中国のこの20年を、現地で目の当たりにしてVol. 1〜情熱中国大陸〜
20年と言うと非常に長い年月のように聞こえるが、草っ原が大都会に変身するのも、本当にあっという間の出来事だった。
以前の人民元100元札は、今の赤い毛沢東ではなく、四人の肖像画(毛沢東・周恩来・劉少奇・朱徳)のお札だった。私の尊敬する周恩来総理の横顔も見える、今より1cmほど大きな、とても味のある、青い大きなお札であった。50元札、10元札、5元札、2元札、1元札、5角札、2角札、1角札。今は5角札を除き、流通しているもの全てが毛沢東の肖像画に変わってしまってつまらないが、今思えば当時のお札は、農民や少数民族、中華人民共和国にとって、全てそれぞれに意味深い、味のあるお札たちだった。
当時1元=日本円11〜12円程で、香港100ドル札を中国で人民元に両替すると、125元くらいになった記憶がある。今香港ドルを人民元に両替すると、約85元である。20年前と逆だ。当時こんなに早く香港ドルと人民元の価値が逆転すると、誰が予想出来ただろうか。
私の記憶では、20年前一般的な玩具工場の、普通工員一ヶ月の給料は、約400元。毎日どこの工場の門の前にも、バケツと大きなズタ袋を抱えた人々が長蛇の列をなしていた。働きたいからである。田舎の家族の為に必死で働く。頑張って少しでも高い給料をもらいたいので、日曜日の残業にも喜んで出勤し働く。現在一般工員の一ヶ月の給料は10倍の約4,000元が相場である。
それなのにいくら最大限の条件で募集をかけても、宣伝しても誰も来てくれない。そもそも「工場なんかで働きたくない」からである。時代は変わってしまった。
しかし、機械化が進んでいるとはいえ、工場は「人」がいないと「物」が出来ないので、出来る限り努力し、エアコン付きの部屋を用意し、福利厚生を充実させ「工員様」に来て頂けるように必死に勧誘努力をする。そして、やっと来てくれた若者ワーカーが、作業中に携帯電話でゲームをしているのを、上司が強く注意をすると、「じゃあ私仕事辞めます」と言って、本当に、その日にぷいっと出て行ってしまうのだ。退職手続きもせず、給料も要らないと、そのまま出て行ってしまう。仕事に対する責任感などは無く、興味があるのは自分のゲームと、ネットショッピング、友達との会話。親の仕送りとネットの副業があるから、べつに金がないわけではない。つまらない労働を強いられ、携帯を見ていて怒られるくらいなら、即バイバイ。いくらでも働く場所はあるからだ。
また極端なケースでは、私の知り合いの台湾系電子工場で起こった事件。工員の一人の河南省の若者が、「俺の携帯電話がなくなった、工場の中でなくなったんだから工場の責任だ!弁償しろ!」と騒いだが相手にされず、激昂した彼は社長室に行き直談判、「携帯を弁償しないとここで死んでやる!」と言って、バケツに入れて持って来たガソリンを頭からかぶり、ナイフとライターを自分に突きつけて社長を脅し、なんと怒りに任せて本当に焼身自殺を図り、丸焦げになってしまった。一命は取り止めたが重症で、この工場の台湾人社長は多大な賠償金を家族から要求され、彼を一生面倒を見る羽目になってしまった。一昔前なら、警察と病院にお金を渡し、「問題解決」していたところだろうが、携帯電話が一気に普及してから、金で「闇に葬る」事は難しくなって来たからかもしれない。
以前アイフォンを製造する某有名企業では、工員が工場の屋上から飛び降り自殺し、家族に大金が支払われるという事件が何件かあった。外資系企業を批判対象にし事件にして金を巻き上げる、という風潮はこの焼身自殺未遂事件とも大きく関係していると思う。
工場の社長たちは、このような何を仕出かすかわからない、モンスターワーカーに日々気を使わなければならない。労働基準監督局にあらぬ話をされたりし、場合によっては営業停止命令を受けたりする。ネットへの様々な書き込みや、妨害の呼びかけなどで、大変な苦労を強いられる事になる事もある。ただでさえ工場の運営は大変で、昨今では健全に利益を出して成長していくのは至難の業であるにも関わらず、工員様の暴挙をなだめ、彼らのご機嫌を日々伺わなければならないのだ。「これが現実だ」。
優秀な工員を教育し、いつ辞めてしまうかもわからないのに丁寧に育て、十分な給与と保障を与え、しかも商品の高品質が生存競争の肝になっている今、コストは当然うなぎ登りになる。ああそれなのにそれなのに、安さばかりを要求するモンスター顧客を相手に、工員を養い、工場を経営して行くのは、想像を絶するほど大変な事なのである。
つづく