【雑記】下北沢で感じた街が変化することについて[11月8日の日記からの何か]※次回更新まで無料
細切れで7時間くらい寝たんだけど、少しぼおっとしている火曜日の午前中。外はなかなか快調に雨が降っている。
午後(というか夕方)は映画でも見に行こうかと思っているけど、体の疲れがまだある感じなので今のところ予定は未定。
昨日は午前中に要町でやっている歌のレッスン仕事をやり、午後は下北沢で以前お世話になっていた美容師さんから洋服のお古を貰いに出かけた。
約1年ぶりに会った美容師Mさんは相変わらずオシャレですらっとしててカッコよかった。久しぶりだけどお互いお茶でもしましょうかという感じではなかったので、頂くものを頂いて終わった。
でもせっかく下北沢に来たので少し散策をしたのだけれど、もはや僕の興味が向く場所では無くなってしまった。
それは「Save the 下北沢」が守ろうとした昔の街並みが無くなったからという事ではどうやらなくて、街の中にあるものが消費物しか見えなくなり何か知らんけど下北沢に行くみたいな文化性から僕自身が離れたからなのだろう。そういう意味では過去の文化的な下北沢が好きだったのかもしれないね。
それは裏を返せば生活者の街に集約したとも言える。小田急線の地下化を歓迎してきた地域の商店街や住人の意思は反映されたのかもしれない。
そんな中ぼくが面白いと思ったのは小田急線の線路が無くなった土地が1本の道のように向こう側に伸びているところだ。
これは色々な可能性がある。商業施設が建築されるかもしれないけど、この土地はかつての線路の名残であり、記憶遺産になるからだ。街は変化していかなきゃいけないんだけど、それを記憶として歴史を繋ぐことには大きな意味がある。
わが街 東長崎も道路拡張で変化していく。かつては街並みを残したいという事で反対の意志を示していたけど、そんな事には意味はないと思うようになった。大事なのは記憶と記録によって街の変化を未来に繋ぐことで、それは写真とか絵とか、もしかしたら物語なのかもしれない。僕自身がそれを口伝い伝承する語り部になることなのかもしれない。いずれにせよ変わってしまうことをノスタルジーの文脈で反対することを僕はシンプルにやめたということだ。
郷愁は記録や物語で保存する。ではそれを伝承したり、現在の生活に反映させるにはどうしたら良いのか。これについて僕は考えなければいけない立場なのかもしれない。かつて商店街の役員をやったり、まちづくり会議「ながさきむら村議会」を立ち上げたり、あるいは選挙活動や政治活動に熱心に取り組もうと思った30代の自分に対する応答をしていかなければいけない。最近そう思うようになった。
別に大きな活動ではないし、実際地域を変えていくことに力を持った実感はそれほどはない。しかし東長崎で何か活動をしたい、この街について知りたいと思う人がやきとりキングの僕に相談をもちかけるケースがそれなりにある。それは僕が撒いた種の芽吹きなのかもしれない。つまりそれは責任という事でもある。
そんなコンシェルジュ的な役割をどのように形にして活動化していくのか。それがこれからの課題だ。配信をやりたいのはそんな理由もある。ツイキャスでちょこちょこやってはいるけども、理想はシラスでやること。自分が提供出来るコンテンツは何なのかを棚卸ししよう。
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