『#VRChatここから始めました』を作りました
こんにちは。てーくんです。
2023年1月7日公開の『VRChatここから始めました -Kokokara-』というワールドを作った経緯と感想を書いていきます。
ワールドについてのお問い合わせはフォームの方にお願いいたします。
前回の小説の制作感想noteみたいに、いろんな角度から所感を書いていくので、興味のある方は目次を見て各々気になった項目だけを読むとかがちょうどいいかもしれません。
自分がどんな気持ちで創作したのか忘れないようにするための自分用メモも兼ねてます。
きっかけ①
あのワールドを作成したきっかけは2つあります。
先に綺麗な方のきっかけを説明します。
2022年の11月に、僕は『VRChatでタイムリープに成功して、失敗した感想』という小説を書いたんですが、
その感想を『メタバースなにもしない人』に依頼したところ、Twitterのスペースで感想会をしてくれました。
スペースをリアルタイムで聞いてた時は「ありがてぇな~」「いいな~」とただただ聞いて普通に楽しんでたんですが、ある日神戸青少年科学館に行くことになり、その行きの車で暇だったので運転のお供に改めて聞くことにしました。
スペースの内容は小説の感想だけではなく主に2018年のVRChatのことや、当時思い描いていたVRChatへの期待とか、今のVRChatへの失望や諦観などなど……。
なにもしない人本人も引用して言ってたんですが、要約すると大体『Pellicule』の歌詞と同じようなことを言っていました。
僕自身は2019年12月31日にVRChatを始めた、いわゆる2019年以前の未開拓なVRChatを知らない世代であり、同時に2019年以前の世代への憧れ、劣等感を持っていました。それがあの小説とこのワールドの原動力になっています。
12月時点では、小説執筆をするにあたって調査を重ねたことで、そういった昔のVRChatを知識としてはうっすらわかり始めてたぐらいでした。
そういったうっすらした知識を持ちつつスペースを改めて聞いて、昔のVRChatについて想いを馳せているうちに、「VRChatの年表を作ってみたらどうだろう」とふと思いました。
三ノ宮からポートアイランドに入る高架の上を走りながら、助手席に座っていた大学のサークルの先輩(兼VRChatフレンド)に構想を話したことを覚えています。(この先輩にはこの時の会話をきっかけにあのワールドの技術協力をしてもらいました)(ありがとうございました)(妹は後部座席で寝てました)
しかし、年表を作成したとて、ただ画像としてツイートしたりGoogleスプレッドシートで公開したり個人サイトで見せたとしても効果的ではないことは想像がつきました。
VRChatの思い出を残すのであれば、やはりVRChatの中に作るべきだろうと僕はUnityを開きました。
きっかけ②
年表作成のきっかけ自体は上の通りですが、ここにもう1つの、あんまり綺麗じゃないきっかけが乗っかってきます。
VRChat4年目が近づく中で、自分がVRChatで今後活動していくにあたって、色々考えていたことがありました。
3年間やってきたVRChat関西弁集会はトラブルにならないように運営を組織化せずあくまでワンマンでやってきている、けどそれだけのVRChat生活も寂しいなぁ、とか、外部イベントで1キャストや1演者をするだけなのもなんだかなぁ、でもそこで代表になるのも怖いなぁとか、Discordサーバーを建てても揉めて終わりそうだなぁとか、ちょっと面白いワールドやそこそこ綺麗なワールドを作っても今から先人の方々に勝つのは難しいだろうなぁ、とか。
ワールドを作成するにしても、日本人がたくさん来てくれて、思い出に残ったり、後世に語り継がれていくものを作るためには何が必要なのか。2022年のVRChatでまだ"つけ入る隙"があるコンテンツは何があるのか。「〇〇の人」と呼ばれるようになりたくて、自分の承認欲求との向き合い方に悩んでました。
この悩みと、VRChat史の年表というコンテンツがちょうど合致したので、この2つのきっかけを原動力にワールド作成が進んでいった感じです。
目標
上のきっかけを踏まえて、ワールド制作の目標をいくつか立てていました。
全VRChat日本人ユーザーにとっての交差点のようなワールドにしたい
「VRChat人生であそこは1回は行ってたほうがいいよ」みたいな
イスラム教のメッカみたいに
#VRChat始めました に対して、VRChat人生のアンサー/中間発表になるようなワールドにしたい
「古参にとっての老人ホーム」×「新規にとっての博物館」
トラストランクだけではない情報を加えて、初対面の人同士でもこのワールドならではの会話をさせたい
VRChatを始めた年月情報を頭上に表示させたい
ある程度日本人が常駐して知り合い以外の人とも交流できるPublicワールドにしたい
いろいろ盛り込んでたなぁ~、野望みたい。
これらの目標の中で、日本人向けPublicワールドにする目標はあまり叶えられなかったと思います。きっかけの2つのうちの1つだったのにね、残念。
やっぱりみんな"話題のワールド"を見に行くときにはFriends +で立てるし、年表は数回見たらまぁそこそこ飽きるし、年表の情報を見るのはある程度個人情報であるという意識があったのかとも思います。
定着するワールドというよりは話題の観光地になってしまった感。
まぁメッカに行く人もそこに定住するわけじゃないし……メッカにはなれたかな。
こだわったところ(考え方)
小説のときもそうだったんですが、せっかく作るなら見てもらわなきゃなぁという意識が僕は強い気がします。僕のやりたい「創作活動」には「効果的なプロモーション」も含まれているような感覚です。
有名ワールドどころかPublicワールドすら公開したことがなかった僕にとって、VRChatのワールドを宣伝できる場所はTwitterしかありません。
そこでワールド公開時にできる限りツイートしてもらい、話題性がブーストされるように考えました。
年表が置いてあるとはいえ、それに対する印象や思い出はVRChatter個人個人によってバラバラなので、「ワールドにjoinした人がわざわざ写真を撮ってTwitterに発信する動機」、「全VRChatterが共通で持っているもの」ってなかなか無いなぁと思っていたんですが、『VRChatを始めた日』は誰にでもあるしみんなツイートできるし、それが同じハッシュタグで統一されるよう誘導ができれば、効果的に作用するかも、という風に。
そう考えた僕は、おそらく日本のVRChatで一番広まっているタグである「#VRChat始めました」をオマージュし(厳密にはとある人から少々アイデアももらいながら)、「#VRChatここから始めました」を考案しました。
こだわったところ(技術面)
全日本人VRChatter向けのワールドにしたかったのでQuest対応と、それに伴う軽量化も頑張りました。
実は日本人向け有名Publicワールドは、SuRroomを除いたほとんどがワールド容量50MB以上であり、(しかも僕がこのワールドを作成していたときはまだSuRroomがなかったので、)50MB以下に抑えることは僕の1つの挑戦になりました。
結果的に40MB未満に抑えています。
ワールドのテクスチャや質感的な部分は、1階部分が普段使いワールドのような温かみが出るように、2階部分は博物館のような荘厳さが出ることを意識しました。
ワールドのレベルデザイン的な部分については文字で書き起こすのが難しいので詳細は割愛しますが、『デザイアパス』という考え方を意識しました。
簡単に言うと「下みたいなことになるのを避ける」ことです。
柵の高さや通路の幅など、地味に色々試行錯誤しました。
ただ年表を置いておしゃれにしても、このままではVRChat老人ホームと化してしまうので、新規の人/初対面の人との会話が発生するように工夫しています。
1つ目は入口の開始年月入力です。入力した情報は頭上のタグとリスポーン地点に反映され、トラストランクだけではない自己紹介/会話のきっかけができるようにしました。
2つ目はワールド中央部に置いたオブジェクトです。
過去のネームプレートやカメラ、Web_panelなど、遺物を設置しました。
上述の会話が発生するように、説明文には全ては語らず意味深な文章とともに展示するようにしました。ヨツミフレームさんへの憧れが強すぎて、ああいったおしゃれな文章にしたかったというのも大いにあります。
試行錯誤
実際公開した後に悩んだことを簡単に書いておきます。
年表にどこまで勝手に書いていいのか悩んだ
全てのコンテンツに掲載許可取りをするのは現実的ではなく、どこまで許可を取るか大いに悩みました
そのため有識者の関係各所に連絡をして、大きな問題にはならないよう、可能な範囲で慎重に動いたつもりです
ワールド公開後は、「なぜうちのこれを書いてないんだ、書いてくれよ」という真逆の意見が多かったので安心しました
アバターの記載が薄いと言われた
普段男性アバターしか使ってなくて知識が乏しいのが原因だった
自分の開始日だけではなくアバターの販売日も我が子の誕生日のように撮影してる人が多かったのが印象的でした
ソートがほしい、探したい情報を見つけるのが難しい
技術的に僕がUdon書けなかったです
一応言い訳すると「誰もがグローバルで同じものを指さしてほしい」「全てのVRChatコンテンツを平等に扱いたい」「みんなのVRChat開始日と同じ同級生コンテンツを知ってほしい」という理由もあります
色々考えてワールドを一通り作り終わってみると、このワールドが僕の小説の「VRC再放送局」に偶然似ていることに気づきました。まぁ作者同一人物だし必然かなぁ。
また、あまり表で言ってないことですが実は僕は幼少期から時間が見える共感覚を持っているので、「中央を軸に時計回りに時間が進んでいく」「その中で起きた出来事をある程度正確に思い出すことができる」というのが自然に出来たのかもしれません。
いただいた反応
ワールド公開後の反応を簡単に書いておきます。
小説のときと違って活字の反応が少なかったので、当時の温度感が伝わるようなものをいくつか並べておきます。
特に2018年組は年表の2018年の場所から一歩も動かず3時間喋り続けていたのが印象的でした。
あと、ライテルさんがこのワールドに常駐するようになったのは完全に想定外でした。
ライテルさんを中心に、書き置きの文化が発生しているのもすごくほほえましいです。
裏テーマ
ワールドを公開して3ヶ月くらい経った頃、ふと思ったことがあったので書いておきます。
僕はこのワールドを「老人ホーム×博物館」だと形容していたんですが、ミライアカリの引退をきっかけに、「慰霊碑」の側面が生まれ始めるのではないかと思い始めました。
旧カメラや旧ネームプレートは、単なる遺物のような印象を受けますし、現存しているアバターやワールドの情報はただのカレンダーのように見えます。
しかし、もう無くなってしまったコンテンツ、中央部分に置かれたCONNECT STATIONの定期券、1619Hzのボタン、アスタリスクの花言葉のメッセージ性などを、改めてミライアカリの前方後円墳と共に考え直してみると、これは慰霊碑に近いものなのかもな、と思っています。
これから時代が進むにつれ、年表に書かれたコンテンツが世代交代していくと、あの年表の文字たちもだんだんと慰霊碑化していく流れが来るのかもしれません。
謝辞
最後に、本ワールドの公開に先駆けてβテストに参加してくださった皆様、情報提供や各種SNSでの発信や記事の執筆を行ってくださった皆様、そしてベタですが全てのVRChatの訪問者の皆様に感謝したいと思います。