アメリカカッパの存在
6月の声が小さくなり、夏が目覚めようとしている。
夏が近づくにつれ、男たちは少年だったあの頃の記憶と共に、好奇心や冒険心が身体の内側から溢れ出すのだ。
「木戸ダムに行こう!!」毎年誰かの口からこの言葉が一度は出る。今年は私の口からその言葉が飛び出した。
木戸ダムとは兵庫県姫路市にある川遊びスポットだ。
後輩に、「木戸ダムでBBQがしたい」というわんぱく電話をかけると衝撃的な事実を知らされた。
夜に川へ飛び込むと河童に足を引っ張られますよ!
木戸ダムのカッパ有名ですよ!!
なんなんだこのロマン溢れる素晴らしい響き。
やはり私は生粋の男の子だ。という感情と共に、とある疑問が頭を駆け巡る。
(河童はなぜ人の足を水中に引っ張るのか?)
私が小さな頃から日本という国に植え付けられた知識の中では、河童はきゅうりを食べるはずだ。
人を捕食しないとするならば、何故だ。なぜ河童は人の足を引っ張るのか。意味の無い行動だ。
何百年も人から姿を隠し、妖怪と呼ばれる生き方を選んだ河童の末裔たちよ。なぜ令和という不況の時代に人間界へと足を踏み入れるのだ。隠れて生活を送る君たちにとって、人間の足を引っ張るという行為は自らの存在を知らせてしまうハイリスクであり、食糧にもならないローリターンの謎の所業でしかない。
人間の住む場所に行くなというカッパのルールもあるだろう。
時流とともに、河童の国で憲法の改正でもあったのか。
河童のお偉いさん議員3分の2以上の賛成で可決したのか。
そんな事はどうでもいいのだ。
つまり何が言いたいのかというと、
「河童は人の足を引っ張らない」
メリットがないからだ。
そしてここから分かる事がある。
川で足を引っ張り、河童の存在を人間に知らしめる事により、得をする誰かがいる。という事だ。
得をする誰かと河童。河童を見た事がない私たちは、その誰かと河童の区別がつくはずもなく、総称して河童と呼んでいるのだろう。
その2種類の河童の間になにかしらのトラブル。もしくは片方の河童の立場が著しく低い可能性がある。
人間に河童の存在を知らせる事により、人間の力を使って強い方の河童を木戸ダムから排除しようと考えているのだろう。
おそらく日本河童とアメリカカッパである。
国外から来たアメリカカッパの存在をよく思わない日本河童が人間の足を引っ張り、アメリカカッパを人間に排除してもらおうという事だろう。陰湿な妖怪め。
日本人としての誇りを持たぬか。
それに比べ、アメリカカッパは夜な夜な川に浮かびながらキューカンバーをパリパリと食べ、自由奔放に我が物顔で木戸ダムを牛耳る。なんという傲慢な妖怪。
外来種などという差別用語は使わないが、せめてお邪魔します。の精神を忘れるべきではないのだ。
この先、アメリカカッパと日本河童の間で和解が成立するような事があるとするならば、戦争が起こりそして終戦を迎えた時。もしくはどちらか一方が完全に降伏し、傘下に下る時だろう。
私は2種の河童たちが傷つかない方法で解決してもらいたい。日本らしく相撲を取るか、アメリカらしくラップバトル。
平和的に解決できれば、今後アメリカカッパと日本河童のミックスが誕生する可能性が出てくる。
さぞかし美人な河童であろう。
アメリカカッパというタイトルで無駄にツラツラと書き綴ってしまったが、特にこれといった答えは持ち合わせていない。私はただ川遊びがしたいだけなのだ。
木戸ダムで美人な河童に出会う日を楽しみに、私はキュウリを持って今年もダムへと足を運ぶだろう。
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