幼少期は虐待地獄②
どうも武丸隊長です♪
今日で22日目ですね!!では昨日の続き!!
まだ読んでない方はこちらからどうぞ↓↓↓
※タイトルにある通り、今日もとても過激な内容です。
読んでて気分が悪くなったり、とても悲しくなる可能性があります。
そうゆうのが苦手な方は絶対に読まないで、そのままフェードアウトして下さい。
そして、読まれる方はハンカチを用意して下さい。
虐待の内容
どんな事をされたのか、まとめてみました。
世にも珍しい虐待まとめです。
もちろん全て、アザが出来るか、真っ赤に腫れあがる程の内容ですが。
こちらはほぼ小学生の頃の話です。↓
①平手打ち(ビンタ)
②ゲンコツ
③強くつねられて、アザが出来る(特に内側の太もも)
④蹴り飛ばされる
⑤孫の手(4,50cmぐらいの痒いとこをかく棒)で手のひら、お尻、頭を殴られる。
⑥1人だけ晩御飯抜き
⑦木で作られた頑丈な学習椅子を頭上に両手であげ、長時間キープ。下げたら殴られる。
⑧家の鍵を閉められて、外で寝る。
⑨頭を手で掴まれて固定したまま、壁に何度も打ち突けられる。
⑩家から10km近く離れた島に置き去りにされる。(徒歩で帰宅。)
⑪棒で頭を殴られて大量に血が出る。
⑫子供部屋の天井に両手を縛られ、つま先が床にギリギリ付くぐらいの状態で全身を棒で殴られ、数時間放置。
⑬言葉で散々罵られる。
⑭体を大きく張って、近づいてきて、殴る素振りや威嚇、脅し。(これが結構ストレス溜まる)
⑮家の外に出て、兄弟二人並ばされて『お父さんごめんなさい!』と最大限の大声で100回叫ばされる。
とまぁ、箇条書きにすれば大体こんな感じです。
いくつかその時の状況を解説すると・・・
⑧家の鍵を閉められて、外で寝る。
冬の寒い時期にも夏場にもありましたが、これもなんでそうなったか分かりませんが、はだしのまま外に出され、家中の鍵を閉められて、どれだけ『開けて下さい!』と叫んでも無視され、晩御飯も抜きで、空腹と寒さに朝まで耐えた4年生の頃。
一つ助かったのはトイレが外にあったので、夜中前に、トイレしがてら、兄貴がこっそり筆者の名前を呼んで、お菓子か何か食べ物を持ってきてくれたんです。助けられなくてごめんな~って(´;ω;`)
その時は泣きましたね~。。(ノД`)・゜・。
筆者が『お父さん開けて下さい!!ごめんなさい!!』って泣きながら外で叫んでる時に、家の中にいる父親の声が一回だけ聞こえたんです。
筆者の兄貴に向かって『ドア開けたらお前も許さんからな!!』
声からして、いつもの鬼の形相が目に浮かびました。
兄貴も僕の事を助けたくて、バレたら自分も標的にされると分かりながら、親の目を盗み、危険をおかしての行動だったと思います。
本当に兄貴には何度も助けられました。
ちなみに家の外で寝るのは覚えているだけでも小学生の頃に3~4回は経験してます。
犬を放し飼いにしていたので、家の外で寝た日は目覚めたら、体中犬ノミだらけで、血を吸われているので、痒くて痒くて全身を搔きむしってました。。
⑪番 棒で頭を殴られて大量に血が出る。
これも酷かったですね~。
確か孫の手で数十回殴られて、頭からポタポタ大量の血が垂れ、鼻水も涙も全部垂れ流し、1時間以上、立ったまま説教されて、最後に父親が言った一言が今でも忘れられず耳に残っています。
『お前、自分が流した血は自分で拭けよ!!』
衝撃ですよね。( ゚Д゚)
ドン底まで落ちて、更に崖から、突き落とされる様な気持ちでした。
労わりとか、可哀そうだなんてこれっぽっちも思わないんですよ。
皆さん、考えられます??
自分の息子がこんなに大量に血を流していても、平然としているんです。
立った状態で足元を見たら、自分の足の周りが全部血だらけで、半径30cm程は畳の上の敷物が血で真っ赤になってて、その血だまりを自分で雑巾で拭いたのが確か小学4年か5年ぐらいでした。
当然、頭はヒトコブラクダの様に大きなタンコブが出来てました。病院なんて行きません。行けません。恐らく連れて行きませんよね、虐待バレるから。
ハッキリ言っておきますが、筆者らは全く怒られるような事はしておらず、ごく普通に当たり前に生活していただけです。
なんで怒られたかは覚えていません。
とにかく父親は仕事やプライベートでイライラすると、筆者らにアタる癖がありましたので、多分八つ当たりの的になってたんだと思います。。
⑫子供部屋の天井に両手を縛られ・・
これも時期はあいまいですが、殴られている映像は鮮明に覚えています。
1番過酷な体験でした。
確か小学6年か中1ぐらいだったはず。
いつもの通り、まぁ悪いことはしてないと思いますが、ムカついたんでしょうね。
最初は筆者の両手を父親が左手で抑え、抵抗出来なくして、右手で棒を持って殴るがスタンダードだったんですが、高学年になって、毎日殴られたら、そりゃ、毎日抵抗するので、少しでもうまく交わしてダメージを最小限にする為に体をくねらせながら、棒で殴られる瞬間に動きまくってよける訳ですよ。
なので、完全に無抵抗にする為に、子供部屋に連れていかれます。
子供部屋は大工だった父親が何か月かかけて増築した部屋で、天井は使わなかった木材などを収納できる様に角材で支えてました。
その天井の角材にロープを通して固定し、筆者の両手を縛り、そこに括り付ける。
紐を縛り上げれば、足は若干浮き、つま先がかろうじて床に付くぐらい。
手を縛られてる訳ですから、もちろん何も出来ません。
その状態で全身、特にお尻、太もも、頭でしたね。
棒で何度も何度も殴られ、全身アザだらけ。
狭い場所で抵抗すれば棒だと殴りずらくなり、ビンタで顔を何度も殴られました。
恐らく全体の回数にして、50回近くは殴られてたと思います。
さすがにこのまま死ぬんだろうなと本気で思いましたね。
おまけに、そのまま放置されるので、何時間そのままだったか覚えていませんが、恐らく体感で3時間以上は経ってたんじゃないですかね。
両手は縛られて、頭より上にあげた状態なので、血の気が引いて、ぐったりしているところへ、父親が思い出したかのように戻ってきて、縄を解いた時には、真っ白になり、死人の様な冷たい手になっていました。
大声で泣いて、喚いてを何時間も繰り返すと、声が出なくなるんですよ。
気力も体力もなくなり、助けてって言葉が出ないんですね。
子供部屋ではなく、拷問部屋でした。
エピソードは上げればキリがないので、この辺で終わりますが、これでもまだ2割ぐらいの話です。
それからどうなったのか、その後の展開はまた明日書いていきますね。
とても過激な内容ですが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
筆者はこの様な記事を書きたくて書いたわけではなく、
今回の記事も前回の記事も正直迷いました。
しかし、筆者の過去の体験を読んで、もしかしたら、まさに今その様な状況の方も居るかもしれません。1人で悩んでる人が居たり、救える命があるかもしれません。
なので、もし虐待に悩んでる人がいたら、遠慮なくコメント下さいね。
筆者で良ければ、いくらでも話を聞きますし、対策を話せるかもしれません。
では、また明日。