タガの向こう側 — 経験則という名の檻
深夜、スマートフォンでブログを開く。 スクロールする指が、ある一節で止まった。
その言葉が、静かに心を揺さぶる。
先日、姪のスマートフォンを覗き見た。
LINEの通知が花火のように連なり、
1分間に30件を超えるメッセージが飛び交う。
「なんでそんなに頻繁に?」
「普通じゃない?」
という彼女の反応に、世代間の断絶を感じた。
娘がSNSの使い分けを説明してくれた時も同じだった。
最初は理解できなかった。
それは私の中の「ソーシャルメディアの使い方」という固定観念が、新しい理解を拒んでいたのだと、今なら分かる。
私たちは知らず知らずのうちに、経験則という名の檻の中で生きている。
最も危険なのは、その檻の存在に気づかないことだ。
姪が友達とビデオ通話をしながら宿題をする姿を見て、はっとした。
「一緒に勉強する」という概念が確実に進化していた。
私たちの「当たり前」は、いつの間にか「タガ」となって、新しい可能性への扉を閉ざす。
経験を重ねれば重ねるほど、そのタガは強固になっていく。
自分の無知に気づくこと。
そのタガを意識的に外してみること。
不安はあるけれど、そこから何かが始まる。