時代劇に学ぶ合気剣のヒント
合気道では、本来体術だけでなく、剣も行い、合気道の剣を合気剣と呼ばれています。
ただ残念がら、合気道をやっている人でも、合気剣を学べる機会は少ないのですが、時代劇で合気剣に通じるものがあったので紹介します。
余り知っている人は少ないでしょうが、里見浩太朗の長七郎江戸日記「大江戸警備隊始末」の中で、長七郎(里見浩太朗)が、合気剣に通じる中々いいことを言っていました。
私の剣が強いと人に言われるようになったのは、稽古のためではない。剣で人に勝とう、人を斬ろう、そう思うことを捨てたからだ。
剣の腕は稽古によって上がる。だが、技と力は必ずいつか技と力によって破られる。
私はそれを知ってから、技も力も捨てた。剣は人を斬るためのものではなく、ただわが身を守るためにあるものだ。
私がいま生きているのは、そのためかもしれんな。
剣で人に勝とう、人を斬ろう、そう思うことを捨てた。
技と力は必ずいつか技と力によって破られる。技も力も捨てた。
まるで合気道のことを言っているみたいですね。
また合気道の剣も全く同じで、人を斬るつもりで稽古していたら、開祖に大目玉で叱られたりしたのだとか。
この辺りがスポーツや殺人剣のようなものと、合気道が違う所です。