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ロシアウクライナ戦争感想文(2)

戦争開始から半月がたち、既に多くの人が亡くなっているが、最悪のシナリオか終息に向かうか瀬戸際の今、自分がウクライナ人だったらとか、ウクライナと言う国の成り立ちや辿ってきた状況を理解もせずに考えても意味がないし、話す資格もないのではないかと思い、もう少し勉強しながら考えてみた。足を怪我して行動も不自由だし、今住んでいる中国の広東省東莞市が急にロックダウンされた。仕事どころか生活にも支障をきたしているが、戦地の人々の事を想えば、全く問題ではない。
書いた内容も情報も考察も、間違いが多いかもしれないし全く不十分なのも良く分かっているが、良い機会なのでもう一度勉強してみる事にした。

1.スキタイ人


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スキタイ(Scythae, Skythai)は、紀元前8世紀~紀元前3世紀にかけて、今のウクライナを中心に活動していた、イラン系遊牧騎馬民族および遊牧国家(Wikipedia)
ウクライナの歴史の始まりは、イラン系民族スキタイ人から始まっている。今、何故イランやイスラエルがウクライナに絡んでいるのかの原点がここにあった。

2.キエフ・ルーシ大公国


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9世紀頃、東スラブ系の人々を中心に、「ギリシャ正教東ヨーロッパの総本山」的イメージで、キエフを首都に、ルーシ大公国という貴族集体国家が形成され、今のウクライナ一帯を治めていた。複数の民族や国が緩やかに連合してまとまる「公国」というスタイルは、東ヨーロッパの歴史では繰り返されてきていて、ソビエト社会主義共和国連邦(USSR前ソ連)に繋がっていく。ここら辺が日本人の僕には感覚的に全くよくわからない部分。今のベラルーシもウクライナもロシアも、どれも共にキエフ・ルーシ大公国を文化的祖先としていて、名前の由来もここから来ているそうだ。ロシアと言う名前はルーシから取った呼び名。ウクライナという名前は“ロシアの辺境”という意味だとロシア人は言い、ウクライナ人は“国”という意味だと言うらしい。

3.ギリシャ正教


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ギリシャ正教はカトリックとプロテスタントが分かれるよりも前に、カトリックのやり方は亜流で正当じゃない!とカトリックから別れた。そのころはイタリアのローマ帝国が、カトリックを使い、権力とお金と偶像礼拝による信者拡大(帝国拡大)を第一に、支配拡大しまくっていた時代。本来NGの偶像崇拝を信徒獲得の為あからさまに利用し、金にモノを言わせ豪華で綺麗な教会や、お金で罪が許されてしまう免罪符など作って売りまくり、全く言語道断!とんでもない!そんなのキリスト教じゃない、俺たちこそが本物だ、と言ってヨーロッパの東側(東欧)に移動していった派、それがギリシャ正教。大体そんなイメージだと僕は理解している。ウクライナもロシアも東欧の国々もそれぞれギリシャ正教のウクライナ正教、ギリシャ正教のロシア正教、そうやってそれぞれのローカライズを認め合いながら緩やかに繋がっていた。

4.みんなの侵略の的


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モンゴル帝国に席巻されてボロボロになった後、キエフ・ルーシ大公国(ウクライナ)に、カトリック国家で強大だったポーランド・リトアニア共和国が、土地と農業奴隷を奪いにウクライナに侵略して来た。これによりウクライナの西側大部分は奪われ、その名残が今でもウクライナの西側に残っているというわけだ。ウクライナがこれまで踏みにじられた相手は大きく分けて Aモンゴル帝国 Bポーランド・リトアニア Cオスマン帝国 D オーストリアハンガリー帝国 Eイギリス・フランス・トルコ Fロシア帝国
実はこれだけではなくもっともっと数えきれないほどの内戦や複雑な戦いがあるが、とにかく様々な国から侵略支配され、好き勝手に分割されてきた悲惨な歴史がある。

5.コサックとポーランドとロシア


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これでもかと言うほど各国から侵略や支配を受け続けていたが、17~18世紀にかけてウクライナ地方源流の原住民、フメリンツキー(上写真)という、ヒーローが立ち上がる(源頼朝的存在)。自分たちを奴隷にし全てを奪っていく当時の強国ポーランド相手に激しく戦い、一武装集団に過ぎなかったコサック軍が最終的にポーランド軍を追い出す。そしてコサック・ヘーチマンという国が出来た。その時コサックがポーランドに勝てたのには大きな理由があった。フメリンツキーが、昔のキエフ・ルーシ大公国から見れば分家にあたる、東国の田舎大名、ピョートル1世(モスクワの覇者、徳川家康)に、助けを求めた。その時のモスクワは力があり、我々の本家兄弟コサックがやられている、モンゴルの次はポーランドか、よし、ポーランドの横暴な奴らを追い出せ!と言って助けた。この時から、大ロシアと小ロシア(ウクライナ)と呼ばれ、両者のイメージ関係が定着していったようだ。プーチンはこのピョートル1世に強く憧れ、目指していると言われている。モンゴル帝国を追い払い、歴史あるキエフルーシ民族の土地を取り返し復興した英雄だからだ。

その後、ポーランドがまたしつこくこのコサック・ヘーチマン国(ウクライナ)に侵略して来た。しかしその時ロシアは北のスウェーデンとの戦いで忙しく、弟を助けてやれなかった。結果コサック・ヘーチマンという国は滅びて亡くなり、領土の西側がポーランドに東側がロシアに組み込まれた。

因みにあのコサックダンスと言えばロシアのイメージだが、正確にはコサックダンスはウクライナのもの。TokyoDisneyland、TokyoNaritaAirport、これは東京ではなく千葉だ!と似ている。

6.国が亡くなっても翻弄され続けるウクライナ


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クリミア戦争が1853年に起こる。ロシアVSトルコ・イギリス・フランス・サルデーニャ連合との間でクリミア半島で行われた戦争。(日本大百科全書)
この戦争の原因を作ったのは、フランスのナポレオン3世。カトリックの勢力拡大と人気を得る為、オスマントルコ(ギリシャ正教)に対し、聖地エルサレムのベツレヘム教会の権利をギリシャ正教から取り上げてしまおうとした。そしてトルコはこれを許してしまった。これは多分宗教上とんでもない事件だ。白昼堂々皆が見ている前で強盗するイメージ。トルコに住むギリシャ正教徒の安全も脅かされ、同じギリシャ正教のロシアや東欧の国々にとっても強烈な脅威。一方オスマン帝国側から見れば、ロシア帝国が南下してくると恐いし、西側と協力しておきたいとの意向も強くあり、フランスイギリスと組むことにしてしまう。ロシアが黒海からエーゲ海に出てくるのを恐れたイギリスは、敵対しているはずのフランスと手を組み、海峡に艦隊を進軍させた。これにロシアは怒り、ブルガリアなど、反オスマン帝国の国と協力し南下した。オスマン帝国の息のかかったモルダビア公国、ワラキア公国に8万の軍隊を進駐させた。トルコは英仏に頼んでロシアを撤退させようとしたが当然ロシアは拒み、ついにイギリス・フランス・トルコは、ロシアに対し宣戦布告、攻撃を開始してしまう。地図を見れば、クリミア半島はウクライナの真下でロシア系の人々が住んでおり、ウクライナはロシア領、だったため英仏トルコから徹底的な攻撃を受けた。
パリ条約の締結で戦争は終わり、ロシア(ギリシャ正教)が負け英仏(カトリック)トルコ(正教裏切り者)が勝った。お互い被害が大きすぎて、戦争の悲惨さ無意味さを世界が思い知る戦争になった。クリミアの天使ナイチンゲールもこの時に活躍した偉人。初めての宗教の縛りのない看護学校を作った事で有名だ。宗教間の争いの無意味さを訴えるには余りある行動だった。しかしこのインパクトで、「敵国ロシア」という考えが西欧で主流となりNATOに繋がっていったのだと思う。

7.ウクライナの変遷まとめ


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■キエフ・ルーシ大公国 誕生
   ↓
■コサック・ヘーチマン国 誕生
   ↓
■ウクライナ人民共和国 誕生
   ↓
■ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 誕生
   ↓
■ウクライナ 誕生

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その後ロシアのニコライ1世が死去、ロシアは近代化の遅れを痛感、内政改革を一気に推し進めようとする。しかしスターリンの強権政治の歪、反動でロシア革命が起こる。そのタイミングでウクライナ民族自決運動が湧き起こり、1917年国際的に認められ、ウクライナ人民共和国が誕生した。
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が、それもつかの間、第二次世界大戦で、ウクライナはナチスのユダヤ人狩りの狩場、この世の地獄と化す。ドイツ軍に一挙に全土を占領され、500万人以上の住民が殺され、徹底的に破壊、略奪された。
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戦後ウクライナ・ソビエト社会主義共和国、が誕生、ウクライナ全体はソビエト連邦の一部になった。
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ソ連崩壊後、1991年ウクライナ民族主権が高揚し、再度独立を果たし、現在のウクライナ[Ukraine] Україна [ʊkrɐˈjinɐ]という国名になった。  

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       フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

      8.ウクライナの悲劇は、

  カトリックとギリシャ正教の狭間にある事。

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    ウクライナ正教会がロシア正教会から独立 (JKRINFORM) 

極論するとこういう事だと思う。ウクライナは、イラン民族から始まり、混ぜられ、分断され、破壊され、奴隷にされ、奪われ、を1,000年延々と繰り返してきており、第一次世界大戦、第二次世界大戦、この地球上で一番多く、戦場にされている国なのではないか、とさえ思うほどだ。そして今2022年、またこの争いの最大の被害者になっている。ずっとウクライナが戦場であり続け、国が出来ては壊され奪われ、いつもその争いのど真ん中に居るという事。西側諸国はウクライナを利用して、寄ってたかって憎きロシアをもう一度ぶっ潰してやりたいと思っているが、ウクライナの人々は親戚や家族がロシアと繋がっている。ロシアはロシアで、アメリカNATOに絶対屈せず、手段を択ばない「肉を切らせて骨を断つ作戦」を強行している。ウクライナはこの肉の部分で苦しめられている。問題の根っこは、やはりカトリックとギリシャ正教の延々と続く確執だ。ブリンケン氏をはじめ、アメリカの政治経済を裏から表から牛耳っている連中は、ほとんどがユダヤ系ポーランド人の出身だ。(詳しくは感想文1参照)なぜウクライナから遠く離れているアメリカがウクライナに戦争させているのか、というのはこのような理由だ。

人間の欲が、宗教とお金と権力を結び付け争っている。ウクライナはそのど真ん中にいる。そういう事だと私は思う。

9.まとめ

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ヨーロッパの歴史をウクライナから遡って少し見てみて思うのは、宗教や民族の問題は実は表面的な事だけであって、本当の問題の根源は結局人間の「欲」である思う。

欲→争い→恨み→争い→欲、この繰り返し。

プーチンの生い立ち、青年期からKGB、西ドイツで国家崩壊を目の当たりにしたショック、政治舞台での強靭な使命執行能力、国家への強い執着、異常な執念と、今回の戦争へ突入せざるを得なかった本当の理由などに関しては、これから沢山の本が出るだろう。もしかしたらプーチンがただ狂ってる訳ではなく我々が本当の事を知らなさすぎるのかもしれない。ゼレンスキーがどんな人かも知らずに批判するのもおかしい。コメディアンが大統領になるなんて普通考えられないけど、ウクライナではそれが現実だ。汚職にまみれた政治を変える!国民のしもべ党!喋りがうまい人気スター!それだけで本当に大統領になれる訳はない。

僕はプーチンに電話をしてこう言いたい。「そんなに強い自分をアピールしたいなら、ピョートル一世の格好して最前線に立ち、兵士と一緒に闘って下さい、それが出来ないなら今すぐ戦争やめて多くの人の命を救ってください。その方がよっぽど強くてかっこいい」と。そして「本当は何と戦っているのか教えてください、この際、全世界の国々の皆に頼んでNATOアメリカに邪魔をさせず、ゼレンスキーと二人並んで、きちんと話す場を用意してもらい、生中継世界同時通訳でそこで全部説明してください、その責任があなたにはある」と。

人間は殆ど皆どこかの国か民族に属しているし、利害関係が存在する限り、完全に中立公正な判断をする、というのは無理。世界は西側諸国だけのものではないし、お金だけでもない。そもそも相談してうまく行くなら戦争はない。殺し合いの戦争しているときに、普通の常識や理屈で議論して話がつくはずもない。

しかし今、一体なんでこんな事になっているのか?という疑問を放置せず、自分事として、自分なりに調べて考える事は決して無駄ではないと思う。僕は去年、バイデンが当選したら戦争になりそう、という嫌な予感が強くあった。何かおかしい、気持ちが悪い、と強く感じながらも、ただ世界がどんどんコロナや戦争に引っ張られていった。トランプやプーチンや金正恩をここまでハッキリ悪者に仕立て上げて、こんな戦争をさせているのは一体誰なのか、「誰が得しているのか」これを、突き止めなくては、戦争はなくならない。ロシアウクライナだけでなく、世界中の紛争の多くの犠牲者の為にも、世界中のみんなが立ち止まってこれを考えなければならない、今は非常に大切な時であると思う。人間はたった100年程度しか生きられないし、こんな小さな星の中でいったい何をそんなに争っているのだろうか。
                                以上

                      2022年3月15日 竹居直人

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