ちょっとした贅沢

noteを書こうとしたら,「こんにちは。午後も頑張りましょう」と表示される。少しありがたく,頑張ろうという気持ちになる反面,うるせぇもう頑張ってるわと思う気持ちも湧いてしまう。

こうひねくれた感情が浮かぶのも,今日は調子が悪いせいだろう。雨も降っているし,どうも何かをする気になれない。
今日は空きコマの時間に図書館で金曜の授業の予習でもしようと思っていたのだが,教科書を開いてもその内容がどうも頭の中に入る気もせず,読んでいるというよりかはただ文字の羅列を見ているような感じとなってしまう。
ついでに,お気に入りの筆記具も家に忘れてしまった。忘れ物をよくするので予備はあるものの,やはり気が削がれてしまう。お気に入りの道具の存在は重要だ。

とりあえず,今日は誰がなんと言おうと調子が悪いのである。そんなときであっても自分の調子は自分でどうにか整えなければならないし,それが原因で機嫌が悪くなるなど自分だけでなく他人にも迷惑がかかってしまう。そんなときに私がするのは,「ちょっとした贅沢」だ。

贅沢とは言っても,極めてシンプルなものである。例えば,普段は食べないようなちょっと高めの昼食を摂るとか,そういうものだ。今日は珍しくパン屋でパンを買った。それなりに値は張るが,美味しかったのでまぁ良い。ついでにレジ袋まで買ってしまった。3円分の贅沢である。環境問題に関しては日頃レジ袋などを購入しているわけでもないのでこの際目をつぶってほしい。

このような「ちょっとした贅沢」は普段とは異なる行動をとることによってちょっとしたウキウキ感を与えてくれる。金を使うという快感も得られることも良いポイントである。自分への快感だけでなく,経済までも刺激するのであるから極めて素晴らしいストレスへの対処法といえる。そして,これによって半ば強制的に気分が上がり,多少調子が悪くてもまぁいいやという気持ちにさせてくれる。これが重要なのだ。さくらももこもどっかのエッセイで言っていたが,調子が悪いときはしょうがないのだ。やる気とかそういう問題ではない。であるならば,普段どおりの効率その他は期待せず,自分自身の気分向上に注力し,アウトプットの類は調子が良いときのの0.1%くらいでも得られればそれで良いことにするべきだ。

ちなみに,ちょっとした贅沢でも気分が上がらなければ形容詞を取っ払い単に「贅沢」をするのも良い。これは,前々から買いたかったが現実的思考により踏ん切りがつかなかったものをこの際買ってしまうなどが挙げられる。そんなことをしたらもったいないと思われるかもしれないが,平時はペイしなくとも,このような場合「買う」という満足感という価値がプラスされるので充分ペイするのである。そんなわけで,とことん自分に甘くすることを心がけていきたい。ストイックな人に怒られそうだが,人は人,自分は自分なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?