かっこいい人たち。『フェルマーの最終定理』の紹介
こんにちは。本を一冊紹介します。かっこいい人達の話です。
概要
『フェルマーの最終定理』[2]は350年間解かれなかった、数学界最大の難問を解いた人たちの物語です。
いたずらっ子みたいなフランスの天才数学者、フェルマーは『算術』という数学の本の欄外余白に、
と書き記しました。
文章で書かれるとややこしいですが、まず中学校で習うピタゴラスの定理を考えてみるとわかりやすいです。
x² + y² = z²
この方程式のx、y、zの解は無数にあります。でもこの2乗の部分が3以上の数になると、方程式は成り立たない、とフェルマーは主張しているのです。そしてその(真に驚くべき!)証明をすでに得ている、とも。
この主張を理解するのは簡単で、一見すると証明も簡単なのでは、と思えますが、この古書の隅に書かれたメモは偉大な数学者たちを300年以上苦しめました。
どこがかっこいいのか
この本に出てくる人は、基本数学者です。理詰めで合理的に考え、間違ったことを口にするのを嫌い、厳密さを何より大事にします。できれば議論の相手にはしたくない人達です。とくに僕はいい加減なことしか言えないので、大いに苦手です。
でも、彼らのある種、めんどくさい性格(?)は純真を追うからこそのものだと思います。多分、彼らは絶対に自分が信じられるものが欲しいんじゃないでしょうか。そうするためには曖昧は全部排除しなければならないし、自分が数学に加える知識も正しいものでなければならない。
求道者みたいだ、という形容はありきたりなものですが、僕がこの本を読んで、数学者たちに持ったイメージはまさにそれです。
物凄い熱量の求道者。とてもかっこいいです。
ガロアについて
とてもかっこいいと言うだけでは伝わらないと思うので、具体的にお話ししたいと思います。ただ、今回紹介しているSimon Singh著の『フェルマーの最終定理』(2)は1997年に出版された本で、今更、僕が何かレビューとして語る必要は、実はないです。すでに素晴らしいレビューがたくさんあると思います。ですので、詳しい全体の批評については他の記事に譲るとして、この記事ではこの人物の話についてだけ、語りたいと思います。
それはガロアという人物についてです。
彼は19世紀のフランスの数学者で、とても才能がある数学者でした。彼の残した成果は、フェルマーの最終定理を証明することに寄与しただけではなく、相対性理論や量子力学を厳密に記述するために使われているそうです。言うまでもない事かもしれませんが、これら物理学の法則は僕たちの生活に欠かせないものになっています。もしも相対性理論を人類が知らなければ、Google mapを使うときに現在地点から1km以上ずれた場所が地図に表示されます。ですが、そのような理論の基礎を生み出したガロアは、生前にその業績を評価されることはありませんでした。
なぜ才能ある数学者が当時評価されなかったのでしょうか?その理由は彼の政治的な活動にあります。当時はフランス革命後しばらく続いた共和制が復古王政によってふたたび破られ、それに反対する民衆の政治的な反発が強まっていた頃です。ガロアは共和主義の考えに傾倒しており、それがたびたび彼が所属していた学校で問題になりました。ガロアはいくつかの論文を学士院(学会のようなもの)に提出しましたが、「厳密性を審査できるほど明確でない」という理由で突っぱねられたり、提出した論文が紛失する、といったことがありました。ガロアはこれを政治的に偏っている学士院が自分を意図的に排そうとしていると考えました。のちに認められる彼の業績の偉大さを考えると、それは妥当だと言えそうです。
彼はその数学の才があるにも関わらず、どんどん政治的な活動に注力するようになります。そしてついに投獄されることになりました。この時ガロアはまだ二十歳にもなっていない頃です。そして、6カ月の服役後、彼はある女性との恋愛が原因で決闘に巻き込まれることになります。その女性はガロアとは別の男性と婚約しており、その婚約者が怒って決闘をガロアに申し込んだのです。彼は名を知られた銃の名手でガロアに勝ち目はありませんでした。実は、この決闘は当時の政府によって仕組まれたものであり、婚約者は政府の諜報員で、女性もそれを誘導するために恋人を演じたに過ぎない、という見方があるのですが、真相は分かりません。とにかく、ガロアはその死地に向かうだけの決闘を引き受けてしまいました。
ガロア決闘前の夜、これが自分の最期になるであろうことを知っていました。そして、自分が今まで研究してきた数学の成果を夜を徹して書き残そうとしました。ずっと認められなかったけれど、彼はひたすら自分の発見した定理を書いていきます。そして友人に自分の考えをそれが理解できる学者に渡してくれ、という手紙を書きました。
翌朝、ガロアは約束の場所に向かいました。相手は介添人と一緒でしたが、ガロアは一人でした。お互い拳銃を手に、二十五歩先まで歩いて相対しました。銃声が鳴ったあと、ガロアは腹部に銃弾を受けその場に崩れ落ちます。相手は無傷でその場を立ち去りました。そして、数時間後、弟のアルフレッドにより運ばれた病院で息を引き取ることになります。二十年の短い生涯です。
友人に送られた手紙には、ガロアが見つけたたくさんの定理が殴り書きされていました。少しでも多く、自分の発見を書き残そうとしていました。そして、その横にこう書いてありました。
「ぼくには時間がない」
個人的に
もちろん僕はガロアほど偉大でも純真でも立派でもないのですが、なんとなく彼が感じたことがわかるように思います。
彼は政治活動なんかやらないで、学問に身をささげるべきでした。でも彼は世の中の出来事を自分から切り離して考えることができなかったんじゃないでしょうか。自分が知りえたことには責任の一端を担うべきだと感じていたんじゃないでしょうか。道理に合わないことが許せなかったんだと思います。だから、本当は才能に仕えるべき人生を政治活動に当ててしまった。本当は数学がやりたかったはずなのに。
僕も勉強がしたいときに勉強ができなかった、という経験があります。僕の場合は立派な理由もないし、強制されたものでもなかったのですが。ただ、その時の絶望感は覚えています。今まで見えていた世界が変わっていき、頭の中の知識がするすると滑り落ちていくような感覚。どんどん熱が冷めていき、なんのために生きているんだろう、という気持ちが生まれます。
僕ですらこんな感覚をおぼえたのですから、天才的な頭脳を持った彼がおぼえたのはすさまじい絶望だったのではないかと想像します。
僕は彼が立派だと思うと同時に、なんで彼を取り巻く世界が、彼をそっとしておいてあげなかったんだろう、と思います。
終わりに
すこし感情移入しすぎてしまいましたが、この本は数学のノンフィクションです。事実に基づいた取材の、割と冷静な語り口の本です。ですがその裏には驚くほどの熱量が存在しています。
とてもいい本です。ぜひご一読ください。
引用
2. Simon Singh著『フェルマーの最終定理』新潮文庫
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