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「お前はいったい何をやりたいんだ?」


「俺も分かったら苦労してねえよ」と思わず言い返しそうになる。今朝、いつも通りに家を出ようとしたところ、親父に呼び止められた。就活の状況についてあれこれ尋ねられたあとに、はっきりと目を見てそう言われた。俺のクソみたいな未来をまるで自分のことのように案じるように。


前にも書いたけど俺の親父はめちゃくちゃ凄い人で、剣道界では名の知れた存在だ。小学校の時から剣道を始め、昨年教職を定年したものの再雇用となり、今の今まで剣を握っている。自身の成績もさることながら、教えてきた生徒を幾度となく全国の舞台に連れて行っている。その生涯を剣道に捧げてきたといっても過言ではないだろう。

俺が小さい頃は親父が指導している高校に何度も連れていかれた。行きたくなくて家の押し入れに隠れたりといった無駄な抵抗を試みたものの、その太い腕に捕まえられたら為す術もなかった。小学校低学年の俺が高校生の練習に混じったところで楽しいはずもなく、時には逃げ出して高校の敷地内を一人で散歩したりした。

親父に稽古をつけられている高校生たちは、当時小学生の俺でも「こりゃ強くなるわ」と素直に感じさせる練習量をこなしていた。最初は学生だけで準備運動をこなし、ある程度練習が進んだところで親父が武道場に入る。ピリッとした空気感が流れ、顔に緊張感が漂いだす。切り返し、各技の稽古、地稽古と進み、そして追い込みや打ち込み、かかり稽古を行う。特に最後のかかり稽古は死んじゃうんじゃないかってくらいキツそうだった。

何時間もの練習が終わり、親父を取り囲むように集まる生徒に、親父は厳しい顔つきで言葉を投げかける。生徒も神妙な面持ちで耳を傾ける。集合が解かれ、親父が武道場を出ていった途端に笑顔を見せる高校生たち。高校生は底なしにタフだった。

「先生の息子」として高校生たちに可愛がられる空間も居心地が良かったし、会話の節々に親父が尊敬されているというのが垣間見え、まるで自分のことのように嬉しかった。先生に殴られたことある、と笑いながらいう生徒もいれば、先生は本当に凄い、と低学年の俺に力説してくる生徒もいた。こんな厳しい先生だと嫌われないのかな、という息子ながらの心配も杞憂に終わった。

そして親父は練習後、必ずラーメン屋に行った。高校近くの汚い寂れたラーメン屋に行くこともあれば、少し車を走らせることもあった。正直いうと小さい頃はラーメンが全然好きではなかった。でも「旨いだろ?」と、俺が旨いと思うんだからお前も旨いはずだろ?と自信満々に、先ほどまでの厳しい表情が嘘だったかのような笑顔でそう言ってくる親父。親父も頑張ってることだし美味しいって言ってやるか、と謎の忖度で笑顔を返した。

けれども成長するにつれ、自分には剣の才能がないことをうすうすと感じ、高校卒業と共に剣道を辞めた。小学生の頃とは違い、剣道も親父のことも好きではなくなっていた俺は、大学では剣道とは無縁のアメフトを始めた。時たま剣道場からグラウンドまで響く、「きえぇぇぇぇ」とか「どっせぃぃぃ」の剣士個性の溢れる気合いや、竹刀同士がぶつかり合う響き、道場を踏み鳴らす人。その懐かしい音々が、淡く心に響いた。


「あいつ大学でアメフトなんか始めましてね、えぇ剣道はすっぱりと辞めまして。その迷いの無さが剣道に表れていたら、もう少しいいところまでいったとも思うんですけどね。」


大学一年目の帰省。寂しそうに笑う親父の姿を見た。別に親父のために剣道をしていたわけでもないし、とにべもなく思った。当時は実家を離れて済々した気持ちの方が強かったし、前にも書いた通り親父のことがまだまだ嫌いだった。

父は家庭を顧みない存在だと思っていた。小学校の運動会で親父の姿を見たことは無かった。大抵の連休は試合か遠征と重なり、どこかへ連れて行ってくれることも他家庭より格段に少なかったように感じる。思春期に入ると例にもれず反抗期も併発し、親父のことを避けるようになっていた。

でも今は、実家に戻って同じ食卓を囲む今になって、親父のその寂しさが分かる。ようやく、なのかもしれない。


俺のモラトリアム期間、そして親父の還暦にしてようやく得た比較的自由な時間の重なりで得た交流は、その寂しさの一抹を理解できるようになったように、今までは分かる由もなかったようなことも、なんとなく感じ取れるようになった。魂の交流とでもいうのだろうか。

その中で、親父の「人生のフェーズ」が変化している、とひしひしと感じる。親父はコロナの影響もあって、やはり以前ほどは剣道にかけられる時間は少なくなっていた。親父のもつ「覇気」みたいなもの、もちろん依然としてはあるものの、少なくとも五年前よりは小さくなっている。人間寄る年波には勝てないのだろう。

それが原因からか、自分の剣道の技量やその成果を周囲に「与える」段階から、剣道を通じて得たものを「遺す」段階に移っているような気がする。直接聞いたわけではない。まだまだ現役だ、と否定されるかもしれない。けれども言葉の節々や行動の数々から伺える、「何か」を世界に遺そうとする人間の本能的な行為。血のつながった家族だからかもしれない。雰囲気で分かるのだ。



「お前はいったい何をやりたいんだ?」

親父は俺の身を案じている。自身の生涯を捧げた剣道で得てきたものや人脈を総動員して、俺のやりたいことを全力で後押しをする準備をしている。自らの血肉を分けた存在を、自分なき世界でも羽ばたくことができるように、その全てを擲つ覚悟のようなものを言葉から感じる。


「俺さ、」

22年間の人生が走馬灯のように駆け巡り、ぐちゃぐちゃになり、思わず言葉につまる。俺さ、実は親父と違うんだよ。親父みたいに立派な人間じゃなくてさ。俺って本当に弱い人間で。親父が期待してくれるような人間じゃないんだよな。口から逃げそうになる言葉たちをぐっと飲みこむ。

親父、実は俺さ情熱の全てを捧げられるような、その人生の全てを費やしていいと思えるようなものが一つだけあるんだ。全然成功するか分かんないけど、むしろ失敗する未来の方が大きいかもしれないけど、これだけは譲れないものが一つだけあるんだ。

唾をのみ込む。覚悟を決めて、親父の目をまっすぐに見返す。



「俺、親父みたいにさ、」








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