【短編小説】リモートワークのとある風景
朝の職場のチャットには、いつもちょっとした独り言が流れている。「今日は早起きできた」「二度寝してしまった」。そんな他愛もない一言に、誰かが眠そうな顔の絵文字をつける。返信でもなく、リプライでもない、ただそこに残された小さな反応が、新しい一日の始まりを告げる。
午前中、私は分報チャンネルに「昨夜のゲーム、ボス戦で負けて一時間溶かした」と書き込んだ。すると誰かが「あるある。私も先週やられました」と返してくる。画面の向こうの誰かと、同じような時間を過ごしているような感覚が、不思議と心を温める。
昼休憩が終わる頃、チームメンバーの一人が「うーん」という言葉だけをチャンネルに投稿した。普段は手際よく課題を片付けていく彼のこの投稿に、私は同じチャンネルで「詰まってる?よかったら相談に乗りますよ」と返す。「ちょっと整理したいことがあって」という返信に、さりげなくビデオ通話のリンクを添えた。
画面共有越しに黙々とコードを書く時間。時折交わされる質問と答え。沈黙の意味が、少しずつ理解できる。誰かが考えを巡らせている時間は、意外と大切な瞬間なんだ。
午後のチャットで、新人メンバーが「レビューお願いします。。。」と投稿した。普段の彼の言葉には必ずつく絵文字が、今日は見当たらない。「コードの方向性、一緒に確認してみない?」という声かけに、いつもより早い返信があった。
夕方になって、チームの誰かが「すみません、今日はここまでにします」という言葉を投げかける。その言葉に、普段より疲れた様子を感じ取る。別のメンバーが「明日の資料準備、私がやっておきます」と書き込むと、シンプルな「助かります」という返事が返ってきた。
チャットの文字列には、絵文字の選び方、返信までの間、省略記号の数、言葉の端々に、その日その時の空気が漂っている。オフィスで交わされていた「なんとなく」は、こんな形でデジタルの隙間に宿っている。
一日の終わり、私はチャットの履歴を見返す。短い言葉、小さなリアクション、わずかな間。それらが重なり合うことで、まるでオフィスに一緒にいるような、確かな存在感となる。画面の向こうの誰かも、きっと同じように、この見えない繋がりを感じているはず。
スマートフォンの画面に、新しい通知が光る。「電源落とす前に、ちょっといいですか?」という何気ないメッセージ。返信を始める。
私たちはこうしてリモートでコミュニケーションを、紡いでいる。
それは、言葉にならない気配の交換。
意図的でありながら、さりげなく。
デジタルの隙間から、確かな温もりさえ感じながら。