だから今日もメイクする
「ほかの誰でもない私に、自信を持たせてあげたい」
その気持ちから、私は今日も、メイクする。
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コンプレックスの塊である私は、中学生のころからファッションやメイクに興味を持った。
ド田舎の居酒屋の娘。だからそんなに裕福な家庭でもなく、ファッション誌も友達が持っているものをシェアしてもらい、ボロボロになるまで読み込んでいた。
そもそも、私のコンプレックスはそういった「居酒屋の娘」という点もある。
友人のご両親は、町役場や銀行、郵便局、保育園の先生、漁師(漁業の町なので)、看護師…など「フツウ」な仕事に就いているご家庭が多かった。
だから、たとえその小さな町の真ん中で、ある程度の人気があるお店だったとしても「居酒屋」という看板が、とてつもなく嫌だった。
そして極めつけは、「母の年齢」。
母は私の父とは再婚で、私を39歳の時に産んでいる。
今ではもう割と一般的だけれど、約20年ほど前までは、「遅い子」はイレギュラー視されていた。
悪気のない友人から「マイのお母さんって、おばあちゃんみたいだよね」と言われたり、
たまたま行った地元の温泉で、弟が見知らぬおばちゃんから「今日はおばあちゃんと一緒に入りに来たの~?」とニコニコな笑顔を向けられて質問されているシーンなどは、恥ずかしくて仕方がなくて、私に心底母を嫌いにさせた。
「どうして私の家は、フツウじゃないんだろう」
いつもいつも、そう思っていた。
思春期にはどんどんネガティブは加速して、反抗期が到来。特に、やっぱり母には厳しくあたることが多くなった。
それに応じて「自我」の強い私は、自分の見た目に対しても敏感に反応するようになった。
母に反抗する私のように、顔面にびっしりと出来た「ニキビ」。
それはそれは、ひどいものだった。
そのころに同級生の男の子からつけられたあだ名は「はなちゃん」。
鼻のてっぺんに出来たひどいニキビを指すあだ名だった。
隠したい一心で、お小遣いを使ってドラッグストアで買ったクリームファンデーション。
それを24時間、とにかく塗りたくった。
友達の家にお泊りするときも、そのまま寝た。
ファンデーションを落とした顔を、見られたくなかった。
そんなことを繰り返すうちにニキビはどんどんひどくなっていく。
気が狂いそうだった。
それでも、一瞬でもキレイになれるメイクは、私にとっての魔法だった。
雑誌を読み漁っては、「どんなメイクが、私には似合うかな」と想像するのがたまらなく楽しかった。
「鏡と友達」レベルに、ずっと自分の顔を見ていた。
自分のことがかわいいと思うから鏡を見るんじゃない。
「今日の私、大丈夫かな?」と自信がないがゆえに鏡を見ていた。
本当の意味で、自分に合うスキンケアや、メイクを知ってからは、さほど鏡を見る時間は多くはなくなった。
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30代の今の自分が、私は一番好きだ。
肌の調子もいいし、ニキビ面だったことを周囲からは驚いてもらえるくらいだ。
素肌が整うと、メイクがとっても楽しくなる。
素肌にメイクを施すとき、今の私もまた、自分で自分に魔法をかける気分でいる。
毎朝かけることのできる魔法だ。
たとえいつもと同じ配色やパターンでも、見違えるほどにエネルギーがあふれる。
強い自分でいたいとき。
自分に自信を持ちたいとき。
ステキな自分を演出したいとき。
そんな瞬間が一生のうちに何度も訪れるなんて、なんて素敵なことなんだろう。
その時々に、なくてはならないメイクは、魔法であり強い味方だ。
「鼻がもっとこうだったら」
「フェイスラインがこうだったら」
「眉毛の位置がこうだったら」
などなど、細かいコンプレックスは未だにたくさんあるけれど、メイクがあるから自分の顔も悪くないな、って思える。
メイクの力は本当にすごい。
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雑誌「VERY」がママだってオシャレしたっていいじゃない、と提唱したように、誰だってメイクしたっていいじゃないと思う。
ジェンダーレスな今の時代。
女性も男性も、自分でかけられる魔法をいっぱい使ったらいいと思う。
それで笑顔が増えるなら、こんな最高な話はない。
メイクミーハッピー!な世の中に。
私の体験談も、なんらかの力になれたらと願って。