創価学会員ではない僕が公明党に投票した理由
前回書いた記事「選挙における説得について。あるいは公明党について考えたこと」が想定外の反響を読んで驚いています。読んで頂いた方、記事購入してくれた方、本当にありがとうございます。
6月29日(火)に期日前投票で公明党の長橋けい一氏に投票してきた。
今回はその理由について書いてみたい。
まずは熱心に記事を読んでくれて感銘を受けてくれた創価学会の人たちに謝罪をしたい。僕は創価学会にシンパシーを感じないし、公明党も一切支持していない。長橋けい一氏の実績も公約も興味無いし、国政の山口代表による日和見感はかなり批判的に見ている。
元々反自民リベラル勢力を推す事を政治信条にしてきた。衆院選東京10区の選挙のなら自動的に立憲民主党の候補に投票してきた。創価学会の人がお願いに来ることも、煩わしさを感じていた。
今回の僕の観点は小池都政ならびに都議会第一党の都民ファーストの会への評価にある。小池百合子という政治家は空気を読んで世の中をコントロールすることに長けている。 そういうのをポピュリズムというのだけど、僕はそんな小池都知事は危険な存在だと思っている。コロナ前は受動喫煙防止条例で喫煙者を悪者にし、コロナ禍以降は自粛しない若者や飲酒自体を仮想敵に仕立た。今回の選挙は、国政政党のロジックで語られるべきものではなく、そんな小池都政への評価として見るべきだというのが僕の見立てだ。
その上で僕の投票行動の理路は以下の通りだ。
元々は堀こうどう(自民党)への投票を考えていた。そんな中、元々長橋候補が当落選上である事へ注目していたのだけど、創価学会の皆さんの熱意で考えを固め、長橋へ投票した。
この記事を書いてから、Twitterでの反響と共に、僕に礼をしたいと言うことで会いに来る人が続出している。その反応については素直に嬉しい。
だけどあの記事は、実は創価学会員にお礼を言われるような内容ではない。あれは人間の「ゆらぎ」を再評価するために書いた。僕自身の公明党への偏見の告白であり、固定化した党派性を乗り越える試みなのである。
上記に羅列した通り今回の投票は限りなく消極的選択である。先に三議席をどの人が取ることが好ましいかを考えただけで、政策も吟味していなければ候補者について検索すらしていない。もっともこの位の年齢になれば経験則として政党の大まかな政策は把握してはいる。しかし今回ほど調べなかったのは始めてかもしれない。
しかし今回はおそらく人生で初めて「考えて」投票した。上記に書いた流れが思考の変遷である。考えるということは、自分が説得され考えが変わることを含めるということだ。
とりあえず投票日前に書けることは以上である。
この投稿も読者の「ゆらぎ」をサポートするために書いている。何かしらの参考になったら幸いである。
それでは良い投票行動(棄権、白票を含む)を。
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