にだいめは何故、表舞台を嫌うのか ~変わった父と変わった息子の話~

どうも、たけにぼのにだいめです。皆様、本当に我々を応援していただき深く感謝しております。さて、今回はせっかく始めたnoteでもあるのでテーマとして私が何故、表舞台を嫌い、ネットに自身を露呈することに躊躇を感じているのかというテーマで記事を書いていこうと思います。

・表舞台を嫌うようになったきっかけは父である坂本鐐一

この見出し、自分で書いておいて何ですが物凄く強烈ですね……。私の父のことを好きな方は本当に多いので、だからこそ間違った形で捉われそうで怖いです。なので、まずは私の経験と意見を読んでから判断していただきたく思います。

私がにだいめであるというのをお店で見てもすぐに分かる方はごく少数です。その理由は単純なのですが、私という存在を前に出していないからです。というのも、私は表舞台に立つのを好みません。普通の料理人なら自分自身をもっと前に出す為に「プロフィール」を設ける筈です。ですが、全員が全員そんな気持ちではありません。私の考えとしては私は料理人であって、タレントではないという気持ちを常に持っております。だから大事なのは技術であり、顔、容姿、素性など関係ないという考えが強いです。しかし、これはあくまでも私個人の考えであり、実際、私がこのたけちゃんにぼしらぁ麺というものを頂かずに、自分自身の歴史の無い店を立ち上げた場合はどうでしょうか。その時の答えは前述通りにはならないと思います。では、このたけにぼを大きくした行動は何なのか。それは間違いなく坂本鐐一の活躍があったからこそ、今の自分の立ち位置が保てれるのです。

そう、そこは重々理解しているのです。ではそれなのに何故、敢えてこんなことを書く必要があるのか。もしその考えを抱いた貴方は二代目という立ち位置がどれだけ難しいのかが分からないからこそ出てくる考えでもあると私は敢えてキツめに申し上げます。要するに我々は人間なので、先代は先代で抱えた悩みもあれば、二代目も二代目で抱える悩みというのはあるのです。

・名店である代償

名が世に知れ渡ることは誰にとっても光栄なことだと思います。ですが、それと同時に代償を払うこともあります。ここも非常に難しい表現が常に試され続けている項目なので、私の文章力のみを信じて進むしか手はないのですが、私は幼少期、思春期、名実共に業界で成し上がった坂本鐐一の息子として沢山の言葉を頂きました。勿論、それは肯定的な言葉もあれば否定的な言葉もあります。そこでこんな言葉を敢えて書こうと思うのですが「殴った側は忘れるが殴られた側は覚えている」という面白い名言があります。即ち、私が言いたいことは「肯定的な言葉は覚えていない」ということです。これに関しては味という世界の表現の仕方に乏しさがあるが故、仕方がないことでもあるのです。例をあげるならば「美味しいラーメンを作るお父様ですね」という言葉。今は私、この言葉を頂く為だけに働いているのですが、当時の小学生の私にそんなことを言われても正直、あまりピンとこないのも事実なのですよ。なのでそれを聞いた私はヘラヘラするしか手はないのです(笑)

では、否定的な言葉とは何か。人はそこに興味を示すと思いますが、私はそれについて具体的に書く気はありません。正直、それは愚痴大会になってしまいますし、私はこのnoteを始めたきっかけは前向きな気持ちを消し去らないことというラーメン屋さんのインターミッション(=映画用語で休憩や中断。私にとってnoteの書き込みはラーメン屋さんの中断を意味するので使用しております)です。そこにそのようなエッセンスを持ち込んでしまうとプロモーションになってしまいます。私の本音は常に透明な存在であり続けたい気持ちもあるのです。なのでご想像にお任せします。

まとめますと、そのような経験があるからこそ、表舞台に立つことに対し消極的な性格が構築されてしまった訳です。ましては自分の名前ではなく、私の名前で商売をしているのですから、尚更、否定的な言葉は響きます、とだけヒントを書いておきます(笑)

(更に同級生がこれを読む可能性もあるかもしれないので、こちらも補足しておきますが、私の同級生は本当に優しい方が多かったです。これで一つの可能性も潰しておきます)

これが一つ目のきっかけです。要は性格的に表に立つことが苦手なのです。

・父親にネットをやらせたのは失敗だった

この見出しで少し気が楽になりました(笑)

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、父はブログもTwitterもやっておりました。ブログは「にぼしブログ」という名前でTwitterの現在のアカウント名でもあります。さて、ご存知な方にはここで説明をする必要はありませんが、ご存知ではない方の為に……、勘が鋭い方ならこの見出しで想像がつくと思いますが、書いていこうと思います。

父親の性格はなかなかなものでした。一言で表すならば「喧嘩っ早い」で済みます。正直、父が亡くなった今でも私は父親が怖いです。それほど父は毎日、何かに怒り続けていた気がします。そんな父がきっかけは忘れてしまったのですがブログをはじめたのです。ブログをはじめた当時はまだインターネット自体にもコンプライアンスやポリティカルコネクトネスという考えがあまりなく、いい意味でもわるい意味でも無法地帯であったことを私は覚えております。そんな世界に父はブログを始めたのです。いやー、すごかったですよ。当時は「にぼしブログ」が燃えてない日を私は見たことがないです(笑)

更にややこしかったのが私に燃えてるブログを見せてくるのです。当然、私はそれに対し父親を擁護した感想を述べないと滅茶苦茶に怒られてしまうので、その場しのぎの肯定的な意見を述べるのですが、今だからこそ言いますが「労力の使い方を間違えている」のが本音です(笑)

そうなると皆様が知りたいのは具体的な例だと思いますが、これも敢えて書きません! そして残念なことににぼしブログはもう燃え尽きてしまったのかこの世にもう存在しません!(笑)

(この記事の為に検索してみましたが、出ませんでした)

要は父は完璧主義者だったが故に全員に美味いと言わせたかったからこそ、匿名で書かれた罵詈雑言に対し、罵詈雑言で返し、且つその書き込んだ相手を「美味いと納得させるという狙いもあった」からこそ、この無謀な方程式が解けず、更なる悪循環を産んでしまったのです……(苦笑)

まぁ、ヒントとしては私は未だに「これあるのかよ」と笑ってしまっているのですがgoogleのサジェスト候補に「たけにぼ 自演」というのがあります。私が皆様にあげれるヒントはこれくらいですし、これに関しても皆様の憶測がすごい間違った方向へと飛んでいますが、訂正するつもりも一切ありません。それの方が夢があって面白いっちゃ面白いですからね!(笑)

ということで、二つ目はこんなに燃え続けた姿を見れば、誰だってトラウマになるってことです。

・けど、やると決めたからこそ!

コロナ禍によって、当店の売上は甚大な被害を受け、そして、私が苦肉の策として始めた通販によって様々な人とのふれあいがありました。昨日の記事にも書きましたが、当店のスープを使って応用レシピを考えてくださったり、他店舗の丼を使用して素敵なコラボ写真を見せてくださったりと、皆様がこんな辛い状況の中でも、少しでも楽しもうという前向きな気持ちで私に対しエールを送り続けてくださっています。それを少しでも私からお返しする為に私はnoteをインターミッションで選んでいるのです。それは私にとって本当に勇気と覚悟が必要な行動でもあります。私の思念とは真逆な行動を取っているのですから。

それでもやると決めたらやり続けるのが、カッコいい「にだいめ」としての姿ですよね!

というわけで、今回は私の父の過去に少しだけ触れてみました。如何でしたでしょうか。書いてて懐かしい気分になりましたし、皆様もそんな気持ちになっていただたなら嬉しいです。