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日記20250201 「楽しい日本」について書いてみた。

朝食は業務スーパーで買った格安の中華麺を使った味噌ラーメン。
野菜室にあった野菜を細かく刻んでひき肉と共に炒め、顆粒の鶏がらスープで味付けし味噌をといたスープ。そこに麺のかさ増しに春雨を入れて、最後に「焼きそば」の麺を投入して一煮立ちさせて完成。
朝食はこうやって煮込んだものが多めなのは楽だから。
日常の食事の準備はどれだけ手を抜いて楽にやるかが重要なのだ。

石破茂総理が打ち出した「楽しい日本」がとても評判が悪い。
僕は初めて聞いた時、率直な感想として「いいじゃない!」と思ったのだが、世間(という名の旧Twitter)では9割批判で賞賛ムードだった僕は肝を冷やした。ええええ…なんで?
京都大学大学院工学研究科教授の藤井聡氏は出演したラジオで「楽しい日本とはどういうことか」と石破総理を汚く揶揄していた。
ネットを回ると「楽しい日本より強い日本にするべきだ」とか「格差がある世の中で楽しい日本とはどういうことか」といった意見が大半を占めていた。
だけどちょっと考えてみて欲しい。
「楽しい日本」の何が悪いのだろうか。

確かに国内は経済格差はあるし国際関係も不安定。そんな世の中で日本のトップが「楽しい」を標語にすることにずっこける感覚は理解できる。
それでは「強い日本」はどうだろうか。
強さを掲げた時、国は私たちに目標を強いる。2010年代、私たちは震災に対する弱さを知った後、ひたすらわかりやすい数値目標を目指してきた。
強さは経済格差の前に勝ち組と負け組を作り出した。
それが「強さ」が生み出すものだ。
それに比べて「楽しい」はゆるふわな言葉だ。
だけど「楽しい」は一人一人違って良いし、経済格差や人種、性別など関係なく自由に感じて良い感情だ。
映画を見て楽しい、音楽を奏でて楽しい、家族との食事が楽しい、川のせせらぎを聞くのが楽しい。
楽しさは個々人の感情の中に芽生える花のようなものだ。
少しエモい言い方になりすぎたが、「楽しい」は「強い」と違って決して強いることはない。
それを国家のトップが方針として示すことは、ある意味で大きな責任を表明していると言えないだろうか。

石破総理は今や何を言っても批判される対象になっている。ある時期から日本の総理大臣の最大の機能として、石を投げて良い存在になっている。
俺たちの声を聞け、と左派は言う。
それでは逆に総理大臣の言葉はちゃんと聞いているのだろうか。
その非対称性を最近の僕はとても気にかけている。
政治家も我々と同じ人間だという事を忘れてはいけない。

ただ国家も国民の「楽しい」を守るような施策を打ってほしい。特に経済面で可処分所得が増やして欲しい。経済的余裕は「楽しい」を引き出す大事な要素だから。値上げ一辺倒の今の流れは欲望を抱くことを許さない。そういう意味では課題は山積している。
(ただ石破総理がリハックで語った「楽しい」が「万博」というのは正直ずっこけた)

今日も一日やきとりキングは大盛況で、非常に疲れたが楽しい1日だった。
楽ではないが楽しい。僕は人生を楽しめていると思う。
私なりの「楽しい」を実践する事が地域社会への貢献につながるよう頑張っていきたい。商品の値上げを軽々にやらないのは社会貢献の意識があるからでもある。

そんな訳で明日の仕込みもちょっと頑張った。
仕込みしながら見た永野の動画は楽しかった。

※事柄をつなげながら突発的に増長に書いてみる試みだったが、正直あまり上手くいっていない気がする。今後も日記でこんなチャレンジしてみたいと思っているのでお付き合いのほどよろしくお願いします。

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