いくつになっても母ははは❶ 育児回顧録
2022年1月11日
noteを始める。
良く分からないながらも始めた理由は…
夢に真樹さんが出てきたから。
朝の出勤時に真樹さんと同じ
車種で同じ色の車を2台みたから。
(まきさんの車はオレンジ色です今まで出勤時に一度も見た事ありません。)
ただそれだけ。
真樹さんとは私の大好きな女性。
そして、私のヒプノセラピーの師匠です。
今年、2022年3回しか無い最強、最良日
何かを始めると何万倍にもなるおめでたい日に真似したのが始まりです^ ^
始めたは良いが、何をnoteに残すのか
あちらもこちらもてんでばらばら発信。
考えた末…
子育て回顧録にしました。
子育ての想い出。
それでは^ ^
始まり、はじまり〜
私は3人を無事出産しました。
2人流産して、ひとりは中絶しました。
1993年6月3日10時38分
静岡市橋本産婦人科にて
1人目の長女誕生。
6ヶ月まで仕事をしてましたので
3ヶ月ごろ出血があり、入院を
しましたが、その後は順調で
予定日の1週間前に誕生しました。
ちなみに、
予定日は令和天皇陛下の
ご結婚パレードの6月9日でした。
陣痛が始まったのは3日深夜
大雨の日。病院に連絡したら
痛みの感覚が10分間隔になったら
来院して下さいとの事。
はじめてのお産でしたが
何だか妙に落ち着いてました。
入院用意は揃えてあるし
退院後の赤ちゃんの準備もオッケー^ ^
おっきなお腹をさすりながら
病院へ向かいました。
当時、5階のエレベーターなし団地に
住んでたので、階段の一段一段を
ゆっくり降りて行ったなぁ〜
夜中の3時前後、大雨の中
旦那さんに送ってもらって…
(旦那さんは雨男なのか?我が家の節目は雨降りばかりです。結婚式も雨でした^^;)
途中、これは破水なのか?
なんて思いながら病院に着きました。
「陣痛室でもう少しここで
休みましょう。
子宮口が開くまでね。
そうねーもう少しかかりそうね。」
看護婦さんはそう言って詰所に
戻っていきました。
旦那さんは腰をさすってくれたかな。
きっとくれてたよね笑
あんまり憶えてないなぁ〜
とにかく、生理痛のすごいのが
何分ごとに波寄せてくる感じだったような
それもはっきり憶えてないや笑
あんなに痛かったのに(゚o゚;;