〇〇君へ送るnote


インスタで繋がっているわけではないので、きっと彼には届かないでしょう。


彼とは二年生の時に一緒のクラスでした。彼は秀才と噂されていて、とても仲良かったというわけではないけど、生徒会長を務めていたことや、何かの代表として海外へ行っていたこと、東大に推薦で合格したことは今でも記憶の中に存在しています。
同じクラスになるまでは「自分とは住む世界が違うんだな」と思っていたけれど、下ネタに笑う姿やユーモアも人並みにあって、「彼も同じ人間なんだな」と思いました。

高校三年生の三月、上京を控えていた時にふとテレビを見ると、東大の推薦入試がニュースで報道され、彼がインタビューに応えていました。その年は東大が推薦入試を初めて行った年で、彼が第一期生として合格した年でもありました。すぐに携帯を開いて録画し、その動画を「いわきの誇り」というコメントと共にツイッターにアップすると、猛烈な数のいいねとリツイートがされて、なぜか自分のことのように嬉しかったです。

特段親しいわけではなかったのでSNSで繋がることもなく、たまに彼がツイッターでつぶやくのを眺める程度の関係性でした。ただフォローはしていなかったので、必ず彼の名前を検索して、彼のつぶやきを盗み見る形でした。彼のつぶやきはまるで自信を誇示するかのように難しい言葉が並び、理解が全く及びませんでしたが、見ているとさも自分も東大様のように賢くなった気がして、よくつぶやきを見ていました。

別に転機と言うわけでもないですが、大学二年くらいの頃、ある日彼がホストになったことを知りました。「歌舞伎町で一番偏差値の高い男」といった謳い文句で、銀髪で葉巻を加えた姿を載せていた姿は、決してホストたるカッコよさはありませんでしたが、「さすが○○君だ。常人とは一線を画している」と素直に感じさせました。当時の私は部活に所属している一般的な大学生で、何か「特別なもの」への憧れもあり、彼のホストに行きたいと思い連絡を取りました。彼は快諾し、割とすぐに歌舞伎町で会うことになりました。

歌舞伎町で待ち合わせた彼に対し、一度画像で見たことがあるものの、その高校時代とは違う姿に驚きが隠せませんでした。私たちは合流してすぐにHUBへ行きました。初めてのHUBだったのでのんきに椅子に座っている私に対し、スマートに商品を頼み、さりげなくご馳走してくれる○○君は、いい意味で高校時代の面影はなくなりつつありました。高校時代のことや、学業のことももちろん話しましたが、女性関係を赤裸々に語り、大学生ではそう簡単に経験できないことをさも当然のように語る○○君に限りなく尊敬に近い何かを抱きました。

一時間少し話したのちに彼のホストの勤務先にエスコートされ、その扉をくぐりました。男一人で、かつ部活をやっているガタイのいい色黒の男に、ホストの面々は少々面食らったようですが、すぐ一般のお客様のようにもてなしてくれました。卓にはなんと○○君含めホストが三人で接客してくれました。

しかし心底つまらなかった。緊張していたのもあり会話は弾まず、かつ学生なのでメニューも頼まない、頼みの綱の○○君は葉巻を吸いながら、細い声で何かを言っているが普通に聞き取れず、一瞬で興ざめし、彼への不信感さえ募りました。

勇気を出して早々に切り上げ、彼に帰ることを伝えました。駅まで見送ってくれた彼が、次は友達もつれてきてね、と優しく声をかけてくれましたが、多分もう二度と会うことはないな、と思いました。

そこからはまたツイッターで彼の投稿を見るだけになりました。彼が大学を休学し、地元で商売を始めるという投稿を見て、「へーすごいな」とは思いましたがそれだけでした。

ツイッターを見る限り、彼は何らかの病を抱えているとのことでした。ツイートは相も変わらず難解で頭の良さをうかがえましたが、少し世界に悲観しているようなツイートも増えました。またツイッターに鍵をかけたり、すぐに外したりを繰り返すのも、なんとなくの不安感を覚えさせました。

月日がたち、○○君のことは徐々に忘れていきました。大学四年生にもなると高校時代のメンツと連絡を取ることも限られてくるようになり、部活や就活のことを考えたり、また大学の友達との時間が多くなってくるので、彼が私との人生の関わりから外れていくのはごく自然でした。

そして今日ふと○○君のことを久しぶりに思い出し、ツイッターを開きました。投稿を見ると、コロナの影響を受けお店は休業していて、すさんだ生活をしているように見えました。彼のプライバシーもあるので言いませんが、想像より辛い状況にあるようでした。


人生とはなんなのでしょうか。

学業も優秀、人格者であり、なおかつ東大という姿は「人生の成功」に最も近いと思っていました。しかし現実では、ツイッターの情報でしか知りませんが、彼は苦境に立たされ、以前の僕が尊敬していたような姿はありません(僕が勝手に尊敬していただけです)。

実は僕は大学で哲学を専攻しており、「生きる意味とは何か」という題で卒業論文を書きました。ナチス収容所の体験を描き、生きる意味を説いたV・E・フランクルを基に、私自身の生きる意味、人生の意味について考えました。

健康優良児として育ち、親に大学まで進学させてもらい、晴れて四月から社会人として働き始める私も苦境とは他人事ではありません。仕事に悩み鬱になる可能性、仕事に追われ人生の意味など考える暇もないほど時間に追われる生活、もしかしたら自分のやりたいことを中心に生活できる可能性、つまらない人生を送る可能性、プラスの人生もマイナスの人生も両方考えられます。

何のために生き、何のために人生を送るのか。

私の特技は「間接的に他人の幸せを願う」ことです。関わりのなくなった小中高の友達、世界で貧困にあえぐ人々、コロナで苦しむ飲食店の方々。私が現実から目を背けた瞬間に、疎遠になった友達はそれぞれのフィールドで活躍し、世界はよりよくなっていき、なんだかんだいってコロナは収まって飲食店にも余裕で通えるようになる。

彼らは私の想像の中で幸せに生き続けることができます。必要なのは私自身の精神の安定だけです。

でも、それでもいつか現実を直視せざるを得ない日が訪れるでしょう。逃げることはしません。ただそれまで実り多い日を過ごしたいと願うだけです。


連絡を取っていない方々が、少なくとも人生に何らかの負の感情を抱いていなければ幸いです。

話を聞くことしかできませんが、何らかの形で貢献できることがあれば連絡をください。

読んでいただき本当に本当にありがとうございます! サポートしようかな、と思っていただいたお気持ちだけで十分すぎるほど嬉しいです。いつか是非お礼をさせてください!