サッカーと陸上②
もちろん高校3年間の部活が楽しくなかったなんてことはない。先輩も後輩も同期も全員いい人たちで、ザ・サッカー部みたいな陽キャも自分のような人間にも隔てなく対等に接してくれた。3年でもレギュラーになれなかったけど、控えの2,3番手くらいの位置付けで大体の試合には出してもらえたし、たまに活躍もできた。何の文句があろうかと言われるかもしれない。でもずっと小中高と心の中に確かにあった「走るのが好き」「長距離で誰にも負けたくない」という気持ちにちゃんと向き合って陸上の道を選んでいたら、サッカーよりも情熱を注ぐことが恐らく確実にできていただろうなという思いがある。
小学校では春と秋に持久走大会があった。1年春は14位だったけれど、毎日のように朝昼放課後と体を動かして遊んでいたおかげか秋に4位、2年春には2位になった。夏にスポ少でサッカーを始め、秋の持久走でついに1位になった。そこから6年の秋までずっと学年1位を守り続けた。
中学は受験して附属中学に入った。160人中120人が小学校からのエスカレーターで、公立小から受験して入った40人は「ほか小」と呼ばれる風習があった。
内向的な性格で身長も低く見た目が良いわけでもない「ほか小」こと僕は当然クラスに馴染めず男子から舐められ、女子とは話す機会がなかった。
それを変えてくれたのが長距離だった。毎年運動部が全員参加で秋から春にかけて駅伝部なるものが結成され、一次,二次,三次,最終選考を経て4月に行われる市の駅伝大会のチームに選抜される。そこで1個上の代(1年秋→2年春)で最終メンバーまで残り、その過程でそれまでクラスの隅にいた自分の存在が認識されて男女ともに交友関係が広がっていった。「俺駅伝なかったら馴染めないままでヤバかったよね」と20歳の時に当時のクラスメイトに自虐を言ったら「マジでそれな」と言われたくらい、明確に駅伝のおかげで学校生活が変わった。2年次は学年ではトップながら3年生に勝てず補欠に終わったが、3年次まで学年トップを守り続けて駅伝大会では1区を走った。
高校でも校内駅伝大会があり、前述のとおり小中と井の中の蛙だった自分は長距離でもそれなりに埋もれはしたが、クラスで2番目くらいの立ち位置には毎年いた。サッカー部では長距離では誰にも負けなかった。
専門的なトレーニングをしていたわけではないので陸上部の長距離ランナーには到底及ばない実力だったけど、クラスや部活などその場その場の競争で「誰にも負けたくない」という、サッカーに対しては持ち続けられなかった意地とか向上心みたいなもの自分の中に確かにあった。
高3のとき、陸上部で長距離をやっていて校内で一番速いクラスメイトと仲良くなった。長距離きっかけだったかは忘れたけどプロ野球を見る趣味が同じだったり性格的にも波長が合い、親友と呼べるかは怪しいけれどかなり仲を深めた。
その友人とは志望校が一緒で、「大学受かったら一緒に駅伝で全日本目指そう」と言われた。もちろん彼も箱根駅伝に出るような全国トップレベルのランナーではないが、全日本大学駅伝は(たぶん)各地方ごとに枠が与えられており、志望していた大学も出場を目指せるものだった。自分は陸上素人だし力も足りないし、大学でどれくらい成長できるか等々何もわからなかったけど、彼が陸上に誘ってくれたことがすごく嬉しかったし、一緒になら大学から陸上を始める決断もできた。そして何よりその約束が受験にあたって大きなモチベーションになった。
〈つづく〉