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客観的に見て、何のスキルもない僕は、どうすべきか
今年僕が立ち上げた、社会人向けキャリア自律プログラム、KO・E・RU。これは僕一人で立ち上げたんじゃなくて、みんなの力で立ち上げたものです。いやむしろ、関わってくれる人達の尽力と努力が尋常じゃなく、それを目の当たりにした僕は感謝しきれんぐらい感謝すると同時に、ふと「自分は何ができるんだろ」と思うことがよくあります。
自分には何ができるんだろ。多くの人が、これまで生きてきた中で、最低1回ぐらいは思ったことがあることかなと思います。この文言を少し分解して考えると、
何が ・ できる
つまり"what"と"can"ってのがポイントで(まんまやん)、多少論理の飛躍があるとは認識しつつも、ある意味「スキル」を表しているのかな?と思ったりします。
スキル。営業のスキル、設計のスキル、生産管理のスキル、事業戦略立案のスキル。そういう風な感じで、スキルって言葉はよく耳にしますよね。これは言い換えると
営業ができる
設計ができる
生産管理ができる
事業戦略を立案できる
ってことになるのかなと思いますが、これは”スキル”って言葉を「仕事を進める上での特定の分野における技能」と定義しているからなのかもしれません(スキルの正しい意味は分かってませんが。。)
で、そうやってスキルって言葉を定義した上で、ふとKO・E・RUにおける自分自身を客観視すると、それはまさに「何のスキルもない」という結論に辿り着きます。例え如何なるルートを通ろうとも、着地点は同じです。
なんだけど、KO・E・RUにおける僕が「何のスキルもない」ということに対して、落胆するようなこともなければ、開き直っているようなこともありません。客観的に「自分本当に何もできないな」と自分のことを認識しているだけです。
事実を事実のままに
KO・E・RUってのは、簡単にいうと、自分らしいキャリアに向かって踏み出す人をサポートする3ヶ月間の実践型プログラムです。手前味噌ではありますが、KO・E・RUのwebも作りましたし、実は30sta!さんに取材していただきました(見てくれたらめっちゃ嬉しいなぁー、人生で初めて取材もされたし)
一方的な宣伝はここまでとして本題に戻りますが、KO・E ・RUでは僕には出来ない&知らないことが多く必要になってきます。パッと思いつくだけでも
イベント企画
キャリア理論に関する知見
セールス
パートナーの取り付け
取材(していただく)アポ取り
などなど。
これらは全て、一緒に運営してくれているメンバー一人一人の、尋常ならざる尽力&協力があって出来ています。本当に、僕は何もできないし知らない。それは紛れもなく事実なんです。だから僕は、事実を事実としてそのまま受け入れる必要があると思ってます。「そんなわけない!俺はできる!」なんて言っても意味ないですから。
だけど、それで落ち込むことはなくて「あぁこれは本当にできないヤツだ」と思って、みんなに協力をお願いしているような感じです(みんな本当にありがとう)落ち込まないとは言えど「あぁ本当に何もできんな、はは。。」ぐらいの気分になることはありますけどね。
ただ、できない&知らないに落ち込むことはなかったけど、何にもできない自分がKO・E・RUの中心にいていいのか?自分は何をすべきなんだ?と自分に問いかけることは多いです。落胆でも卑下でも開き直りでもない、客観と問い。
別に誰かに褒めて欲しいわけじゃないし、褒められる内容でもないんだけど、自分は何をすべきなんだ?は毎日考えてる。というか考えちゃうって感じです。というか、もしかしてそこが、このKO・E・RUという事業において一番重要なことなのかな?と思ったりしてます。
何をすべきだ?という問いへの答え
何もできない自分は、何をすべきか。この禅問答みたいな問いに、満足いく答えはまだ出せてません。おそらく当分の間は問い続けることになると思うけど、最近ぼんやりと「問いに対する答えの影」は思い浮かんできた気がする。それは
自分のビジョンを持ち続けること
自分の旗を掲げること
という二つ。なんかこうやって書くとカッコつけたみたいに思われそうですが、今の時点ではこう思ってます。また、「何だ、たけちゅーはそんなことしかしてないのか」とも思われそうですが、これはこれで僕なりに意味があると思ってます。
自分のビジョンを持ち続ける。何も出来ない=スキルはないけど、どういう世界を実現したいか、それを自分の中に持ち続けることは、全ての行動の原点になるのかなと思います。全ての行動、それは自分だけでなく、周りの人も含めて、です。正直僕は、将来のことをありありと具体的に描いたり、将来に向けた作戦や道筋を描くのは大の苦手です。だから僕が思い描くのは
一人でも多くの人が楽しく働ける社会
というぐらいの粒度の荒いものです。だけど正直、もしこれがなくなったらもうおしまいかと。自分は何がしたいんだっけ?みんなにどこに向かってもらいたいんだっけ?つまり進む先を見失っちゃうと思います。そしてこのビジョンや描いた未来を旗に掲げ、場の中心にいるってのが大事だったりするのかなと思います。
何というか、僕は周りの人を巻き込んだりグイグイ引っ張って、みんなの「先頭に立つ」みたいなことは苦手です。だから僕は、場の中心にいて「KO・E・RUってのは、こういう未来を実現したくて、僕がやり始めました。みんなのおかげで成り立ってます。」と言って自分の旗を掲げ続けることが、僕のやるべきことなのかなと思ってます。
少しずつだけど、旗を掲げる僕に共感してくれる人が現れて、一人また一人と、自分の取り組みに参加してくれるようになってくれる。もしかしたら離れていく人もきっといるかもだけど、自分が描いた旗を掲げ続けると、また次の展開がみえてくるような。
実際僕が、本当にKO・E・RUの中心にいて、このビジョンを掲げ続けられているかは分かりません。ふらふら旗が揺れて、今にも倒れそうな時もあるかもしれないし、もしかしたら完全に旗が倒れてる時もあるかもしれません。だけどそういった時に、旗を立て直したり、旗を倒すまいと何とか耐えようとしたり。そういうことが、KO・E・RUにおいて僕がやるべきことなのかもしれません。
ビジョンを持ち、旗を掲げ、その旗を掲げ続ける。
簡単ではないと思います。僕は普通の人間だし、何なら多分色々と弱い方です。そんな僕でも、いやそんな僕だからこそ、旗を掲げ続けることに意味があるのかもしれません。共感してくれる人に、自分の旗を見つけてもらいたい。倒れたら立て直す。一人じゃ無理、みんなの力を借りて立て直す。そんな風にしていきたいと思います。
今日はここまで。おしまい。