親子3世代で受け継がれるミラジーノ
父みたいなデザイナーになりたい
両親はグラフィックデザイナーとして働いている。私がデザイナーになりたいと思ったのも、両親の影響だ。
そんな私がグラフィックデザインを始めた当初、私は父に「良いデザインをするにはどうすればいいの?」と質問したことがある。
すると父は「様々なモノをよく観察して、なぜ良いと思ったのかを説明できるようにすること。」と私に観察の目を与えてくれた。それから私は、日常を過ごす中で、ありとあらゆるモノを観察し続けた。
それに加えて、「デザインの全てには意味がある。見た人・触れた人が何を感じるのか。自分がそれをデザインするとしたら、どうするかを常に考えること。」と、モノづくりの真髄を捉えたアドバイスを父は投げかけた。今でもこの言葉は、誰かにデザインを教えるとき、必ず伝える言葉だ。
小さい頃から人を驚かしたり、人を喜ばせることが大好きな私だった。いつしか人の心を動かすような仕事に憧れ、「いつか父みたいなデザイナーになりたい」と強く願った。
山梨でのドライブ
山梨にある父方の祖父母の家に行くと、祖父が私をダイハツ ミラジーノに乗せて、よくドライブへ連れて行ってくれた。清里の頂上から見る草原が大好きで、後部座席の窓から眺める情景は今でも目に焼き付いてる程だ。
ペーパードライバーである父と一緒に山梨へ行くと、父はよく祖父に運転を頼まれた。父の財布から滅多に取り出されない、ピッカピカのゴールド免許を取り出しては自慢げに見せびらかしていた。
しかし、時折際どい運転をする父は、よく祖父と母に罵声を浴びせられていた。とても賑やかな車内だった。
月日は流れ、祖父が免許を返納した。まだまだ身体は丈夫で元気ではあるが、何かあってからでは遅いとの判断だった。
免許を取りたての私は、祖父が乗っていたミラジーノを受け継いだ。小柄でパワフルなこの車はとても運転がしやすく、毎日のようにミラジーノに乗って何処かへと出かけた。
昔は家族で乗っていたミラジーノに、妻や友達と乗る日が来るとは到底思ってもいなかった。思い出も相まってか、何も予定がなくてもつい運転したくなってしまう。
誰からも愛されるこの車のおかげで、生活の行動範囲が10倍増えた。車じゃないと行きづらかったあの場所も、どこへでも走らせた。
父がデザインしたミラジーノのパンフレット
ダイハツ ミラジーノのパンフレットデザインは、私の父が手がけたものだ。
祖父が車を買うと決めた二十数年前、車を選ぶ際に色々なパンフレットを見比べていた。父がパンフレットをデザインしたとは露知らず、「パンフレットのデザインと内容を見てビビッときたからミラジーノを選んだ」らしい。
納車のタイミングで父も、祖父がミラジーノを買ったことを知り声を出して驚いたらしい。
祖父にとって車購入の決め手となったパンフレットを実は父がデザインしていたという、なんとも有り得ないような話ではあるが、私はこの話が大好きだ。
心を揺るがすデザインに惹かれ祖父が買った車は、今度は孫である私が運転している。家族がデザインの力によって引き付けられ、孫は夢を見た。ハンドルを握るたびに、祖父とドライブしたことを思い出す。
立ち上げた会社も4期目を迎え、今日初めて父と一緒に仕事をする機会を作ることができた。
パンフレットデザインの仕事だ。
なんとも感慨深く、デザインを続けていてよかったと思った出来事だ。
「デザインの全てには意味がある」
確かにそうだと、強く感じた。