「一名日本男子在试图帮助他的孩子的汽车中被撞死。」


基本的に自分はめちゃくちゃポジティブだと自負している。なんでそんなにプラス思考なのか理由は分かっている。「全てに意味がある」。そう信じているから。どんなに辛いことがあっても、苦しいことがあっても、「この状況には意味がある」そう考えると前向きな気持ちになれる。自己肯定の塊になる。


でも、本当にときたま、とんでもなく人生から逃げ出したいときがある。人間だし当たり前だよね。それは何か辛いこととか悲しいことを経験したときには感じない。明日も頑張ろうってそれらの状況を乗り越え、日々の退屈だけど幸せな日常を過ごしているときに、ふとした瞬間、バスとかに乗ってて、窓から見える田んぼきれいだなーとか考えてるときに、ああ消えたいなと思う。この世から全員いなくならないかなって。そういった黒い感情というものは、心の容量のうちのほんの片隅に残り続ける。


楽しいとか悲しい、辛いだったりハッピーとか、そういった感情は今までの経験とか体験、記憶や知識に紐づいていると僕は考えている。夜散歩してる時に「夜空がきれいだな」と思う時は、ついでに前見た富士山麓から見る星々もきれいだったこと思い出す。2000円かけ、ポレポレいわきでどんなにつまらない映画を見ても、中学校の時に見た「貞子3D」のくそさには負けることはないな、と一人で笑う。


多分クレーンゲームみたいに、脳の中の記憶や知識から幸せな、いわゆるポジティブな感情を取り出すことがうまいのだと思う。現実でクレーンゲームはとても下手なのだけれども。でも時に、アームが黒い小さな塊に触れてしまうこともある。そうすると、あぁしんどいな、そう感じてしまう。


そういった感情にとらわれてしまうと、今すぐここからいなくなりてぇな、と切実に感じるようになる。現実逃避したくなる。日本から出ていきたくなる。どこか言語が通じない国へ。


そういった思いもあってか、今めちゃくちゃ中国に行きたい。だから中国語を独学で勉強している。現実逃避するために勉強するのってよくわからないけど、まあいいか。具体的に中国で何をしたいかは決まっていない。とりあえず重慶に行きたい。本場の火鍋を食べたい。夜市に行きたい。ああこの空は日本に繋がってるんだな、とか思いたい。そして人生の終わりも中国で迎えよう。


いつからだろう、自分が死ぬときは人を助けて死にたいと思うになったのは。特にガンツみたいに電車で。ホームドアが無い駅では電車が来るのを待っているときにスマホをいじらなくなった。ホームに落ちた人と共にどこに逃げ込めば安全かを目で探す。子どもとか酔っぱらったおっさんが落ちないかどうかを目の端で気にしている。ほんとは緊急停止ボタンを押すのがいいのだろうけど。


だから俺は中国で電車轢かれそうな人を助けようとして、でも間一髪間に合わなくて、人生を終える。翌日のニュースでは「一名日本男子在试图帮助他的孩子的汽车中被撞死。」と報道される。日本でも「中国で邦人男性が子どもを助けようとして~」みたいな形でNHKあたりに流れる。


どの写真を使ってほしいかな。少しカッコつけたものより、いつもの笑顔の写真がいいかもな。最初は報道に驚くけど、俺の笑顔の写真を見て、テレビの前で皆少し笑う。葬式では皆思い出話に花を咲かせすぎて二次会まで行っちゃう。帰って少し晩酌して、「あいつのいない世界は少し面白くないな」と呟かれる。そんな人生がいい。

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