通学するコースに転入したんですよね。
なに言ってるんだ、というお話しなんですが。
通学するといっても、教科書を使う一般的な授業を行うのではなく、プログラミングや動画や画像などの各種編集ソフトの扱いを学び、プロジェクト型授業を行う、といった高校でした。
中高一貫でいじめられていた、勉強がついていけなかった、とかそういうわけではございません。
友達は多い方ではなかったですがまあいましたし、勉強も選抜クラス的なのに入れていたくらいなので問題はなかったです。
ただ、「みんな一般受験めっちゃ頑張っていい大学入ろうゼ!」みたいな教育方針が合わず。
それなら中学受験すんなよ、とか、中学のうちに決めろよ、とか思うかもですが、小学生に将来を見据えて深く考えるのは難しいですし、怠惰な性格もあり入学も考えるのを放棄していたのでこのタイミングになりました。
コロナが流行した年で、最初は友達ができず落ち込んだことも多々。
それでも次第に登校が始まり、それなりに仲のいい人もできました。授業も新鮮で心が惹かれて。新しく色々な挑戦も始めて。
一緒に暮らせていなかった母の元へ戻り一緒に生活することもできて。
人生がわりかし楽しくなっていました。
そして兆候が現れる
そんなこんなで順調だと思っていた矢先のことです。
ある日の下校途中、電車内で。ふと思いました。
「手を洗いたいな」と。
電車を降りて足早に家へと向かいました。
そしてなんとなく気持ち悪い感じがしていた手を、汗ばんでるからかな、なんて思いながら洗い流しました。
そこから私の戦いが始まったのです。
初期の強迫性障害
さて、ここからが本編でございます。
まずは初期の自分が感じていたことを、当時の気持ちになって話していきます。
今の私の視点では客観性が生まれてしまいます。とりあえずそれは一旦置いておきましょう。
妄想手汗少年
まずは初期の自分が感じていたことを、当時の気持ちになって話していきます。
今の私では客観性が生まれてしまいます。とりあえずそれは一旦置いておきましょう。
ベタベタ。ネバネバ。ああまた手汗が出てるよ。
あの日以来、私はずっとその感覚に取り憑かれていたました。
手を洗った後でも、手汗が出てじめっと湿っている感覚がする。
嗅いでみると、心なしか汗の匂いがする。
そんな感じで、生活していたら当然出るような微々たる量の汗に過大な嫌悪感を示していました。
いやあるいは、そもそも手汗なんてなかったのかも。冬なんてそんなに出ませんもんね、妄想だった気すらします。
そんな妄想の手汗は、普通の手汗より厄介なやつなんごぜえやす。
そいつは、何度洗っても落ちません。
そいつは、離れていても強い匂いがします。
そいつは、ものに触れるたびにペタペタっと音を鳴らします。
そいつは、触ったものにも伝染して、洗うまで決してその不快感は離れません。
もちろんそんな汗を、室内にいる時間がほとんどだった私を年中、そして四六時中かくわけがありません。
全部ぜーんぶ妄想なんです。
そして、それは自分でもわかっていることでした。
妄想だとわかっていながらも、その不快感は拭えない。
だから手を洗いたい。
通信制高校の通学するプログラムに通っていたこともあり、授業中お手洗いに行く〜なんかには寛容だったのですが、まそれでも授業中はできるだけ手を洗いに行かないよう心がけていました。授業が終わることを今か今かと待ち侘びておりやした。
そして休み時間が始まると、お手洗いへ行く。毎授業毎授業ですよ、奇妙な人だったでしょうね私は。
実際友人Aにも「おまえはネズミ男にとっての足くらい手を洗ってるよ」なんて言われていましたわ。
そんなこんなで、お手洗いに行くことが増えたわたくし。でもま、当時はまだタイミングをコントロールできていました。
そのタガが外れるのも時間の問題で…..。まあこれは次回ですかね。
次のパート行きましょう。
内部への嫌悪感
というわけで、過去の自分の状態を今の私はこう分析します。
繰り返し断っておきますが、専門的な知識はない素人の考えにすぎません。
後々話すのですが、私はその後すぐに「自分にとって汚い物体に触れると手を洗いたくなる」ようになります。
すなわち、自分にとっての外の世界への嫌悪感、「外部への嫌悪感」を抱くのです。
あもちろん手汗も気になるんですがね。
一方初期段階ではまだ、自分自身から発生する汗への嫌悪感、言い換えれば「内部への嫌悪感」を抱いていました。
別に「外部」のが「内部」より攻撃的でよくない〜なんて言いません。
ただ自分自身、「内部への嫌悪感」を強く抱いていたときは自己嫌悪がすごかった時期なので、そこに因果関係はある気がします。
さて、時間を少し遡りましょう。
わたくし、親との仲が長い間良くありませんでした。
親もまあ、問題がある人ではあったと思うのですが、私が抱える大きな大きな問題のせいで親を繰り返し傷つけるようになってしまい、親戚の家でしばらく暮らしていました。
しばらくして私自身が落ち着いた頃、母親の元へと戻りました。
まあそこそこうまくいっていたのですが、自分はものを、そして人を傷つける人間だという意識があり、一緒に暮らす自信がずっとないまま過ごしていました。
そのときに強迫性障害が引き起こされたので、自分の攻撃性を「手汗」に比喩し、意識しては忘れようと手を洗う、そんなことを繰り返していたのではなかろうか、という気持ちでございます。
まあその後すぐ「外部への嫌悪感」へ移行するので、その過程も後々。
そんなこんなで私は「内部への嫌悪感」を繰り返し抱いては、手を洗うなんていう生活を送るようになりましたとさ。
では。