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またやってしまった

noteって、クリエイター向けだったんですね。それも知らずに、「あのブログみたいなやつ、やってみます」とか軽々しくぶち上げてしまって、半分「しまった…」と思っています。またやってしまった。

三線を始めた時も、そんな感じだった。2000年、ミレニアムというやつがやってきて、なんとなく区切りみたいな雰囲気になっていた、世の中全体が。21世紀を迎える瞬間をカウントダウンしよう、とかそういうものにはまったく興味がなく(というか反感しかなかった)、でも何か変えなきゃいけないような、そんな気になっていた。
当時は映画の字幕を制作するという、ちょっと世間では聞かないような仕事をしていて、ものすごく忙しかった。出版業界でいうと編集者みたいな役割で、映画祭なんかの前は寝る時間もないほどだった。仕事を始めてから6年くらい経っていて、その少し前にお世話になった方が若くして亡くなり、このまま仕事を続けてていいんだろうか、親より先に死んだら親がかわいそうだよな、なんておかしなことを考えていた。

ミレニアムの正月、職場の古株のバイトさんが飲みに行こうと誘ってくれたのが、当時は中野駅の南口にあった沖縄料理店「あしびなー」だった。中野には長く住んでいたのに、こんなところにこんな店があるなんて、ぜんぜん知らなかった。
南口を出て、商店街を下っていくと五差路があって、五つの角の一つにあしびなーが入っている建物があった。建物の真ん中が吹き抜けだったか?階段を上がると、ぐるっと廊下があってガラス張りになっていたんじゃなかったか。今の北口のお店より広くて、入って左側にカウンターがあって、右側にテーブル席、奥のほうに座敷があった。南口のお店には数回行っただけで、あしびなーはほどなくして北口に移転したのでよく覚えてないけど、そんな感じだった気がする。移転する時、手伝いに来ていた男の子が例のガラスについたセロテープの跡をカッターで丁寧に落としていた。

カウンターに店主の吉春さんがいて、背の高いバイトの子がいて、その彼氏がいた。その彼氏は私と同郷で同い年だったこともあり、いろいろ話した。もう一人バイトの子がいたか?おとなしくて、声も小さい、いるのかいないのか分からないような子。あれが今では有名になったあの人なのか?というくらい、影が薄い子だった。背の高いバイトの子とは今も付き合いが続いている。

吉春さんは当時、エイサーのCDを制作する準備をしていて、奥の座敷では仲間たちがその相談をしていた。吉春さんはお客さんを見ると誰にでも「三線やったほうがいいよ」と、誘いをかけていた。ほとんどの人は引っかからないんだけど、何か新しいことを始めたいと思っていた私は、引っかかってしまった。それが、付き合いの始まり。

来年は2025年だから、25年前。四半世紀、というやつだ。エイサーに関わっていたのは2000年から2003年の4年間くらいなんだけど、なかなか濃い付き合いをさせてもらったと思う。私の知らない20年の間、あしびなーはどんな感じだったんだろう。

2023年に、ふとしたことがきっかけで、あしびなーとの付き合いが再開するのだけれど、それはまた次回。読んでくださって、ありがとうございます。



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