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私の量子♯2

実在のもやもや感

10月から「量子」について調べている。調べれば調べるほど、このテーマについてわからないことが増えていく。ミクロなスケールでの電子や光の振る舞いについて記述する概念であることまではわかったので、高速で正確な情報処理が経済活動の成否を分けている今、量子が重視されているのは納得できる。でも、21世紀の現在使用されている量子概念の解像度を目指そうとすると、ここ100年間に物理学者の間で議論されてきた重要な問題の理解も必要になってきて、そこがとても難しい。

私なりに解釈すると、量子という概念の難しさは、主に下の3つに要因があると思う。

■一つ目:電子や光という超ミクロスケールでの物質の振る舞いは、私たちが直観的に理解できる古典物理学のスケールの世界とはルールが違う。

位置を観測しようとすると粒子のように見え、運動を観測すると波のように見えるが、位置と運動量を同時に測定することはできない。ミクロな電子や光はどこかにじっとしているわけではなく、ふんわりと存在している。

■二つ目:量子という概念が誕生してから応用に至るまでには、意見の異なる物理学者たちの議論が積み重なっているので、結論だけを与えられてもその面白さや重要性が感じられない。

前回も書いた通り結論としてはボーア、ハイゼンベルク側の認識が正しかったことが実験で証明されたが、その正しさは異なる見解をぶつけたアインシュタイン、シュレーディンガーたちの研究がなければわからなかった。

■三つ目:私のように高等数学と物理学を勉強してこなかった人は、そこで使わている道具(行列、スピンなど)の正確な意味がとれない。

私はこの年になるまで情けないことに角運動量「スピン」という概念を知らなかったし、下の記述を読んでもやっぱりわからない。「回転軸と向きを持つ磁力の一種」という理解が限界でした。

二つ目、三つ目の問題は、時間をかけることである程度の改善は見込めると思いたいが、一つ目の問題については本質的な話なので永遠に難しい。「そういうものだ」と言われても、確認するための手段が実験と数式なのだから、そこを知らない人に説明するのは至難の技である。

私は科学的な手続きに関してほぼ無知だ。とは言えこれから21世紀を生きる上で無視するには重要すぎる「量子」の概念を忘れないために、人物の魅力による記憶の定着を目指して少しメモを書いてみようと思う。

参考にした本は以下の二つ。

先月も書いたが上の本は歴史小説のような気分で読めるところがいい。
下の本は背骨のない魚を食べているようで飛躍の多い記述に違和感を覚えることも多かったが、20世紀後半以降の物理学者のエピソードを詳しく追えるところが良かった。

量子解明までのストーリー

中心人物は「ボーアとアインシュタイン」といっていいと思う。
この二人の議論をめぐって様々な論や証拠を提供した重要人物にパウリ、ド・ブロイ、シュレーディンガー、ハイゼンベルク、ディラック、ベル、ボーム、アスペなどがいた。

ここに出てきた全員について真面目に理解しようとすると大変なので、私は特に惹かれた一人の人物についてフォーカスして覚えることにした。その人物とはジョン・スチュアート・ベルである。

ベルの熱いところは、まずノーベル物理学賞を授与されずに死んだアンサング・ヒーローであることだ。そして、何か決定的な発見をして、その功績が認められた、みたいな形ではなく「ベルの不等式が破られた」という形で物理学に大きな寄与をしたところが心憎い。このギルガメッシュ感が私がベルに惹かれる理由である。

今年のノーベル物理学賞はフランスのアスペ、アメリカのクラウザー、オーストリアのツァイリンガーの3氏に授与された。受賞理由は「量子もつれ光子を用いたベルの不等式の破れの実験と量子情報科学の先駆的研究」だった。

2022年10月5日「日経サイエンス」

そう、今年のノーベル賞はベルではなく、ベルの不等式を破った人々に送られたのだった。その不等式はいかにして破られたか、みたいな重要な話は専門家の皆様にお任せするとして、私はベルの人物的な背景をもう少し詳しく書いてみたい。(次回に続く)

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【記事ヘッダ写真】
みんなのフォトギャラリーより
(C)横田裕市氏 https://note.yokoichi.jp/

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