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【小説】昭和、渋谷で、恋をしたり 1-10

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▼ 死ぬ前にやりたいこと

 夏奈恵の部屋は、国立駅前から伸びるいちょう並木を15分ほど歩いたところにあった。
 アパートの薄い扉を開けると玄関のすぐ右にキッチンがあり、3歩進んだ右には一体型のトイレと風呂場らしき扉が見え、その奥、ガラスの引き戸の向こうに六畳ほどの和室が見えた。
 私の住んでいる寮に比べたら贅沢な暮らしに見えた。そのことを言うと「場所が場所でしょ。これくらい離れないと、今の家賃でこの間取りは無理なのよ」と夏奈恵は自嘲した。

 夏奈恵と部屋で2人になると、私はまた天文知識を披露しつづけ、夏奈恵は変わらずに聞き入ってくれた。2人でいる空気がたまらなく居心地よかった。そして話しが一段落ついたころに聞いてみた。


 「どうして、星が好きなの?」


 「星を観ているとなんか落ち着かない? いつかもっと星が見えるところに住みたいなって思う。わたし、得意なこととか、やりたいこととかないし、溝口さんみたいに頭もよくないしね」


 「頭がいいって言うより余計な知識を持ってるだけだし」


 「そんなことない。わたしの知ってることに比べたら……」


 夏奈恵の知っていることが何なのか想像がつかずにいたが、聞いてはいけないような、そんな口調で互いに口の動きが止まった。


 「ねえ、どうしてイルカ座なの?」


 沈黙を嫌って聞いてみた。すると夏奈恵は立ち上がり、キッチンで湯を沸かしながら話しつづけた。


 「私ね、アリオンを羨ましいって思ったの。死ぬ前にやりたいことがあるっていいなって思った」


 「死ぬ前にやりたいことか・・・・・・」


 そんなことは考えたこともなかったが、夏奈恵は私の答えは待たず、背を向けたまま続けた。


 「ねえ、死のうと思ったことある?」


 「えっ?」と私が声をつまらせていると、今度は振り返って話しをつづけた。


 「私はあるの。でもできなかった。なんでだろうって思っていたけど、アリオンの話しを知った時、死ぬ前にやりたいことがなかったからかなって思った」


 そして夏奈恵は新しくいれたコーヒーを2つ持って、今度はすぐ私の隣で足を崩した。


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▼ こんな話、つまんないよね

 「もし死ぬとしたら最後に何をしたい? やっぱり写真撮りたい?」


 死ぬ間際に写真を撮る? そんなことを考える自分を想像できずにいた。


 「撮っても死んじゃったら、仕上がりを確認できないんだよね?」


 自分の答えが真面目なものかふざけたものか、言ったさきからわからなくなったが、夏奈恵にとっては意外な答えだったようだ。


 「そうだよね、それじゃ意味ないか」と吹き出していた。


 でも、それもつかの間だった。


 「私はね、愛する人を抱きしめながら死んでゆきたい」


 そこまで話して夏奈恵はコーヒーに口をつけた。愛する人とは佐藤さんだろうか? そして佐藤さんと家族になることを考えているのだろうか?


 「こんな話し、つまんないよね?」


 黙ってしまった私に気をつかってくれたのだろう、夏奈恵が笑って見つめてきたので、動揺してしまい、まだ熱いコーヒーを多めにすすった。当然すぐには飲み込めず、むせてしまったのだが、その反動で体から力が抜けたことが反作用してくれた。


 「夏奈恵さんは、いま好きな人とかいるの?」 


 「うん、いるよ」 


 「それって、オレも知ってる人?」


 自分じゃないような大胆さに感心したが、余計に動揺もした。夏奈恵は一瞬、不意を突かれたような様子で、すぐに答えようとはしなかった。黙ったまま目をそらす私に「久しぶりにタバコでも吸おうっかな」と微笑みながらタバコを催促した。

 夏奈恵は差し出したタバコに火をつけ、一服目を大きく吐き出すと同時に軽く咳き込んだ。


 「キツイの吸ってるね」


 「そうかな。先輩の真似しただけなんだけど」


 「大学の?」


 「そう。音楽とかオーディオに詳しい先輩が吸ってるのと同じやつ」


 「大学に入ってからタバコ吸いはじめた?」


 「うん。みんな吸ってるから……。なんとなく」


 「そんなもんだよね、タバコって。それで、私に好きな人がいるって、どうしてそう思うの?」


 「渋谷駅で男の人と歩いてるのを見ちゃって・・・・・・」


 夏奈恵は何も言わず、タバコの灰を落とすだけだった。


1-11へつづく
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