完璧じゃないほうが、むしろそそられる。
今朝も早起きをして色々なコシゴトを済ませていたら、テレビから、”淺井カヨさん”の特集が流れてきた。
この方をご存知の方、いらっしゃいますか?
この記事の題名にあるとおりモダンガールに魅せられて、ご自身のお住まいから暮らし、ファッションなど、すべてモダンスタイル。
ちなみにご自宅も昭和初期の和洋折衷、昭和モダンを意識し、旦那様と一緒に一から建てられたそう。
現在は「日本モダンガール協會」を創設なさり、その代表としても活動する女性です。
モダンガールを愛し、とことん貫いています。
(上の記事にとても詳しく彼女の活動内容などが描かれていますので、ここでは割愛します。)
彼女の暮らしぶり、生き方を見て私が面白いなぁと感じるのはモダンガールを貫きつつも、「ハイカラ」なもの=現代流行のものは取り入れているということ。
彼女はスマホ(携帯)を持っていないそうで、電話をかけるときはご自宅の「黒電話」から。洗濯も「洗濯板」で行っています。
にもかかわらず、掃除機は「ダイソン」(!)パソコンは持っている(!)それもMacを(!!)そしてTwitterも行っています。(笑)
ダイソンやPCはやっぱり便利だそう。(笑)
別の言い訳として、モダンガールはハイカラなものも愛さなくてはいけないのだとか。(笑)
このギャップがたまらなく面白くて、なんか愛らしいんですよね。
一見、「そこは昭和モダンじゃないんかい!」とツッコミを入れたくなりますが、そこが味があっていい。
なんていうか、いい意味でちょっと抜けていて(抜いていて)、安心感に似たようなものを感じる。
研究者やかつての文豪たちのように突き詰めすぎていると、それはそれで「すごいなぁ」と感嘆と尊敬の念が芽生えそうだけど、なんとなく、自分ゴト化はしづらい。
追及した中にもちょっとした隙、みたいなものがあると、一気に近寄りやすくなるんですね。(なにかの恋愛論でありそう)
完璧じゃないからこそいい、というか。
淺井カヨさんを見ていて、ふと、そんなことを思いました。
ちょっと抜けてる、くらいがちょうどいい。
その方が愛嬌があっていいよ。と、
完璧主義のひとがいたら、声をかけてあげたい。
ちょっと前の、私みたいな。