Vol.28 授業を終えて
昨日、「想像力のスイッチを入れよう」の最後の時間でした。一人ひとりがこれまでずっと読み深めてきて「考えたこと」「感じたこと」を全体で聴き合いました。たくさんの子たちが自分の考えを出してくれました。
ですが、なにか、ずっとこの前時(単元5時間目)から違和感がありました。本時もその違和感がずっと自分にまとわりついている感じがありました。授業を終え、板書を見ながら、一人ひとりの学習のまとめを読み、これまでの授業をふり返ってみると、少しその違和感を言語化できそうな気がしてきたのでここに書き残しておきます。
違和感の正体は「経験との結びつき」です。
子どもたちとともに、「構造と内容の把握」・「精査・解釈」までは意識して取り組んできました。ですが、「考えの形成」で教師としての自分の意識が弱く、自分の中でも曖昧になっていたので、うろうろさせてしまった感じがあります。
単元後半から「考えの形成の考えって何についての考えなんだろう?」という問いが自分の中で浮かんでいました。一応自分の中でも答えを出そうと考えていましたが、しっくりこなくて、結局子どもたちに一方的に聴いてみるという手段をとってしまいました。そうすると、いろいろな考えが出てきてしまい、フワッとした感じになってしまいました。
教科書にも「たいせつ」というところに
自分の知識や経験と重ねながら読む
とあります。さらに、「考えをまとめる観点の例」というところには、
・本文を読んで、共感したこと、疑問に思ったこと。
・自分の知識や経験などをもとにした考え。
・今後、メディアとどのように関わっていくか。
とあります。教材研究の段階では、ここにしっくりこなくてなんだか違うような気がしていました。ここに向かってしまうと教材文から離れてしまう気がしていました。
ですが、自分自身の学びをふり返ってみたときに、「経験」ってすごく大切だなと思います。「経験」していないことを理解することって難しいですよね。
特に、今回の「想像力のスイッチを入れよう」って一人ひとりの経験とつなげて考えるときっともっとおもしろかったです。「うわさ話」「SNS」「社会科の学習」「放送」「コロナ」…いろいろなこととつなげて考えることができます。
もちろん、全く経験と結びつけて考えていなかったわけではありません。子どもたちの考えを支えているものの1つに経験もあったと思います。
筆者の考えと自分の考えをつなぐために「経験」というものが必要だったのではないかなと思っています。ただ、「経験」だけを引っ張り出して単元を進めてしまうとおかしくなります。きちんと教材文を「精査・解釈」した上で、「考えの形成」に向かう。「考えの形成」には「自分の経験」がかかわってくるという意識をもつ。違和感の正体はこんな感じかなと思っています。
でも、まだまだモヤモヤしています。誰かとじっくり対話したいです。自分自身、まだまだ「学ぶ」ということをもっと深く追究していく必要がありそうです。
「精査・解釈」する時にも、「これって自分が経験したあれとつながるな」とか、「こうしたらあのときうまくいったのかもしれないな」とか考えながら読み深めていきますね。そうすると、「精査・解釈」にも「自分の経験」がかかわっていますね。このあたり複雑ですけど、ちゃんと立ち止まって考えていきたいです。