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にだいめが訊く 国分寺 瑞笑 ロングインタビュー 前編

皆様、いかがお過ごしでしょうか。にだいめです。note連続投稿1週間を記念する今日はたけちゃんにぼしらぁ麺の出身者であり、現在は国分寺で瑞笑というらぁ麺屋をご経営されております高木達也オーナー様(以下敬称略)と対談をさせていただきました。

彼が一体、どのような経緯でこの業界に興味を示し、そして、どう戦い続けているのか。そしてこのコロナ禍の中で自分の存在意義をどう表現しようと考えているのか。その一部に今回は触れてみたく思います。

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1・実は飾ってあるものがきっかけだった

にだいめ 高木さんがラーメン屋さんに勤めたのは当店が初めてですよね?
高木 そうだね
にだいめ まず「何故、当店を選んでくださったのか」を前にお聞きしたことがあるのですが、改めてここでもう一回聞きます(笑)
高木 え? 聞いた事あるっけ?
にだいめ ありますよ まんぼう亭様(※1)の名刺が当店に飾ってあるのを見たのがきっかけですよね
高木 そう

※1 まんぼう亭
かつて武蔵小金井にあった伝説のらぁ麺屋。私が知る限りでは父である坂本鐐一が唯一、同業者の中で頻繁に通っていたお店である。勿論、にだいめにとってもよく幼少期に父に連れて行ってもらっていたので、非常に思い出深いお店。残念ながらオーナー様は既に他界しており、食べることが難しい一杯になってしまった。

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にだいめ それをお聞きした時、何故「まんぼう亭さんではなく、当店なのか」が気になったのですよ
高木 いや、普通に求人広告が出てなかったんだよ あそこは夫婦でやっていたからね
にだいめ なるほど
高木 で、求人広告が出てるラーメン屋を探したら、たけにぼが出てたので 多摩地区では圧倒的知名度があったしね
にだいめ 照れるなぁ(笑)
高木 まぁ、そんな場所で一回やってみたいなって思ったのが理由かな
にだいめ なるほど その時はらぁ麺屋をやろうと思って入社されたのですか?
高木 そうだね
にだいめ では、そこから当時の私の年齢は17か16くらいの時だと思うので、独立するのに14年かけたって事ですか?
高木 いや、武人君(※2) 俺がね、たけにぼで働いたのは2008年の2月から2009年の5月までだから、12年前ですよ

※2 武人君
にだいめの名前。『たけ』ちゃんにぼしらぁ麺の名前の由来でもある。


にだいめ あー、12年前ですか!
高木 だから、武人君はもう高校生ではなかった(笑)
にだいめ それでうちを辞めてから武蔵で10年間……
高木 そう、まぁ、正確に言えば9年 たけにぼ辞めてからは9ヶ月間無職だったからね
にだいめ その間は何も活動してなかったのですか?
高木 いや、これちょっと話として使えるのかどうかは分からないけど、9ヶ月間何もしてなかった理由としては1年3ヶ月間働いて…… マスターにしごかれて…… ちょっと若干、らぁ麺屋、無理かなぁって思ったんだよね……
にだいめ あー…… そうだったのですか……
高木 そうそう マスター(※3)とも喧嘩別れみたいなものだったからね……

※3 マスター
たけちゃんにぼしらぁ麺の初代である坂本鐐一の店の呼ばれ名。ここで書くことではありませんが、なんとにぼしブログ見つかりました(笑)既に亡くなっている彼の片鱗に触れたければ是非。このブログの内容に関しましては事実無根のことが多く書かれております。更にキツく申し上げますが、このブログの内容に関するご質問は一切、受け付けておりません。これらを踏まえた上で閲覧のほど何卒よろしくお願い申し上げます。 https://blog.goo.ne.jp/take_256

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にだいめ 僕ねぇ、当時、高木さんが辞めた理由をもう覚えてないんですよ もう弟子と喧嘩別れって日常茶飯事だったので……(笑)
高木 そうだね(笑)
にだいめ 僕がそれを見続けて唯一勉強になったことは「人の大切さが実感できた」ことくらいです(笑)
高木 まぁ、けどマスターはマスターの考えがあったからだと思うよ
にだいめ だからこそ、当時のたけにぼは常に緊張感がありましたよね
高木 そうだね、その緊張感を狙って作ってたのかまではまだ俺には分からないけどね
にだいめ いやー…… あの人、本当に気分屋なので、そこまで狙ってたとは思えません……(苦笑)
高木 ふふふ(笑)
にだいめ でなければ、代々木や府中は未だにある筈です(笑)
高木 そんなこと言うんじゃない!(笑)
にだいめ そこはもうちゃんとした歴史を残すのも僕らの務めですから!(笑) 伝説ばっかり残しても駄目です(笑)
高木 まぁ、けど辞めてから顔を出せる勇気がなくてね…… マスターが亡くなってから1、2年後くらいから行けるようにはなったんだけど……
にだいめ あー……
高木 そうそう
にだいめ 僕が高木さんを全く気付かないパターンですよね(笑)
高木 気づいてくれないなぁー 声かけようかなー…… やっぱやめとこっ! って帰るパターンね(笑)
にだいめ すいません、本当に……(笑)
高木 まぁ、それは大丈夫なんだけど(笑) けど、驚いたのがマスター時代の従業員が未だに働いてることだったのよ
にだいめ 有難い話ですよ、本当に
高木 それはやっぱりマスターの人望だと思うよ それが本当に嬉しかったよ

・辛い修行時代

にだいめ 当時、当店で働いてて辛かったことってありますか?
高木 嫌な思い出ばっかだよ(笑)
にだいめ わかるなぁ(笑)
一同 (笑)
高木 けど、一番は圧倒的な拘束時間だね
にだいめ やっぱ、そうですよね……
高木 週4くらいで寝坊してたよ
にだいめ 寝坊してたんですか?(笑)
高木 してた(笑)
にだいめ けど、僕も父親が亡くなった後、緊張の糸が解けたのか、週4くらいで寝坊してましたよ(笑)
一同 (笑)
高木 まぁ、けど毎日、長時間働きながら一定基準以上のレベルをも求められてたからね
にだいめ そうですね、味の管理から衛星管理までの求めるレベルが凄まじいですからねー…… 帰れる時間が深夜2時とか4時くらいの時とかありましたもんね
高木 そうそう で、そんな中でキツいのが、マスターの隣で麺揚げさせてもらえるようになってくるじゃん
にだいめ そうですね
高木 で、その時に味見を急にしてくるのよ
にだいめ そうですね
高木 その時の点数評価だよね……
にだいめ やっぱり結構酷いこと言われたのですか?(笑)
高木 滅茶苦茶言われたよ エグいくらい(笑)
にだいめ ふふふ(笑)
高木 そこも大変だったね 毎日、疲労で頭も回ってない中でこんなにも毎日必死になって働いているのに、何故一つも褒めてくれないんだ、ってね
にだいめ やっぱりそうですよねー 人間だからこそ、肯定されたいって気持ちもできちゃいますよね
高木 まぁ、昔気質の職人だったから「見て覚えろ」が基本だったじゃん
にだいめ そうですね
高木 けど、たまに教えてくれるんだよね
にだいめ あー、僕は全く何も言葉にして教えてもらえなかったなぁー……
高木 あら、俺は例えば「スープを炊いてて、こういう色になったら脂が出てる」っていうのだったりね
にだいめ あー、羨ましい 僕の時は常に機嫌が悪かったのか、何も教えてくれなかったですよ(笑)
高木 あらら(笑)
にだいめ けど、そんな教え方でも父親のお弟子さんの殆どがらぁ麺業界で名前を残してるのがすごいなぁって思いますね
高木 それはあるよね
にだいめ それは父親がある意味作り上げた「競争社会」の中で、各々が戦ってたからだと思います
高木 うんうん
にだいめ まぁ、僕は他のらぁ麺屋で働いたことがないので分からないですが、それが闘争本能を失わないスタミナを作らせてくれるってところはあるのかな、って思います
高木 なるほど
にだいめ それがある意味、その店舗の歯車を乱すって可能性もあるんですけどね 他の店で修行してきた方が目付きギラギラにさせて当店に入社されて、あっという間に皆にコテンパンにやられちゃって3ヶ月くらいで辞めちゃうパターンが殆どなので
高木 らぁ麺業界あるあるだね(笑)
にだいめ ふふふ あるあるですね(笑)

・麺屋武蔵という大きな門を叩く

にだいめ で、そこでお聞きしたいのが、当店を辞めた後に麺屋武蔵(※4)という物凄く大きな看板を叩く訳じゃないですか

※4 麺屋武蔵
1996年に山田雄様によって創業され、それ以降、らぁ麺業界を常に牽引し続ける超名店。


高木 そうだね
にだいめ 何故、まんぼう亭やたけにぼとは似て非なる「武蔵」という門を選ばれたのでしょうか?
高木 ……これは、正直に言わなきゃ駄目?

にだいめ おまかせします(笑)

高木 なるほど(笑) まぁ、麺屋 武蔵はらぁ麺業界でのトップランナーだよね
にだいめ そうですね
高木 だから、自分がどこまでそこでやれるのかっていう腕試しが第一
にだいめ なるほど
高木 次にお金だね
にだいめ なるほど 率直にお聞きしたいのが、当店より大変でしたか?
高木 えーとね、麺屋 武蔵は会社組織なんだけど、当時、俺が居た時はまだ9店舗しかなくて、且つまだ体制が整ってなくて、麺屋 武蔵には必ず店長がいるのよ けど、考え方としては店主
にだいめ なるほど
高木 で、副店長が店長っていうのが麺屋 武蔵の考え方なのよ
にだいめ なるほど! そういう考え方になるんですね!
高木 だから店長に関して言うと、ちゃんと出勤できるスタッフが揃っていれば現場には一切出なくて良いよって考え方なんだよね
にだいめ あー、本当にオーナー的な立ち位置になるんですね
高木 そうそうそう で、俺が入った店舗は高田馬場にある鷹虎(※5)ってお店なんだけど、そこの店長がまぁ、マスターぐらい厳しい方でね

※5 鷹虎
2007年2月オープン。 豚骨と鶏ガラを長時間煮込み高田馬場という町にピッタリのガッツリ系つけ麺をコンセプトにされております


にだいめ あら! そうだったんですか!
高木 実力も圧倒的にすごい人なのよ だから最初の1店舗目に関してだけはたけにぼ並みに厳しかったね
にだいめ なるほど
高木 で、麺屋武蔵ってみんなでお店を作っていくっていうのがポリシーなのよ
にだいめ なるほど たけにぼは当時はマスターが絶対でしたからね
高木 そうそう そこがたけにぼと違ってて、朝に朝礼とかミーティングがあって 30分くらい「昨日はこうだったから、今日はこうしよう」みたいなことを話し合うのよ
にだいめ 結構組織的ですね らぁ麺屋さんでミーティングやってる店って少ないと思いますよ
高木 そうなんだよね だから最初は本当にびっくりしたよ 絶対、1人1言発さなきゃ駄目なのよ(笑)
にだいめ 高木さん、苦手なやつじゃないですか(笑)
高木 挨拶からしっかりしてて「おはようございます!!!!!!」ってね(笑)
にだいめ あー! あの厳しいお店特集の時に流れる映像のやつですか!
高木 そのまんまだからね(笑)
にだいめ すごいですね!(笑)
高木 けど、そんな事は入社して半年もすれば慣れるのよ 最初は何を話せばいいのかって悩んでたけど 慣れてくれば目に付くことも多くなってくるからね けど、間の抜けたことを言っちゃうと店長が厳しかったから、激が飛んでくるのよ
にだいめ なるほど! そこまで眼光が鋭い方なのですね!
高木 そうそう だから、本当にマスターとそんなに変わらない方だったよ
にだいめ けど、若い年齢でそこまで鋭く生きてる方はなかなかいらっしゃいませんよ
高木 そうだね 俺は武蔵に9年居て、11店舗で働いて、10人くらいの店長と働いたけど、その店長が一番印象強かったね
にだいめ では、入社当時は大変でしたよね
高木 けど、俺はマスターで免疫ができてたから、そこまででもあるんだけど、辞めちゃう奴もいっぱいいたね

にだいめ 武蔵の味の作り方は、例えば「新商品を何か出す」って時にそれも皆で作り上げていくのですか?
高木 いや、最終的にまとめるのは店長の役目なんだけど、方針は皆で決めてく形だね
にだいめ なるほど
高木 朝、全商品を皆で試食するのよ
にだいめ すごいですね!
高木 それで、気になるポイントを皆で言い合って、方針を決めていくような感じだね そこはたけにぼと違ったね
にだいめ そうですね 当店はマスターが「カラスは白い」って言ったら「白い」ですからね(笑)
高木 そうだね まぁ、けどマスターの感性は凄まじかったから
にだいめ 武蔵は高木さんにとって当店よりも自ら味を作ってるな感があったでしょうね
高木 それはあるかもしれないね


にだいめ 因みに高木さんの最終役職は?
高木 副店長だね
にだいめ 敢えて、店長にならなかったのですか?
高木 いや、指名されなかったね 入社当時の同期が10年ほどで殆ど店長にはなってるけどね

にだいめ 武蔵を辞めたきっかけって何だったのですか?
高木 まぁ、正直に言うと「店長は目指してた」のよ
にだいめ なるほど
高木 まぁ、周りの仲の良い連中もどんどんと店長になってくしね 自分も「出来る」って思ってたからね
にだいめ なるほど
高木 けど、正直なこと言うと、俺……、武蔵で一番「厳しい」って思われてたのよ(笑)
にだいめ (笑)
高木 マスターや最初の店長の影響が強いのもあってか、やり方もマスター風になっちゃったのよ(笑)
にだいめ あー、分かるなぁ 僕もその時期がありましたよ(笑)
高木 で、俺、武蔵でのあだ名があったのよ
にだいめ どんなあだ名ですか?
高木 ジャック・ナイフ(笑)
にだいめ なるほど(笑) けど、高木さんが武蔵をよりもっと良くする為に出てきた厳しさじゃないですか
高木 そうなのよ 当時はさ、一生懸命武蔵で教わったことをその中でやってたつもりなんだけどね
にだいめ 入り口が悪かったのかな…… マスターからその厳し目の店長さん、と……
高木 まぁ、それは言い訳にはしないけど、なかなか上には上がれなかったね……
にだいめ まぁ、スパルタを淘汰していこうという会社の方針と高木さんの方針が噛み合わなかったのですかね(笑)
高木 全く噛み合わなかった(笑) よく言われたのが「時代が違かったら高木くんは武蔵で英雄だよね」ってね(笑)
にだいめ それ褒められてるんだか、怒られてるんだか全然分からない言葉ですね(笑)
高木 まぁまぁまぁ(笑) けど、副店長にはなれたんだけど、どうしても会社の方針と自分の考え方が折り合いつかなくなってきて、辞めるタイミングの時に独立を決意したのよ
にだいめ 僕は高木さん優しいイメージしかないですけどねぇ
高木 まぁ、けどたけにぼの時は一番下っ端だったからね 武蔵はどんどんと下が入ってくるからさ
にだいめ なるほど 僕、高木さんのところに弟子入りしてみたいですねぇ(笑)
高木 いやいやいや(笑) けど、らぁ麺屋ってやってみないと厳しさって分からないからね
にだいめ そうですねぇ らぁ麺屋さんって本当に薄利多売だからこそ一人一人のお客様を大切にしていかないとすぐにボロが出ちゃうからこそ、情けない接客が目に入っちゃうとついつい怒っちゃうのも僕にもありますし……
高木 分かるよ、それ

というわけで、今回は瑞笑の高木オーナー様のロングインタビューの前編をお届けいたしました。私自身、たけにぼという籠の中でしか育っていなかったからこそ、大変貴重なお話がお訊きできました。

らぁ麺屋問わず、様々な業種には必ず苦悩と葛藤がつきものだと私は思っております。特に高木オーナー様は様々な苦労と経験を重ねに重ね、自らの道を歩む決意に至ったことが深く訊けて、私は尚更、このお方と出会えて良かったと心の底から思っております。今度はお酒を交わしながらお話をお訊きしたいものです。

さて、後編は瑞笑の誕生について詳しくお話をお訊き致しました。こちらも是非ともお楽しみいただければ幸いです。それではにだいめでした。失礼します。



この対談をまんぼう亭初代店主に捧げる

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