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【第5回】強迫性障害なりの防衛反応|ルールに縛られないというルール

さてさてさてさて。
前回までは強迫性障害の症状や、それを肯定する自分なりのロジックなんかを話してまいりました。

そんなこんなで苦しんでいた私ですが、自分なりにルールのようなものを決めて自分を守ろうとしました。

ただ、先に断っておきます。
そのルールがさらに私を縛りつけ、強迫観念がより一層強固なものになりました。
まあ、それは当然といえば当然ですよね。
ルールに縛られないためにルールを付与する、なんてうまくいくはずがごぜえやせん。

という前提を話した上で、本編に行きましょう。


ウチとソト

さて、何もかもが汚いと感じてしまって手や物を洗うことが習慣となっていた私ですが。
綺麗なものと場所、汚いものと場所を明確に分けることで気分が楽になると思っておりました。

だって、綺麗なものに触れているとき、綺麗な場所にいるときはストレスを感じにいられるもの。

そんな考えのもと、私は自分なりの絶対安全領域を「自分の部屋」と定義したのです。

以前もお話ししたこととかぶってしまうのですが、自分の部屋に不潔なものは持ち込まない、綺麗な状態を保持する、なんてことをして、そこにいる間だけ自分を守っていました。

具体的にお話ししていきましょう。
まず、外の世界から自分の部屋に訪れるときのことです。
これは外出から帰ってきた際がメインなのですが、とにかく部屋に入れる物を洗います。
例えば、スマホやPC。帰宅して最初にするのは、電子機器をウェットティッシュで拭くことでした。
それによって自分の部屋の中に入れることができるのです。
また、そもそも入れない、なんていうのも手です。
汚いと感じるリュックサックや教科書は、いつも隣の部屋に放置していました。
また、できるだけシャワーを浴びてから入る、なんてことも心がけていました。
そうそう、手を洗う前にドアを開けることはないように注意していたのも忘れてはなりません。

次に、外界への考え方です。
正直これは結構プラスでした。
自分の部屋の外は、どうせぜーんぶ汚い。聖域に帰ったときにまとめて綺麗にするんだから、多少の汚れは許容しよう。
そう思うだけで気が楽になりました。
具体的にどこまでできるようになったのかはよく覚えていないのですが、少なから外での行動の制約が緩くなった覚えはあります。
ただまあ、これも一時的なことで……このページの最後らへんをご覧くだせえ。

最後に、部屋自体のことです。
正直、意味がわからない状態でした。
ものは乱雑していて、整理整頓という観点では明らかに汚い部屋だったのです。
しかし、自分なりに衛生的ではあったのです。
例えば、なるべくものに触らないようにしていました。
自分の手も汚れるし、また、自分の手によって触れたものも汚れてしまうからです。
加えて、できるだけ床にものは置かないようにはしていました。
いくら自分の部屋とはいえど、床だけは汚いと感じていたのでね。
勉強机は毎日ティッシュで拭いていました。
雑巾のような繰り返し使うものは耐えられなかったためです。
まあそんなこんなで、自分なりには清潔なつもりでいました。

こうしてウチとソト、すなわち自分の部屋と外界を分けて考え、前者は絶対的に清潔で心の休まる場所にしていました。

そのルールが引き起こしたもの

最初に述べた通り、当然強迫性障害は悪化いたしやした。

「自分の部屋 = 絶対綺麗」という公式が発展し、「自分の部屋 = 絶対綺麗 = その実現のために徹底的にこだわるべき場所」という考えになってしまいました。
汚いと感じたものを手に取っては水で洗うことの繰り返し。ただ部屋にいるだけでもそわそわしてしまいました。
「ルールに縛られないためにルールを付与する」。それは結局更なるルールを産み、どんどんがんじがらめになっていくのです。

これは今だから分析できることで、当時は本当に訳が分からずにいました。
保身のために、素晴らしいルールが生まれた。なのに苦しみはどんどんと増している。
混乱続きで、結局「外の世界はどうせ汚いんだから〜」なんて考えもいつの間にか消えていました。

この体験から言えることは色々とありますが、歪んだレンズを通して世界を見ている人の自分なりの解決策なんて、よりレンズを歪ませて一時的に見やすいかも?? と思わせるだけ、ということもそのうちの一つではないでしょうか。

これは強迫性障害に限った話ではございやせん。
自分が狂っているとき、自分を当てにすると余計狂うよ、なんて話です。

そんなこんなでおかしくなっていたわたくしですが、次回は家族の対応についてお話ししたいななんて思っております。

では。

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