継続こそ力なりって言うけど継続のしかたも大事よね、って話。
世の中にはこういったnoteみたいに「文章を書く」といったことを毎日続けている人がいて、いやもっと言うと文章に限らず毎日何かを継続している人がいて。そういう「毎日続ける」という行動ができる人は、本当にすごいなと思う(語彙力
僕にとって継続という行動は決して簡単ではなく、むしろ苦手な部類に入る。飽きっぽく、ムラがあり、その日その日の気分でやったりやらなかったり。
このnoteだって、当初はそれなりの頻度で書いてた。なんだけど、いつの間にか仕事が忙しくなり、さらには自分がやりたいと言った「起業」という活動が思いのほか大変で(そらそやろ)、「久しぶりにnoteでも書こっかなぁー」とか思う余裕なんか虹の向こうへと消え去った。
今こうやってnoteを書いているけど、そもそもnoteの画面を開いたのがめちゃくちゃ久しぶり。危うくこのまま二度とnoteを書かずに人生を全うするところだった。
そんな「継続は力なり」とは対極にいる僕が、この数ヶ月間は、本業と起業と言う二つの「業」を、僕なりのやり方で継続しようとしてきました。その途中には躓いたり挫折することもあったり、頭と感情が爆発したり、まぁ色々大変でした。その中で感じたのは「いや、継続のしかたって大事だわ」と言う気づきでした。
今までは「自分は何をやりたいか」とかそう言う切り口での自分への問いかけはしてきたけど、「そのやり方って続けられるん?その辺どんな感じ?」と言った「自分自身の行動に対する持続可能性」と言う切り口での問いかけはしてこなかったなと。
一体この数ヶ月間で何が起きたのか、一緒に見ていきましょう(しいたけ風)
怒涛のように過ぎた4月と5月
4月は卯月、Aprir。5月は皐月、May。それぞ30日と31日という期間があったはずなんだけど、僕としては4月と5月は「そんなもの存在しなかった」という感覚を持ってる。本当に、実際に、一切の誇張表現を排除した上で改めて言う。4月と5月は存在しなかった。信じて欲しい。
もちろん冗談だし、当然4月も5月も存在するんだけど、本当になかったんじゃないのか?と思うほど一瞬で過ぎ去って行った。この調子で行くとあっという間に100歳になる、あっと言う間にグッバイ世界。そんな感覚すら覚える。
あっという間だったのには二つの理由がある。一つ目の理由は、本業が超絶忙しくなったこと。2月ぐらいまでは、少し忙しい時があるぐらいで余裕をかませる程度だったけど、3月後半から5月いっぱいまでは言葉通りアクセル全開、床が踏み抜けるんじゃないかってぐらいアクセル踏んでた。
そんなフルスロットル状態で仕事をしていると、当然疲れも出てくる。それは肉体的なものもそうだし、精神的なものもそう。その状態で、4月と5月をなかったことにした二つ目の理由である「起業」が入ってくる。
僕のことをリアルで知ってる人はもしかしたら知ってるかもだけど、僕はスナバの実践型プログラムSBB=スナバ・ビジネスモデル・ブートキャンプってのに参加してた。簡単に言うと、半年間にわたって、自分が持っていくアイデアを事業の形にしていくプログラム。
色んな人のサポートや、メンターの人からのアドバイス、時には愛のムチ(涙目)などを受けながら、本気でやっていった。SBBについての詳細はまた別の機会に書くかもだけど、本当に本当に簡単に感想だけ書くと、やって良かったと思ってる(公文式)
ただ、このプログラムに対して「ちゃんとやろ」と考えた僕は、僕なりの本気で挑んだ。だけど本気で挑めば当然疲れも出てくる。それは肉体的なものもそうだし、精神的なものもそう。その状態で、、あれ?この話さっきも出てこなかった?そう、僕はいつの間にか本業=サラリーマンとしての仕事と、起業=たけちゅーとしてやりたいことの両方にフルスロットルで挑んでいた。
こうやって書くと、もしかしたら100人に1人は「すごいじゃんたけちゅー」って思うかもだけど、当の本人は文字通り満身創痍のボロボロになってた。だから全然すごくない、すごいの「すの字」もない。この先の人生で、当時のボロボロっぷりをいかにネタにしていくかを真剣に考えなければならないほど、ボロボロだった。
考えることを止められなくなった
僕は自分自身のことを「超絶適当でいい加減なヤツ」と認識しているし、それに違わぬ数々の適当&いい加減エピソードを持ってる(大学の願書申込締め切りの当日まで願書書いてないとか)だけど、周りの人からはそうは見えてないらしく、むしろ「真面目か」って言われるほどクソ真面目なヤツに見えるらしい。
確かにいくつかの場面においてはそういう「マジメな一面」もあるのかもしれないけど、今まではそれに実感伴うことはなかった。だけど最近になって知った、僕は真面目すぎる一面がある。この4月と5月、特に4月の中旬ぐらいまでは、常に自分の事業のことを考えていたし、考えるだけじゃなくてアイデアを色々紙に書き出して、整理して、また再構築してみて。などなど。
当時(と言っても2ヶ月前)の僕は事業内容に関して躓いていて、それをなんとか形にして前に進めようと結構必死だった。色んな人に話をしたり、アドバイスをもらったけど、どうもしっくり来ない。どうにも次の一歩が見えてこない。どうすりゃいいんだこれ。まずいぞ。そんな心境だった。
だから僕はずっと考え続けた。だけどこの表現は正確ではない。考えることを止められなくなった、こっちの方が表現として正しい。寝てる時以外は考えてしまう。ご飯食べてても、お風呂入ってても、YouTube見てても、仕事の昼休みでも、通勤の車の中でも、ずっと考えてしまう。そこに本業の仕事のことも入ってくる。あれ?休みはどこ?
こういう状態になった人は、もしかしたら分かるのかもしれないけど、気が休まることがなかった。脳みそのスイッチをオフにすることが出来なくなってしまった感じだった。こうやって文字で書く以上に、精神的に「キツい時期」だった。で、その状態が続いて結局最後どうなったかっていうと、大号泣。岡本太郎の芸術ばりに、僕の感情が爆発した。
35歳のおじさんが、人前で大号泣するって、それってどうなん?自分のことちゃんとメンテナンス出来てないやん、もうちょっと自分と上手く付き合ったら?っていう話だと思うんだけど、それは本当にその通り、ぐうの音も出ません。
継続の方法を考えようね
この言葉に尽きると思う。継続の方法を考えようね。確かに継続は力ななりだと思うし、仕事も起業も僕なりに本気で挑んだから、見えてきたものや得られたものあると思う。だけどそのプロセスを通して、自分自身の心身の疲労を防ぐことが出来なかった。特に精神的な疲労ね。
3年前に精神的に崩れてしまった経験があり、自分自身も心身の健康が守るべき最大の資本であると認識していたつもりだったけど、それでもダメだった。幸い今回は一回大号泣してすんだし、その後色んな巡り合わせもあって仲間ができて、色々前進して行けるようになった。とはいえ、当時は決して良い状態とは言えなかった。
何かをするあたっては、続けることが重要なことの一つだと思う。健康になるために運動したり、仕事のスキルアップのために何かを学んだり、起業しようとしてみたり。一回やっただけじゃ何も変わらないから続ける必要がある。当たり前じゃんね、そんなこと。
だけど、誰もその継続の仕方までは教えてくれない。それは多分、持続可能な継続のスタイルが、人によって違うからだと思う。急にSDGsっぽくなったけど、本当にそうなんだと思う。持続可能な継続、つまり無理なく続けるって言うこと。シンプルなんだけど、自分にとって「どんなスタイルが持続可能か」ってのはなかなか分からない。
だからこそ、自分は何がしたい?を自分自身に問いかけるのと同じぐらい、どんなやり方なら続けられる?と問いかけるのも重要だと思う。めちゃくちゃ成果が出るやり方だとしても、自分にとって続けられない=持続可能ではない、というのであれば、それは果たして取り入れるべきかどうかを立ち止まって考える必要もあると思う。
もちろん、どこかでキツイ場面に遭遇することもあると思うけど、そのキツさも程度問題で「耐えられない、辛すぎる」みたいな状態になれば、いったんストップだと思う。スポーツ選手もハードなトレーニングしてるけど、耐えられる&その後回復できる程度の強度でトレーニングをしている。それは僕ら一般の人でもそうだと思う。
自分で続けられる程度で続けていくことが、本当の意味での「継続は力なり」になってくるんだと思う。