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起業という選択肢をとる高校生を見て

先日、スナバで開かれた高校生の事業ピッチイベントを見てきました。コロナ禍だけど、徹底した衛生管理の元、オフラインとオンラインの併用で開催された高校生達の事業発表。

僕とは20ぐらい歳が離れた高校生達の事業ピッチを見た時に、色々考えさせられることがありました。上手く言葉にできるかな。

やってみたいに出会わなかった10年間

いきなり自分の話をするのは大変恐縮ですが、、

僕は今35歳、働き始めて11年とちょっと。エンジニアとして、良いことも悪いことも色々経験した。ただ、そのエンジニアという仕事の中で「やってみたい」に出会ったことがない。それが結論。

言われたからやる。やらなきゃダメだからやる。ミッションだからやる。そういうスタンスで働いてきた。これを見た多くの人は「なんて主体性のないヤツなんだ」と思うだろうけど、本当にその通りで、恥ずかしながら実に主体性のないエンジニアだと思う。

ただ、主体性がゼロというわけではなく、果たすべき役割・ミッション、達成すべきQCDについては責任を持ち、色んな人の助けを借りて取り組んできた。なんの意味もない強がりに聞こえると思うけど、取り組みに対しては適正な評価もされてきたと思う(ほんとどうでもいいな)

もしかしたら、いわゆる「真面目なヤツ」だったかもしれない。仕事はある程度できるし、真面目で責任感もある、冗談言っても大丈夫。会社にとっては扱いやすいし、仕事を任せることができるヤツだったのかもしれない。

でも、仕事において「やりたい」と思うことはなかった。なので、仕事においては外発的動機によって僕は動いており、内発的動機(=やってみたい)によって活動をしたことはない。だから楽しいと思ったことがない。

だけどその一方で「今の仕事は楽しくないけど、じゃあ僕のやりたいことって何だろ」という問いによくぶつかってた。もっと現実的に「僕の出来ることって何だろ」という感じだったかもしれない。

いずれにせよ、僕自身はやりたいことが分からないまま、20代中盤から30代中盤までを過ごした。けど、もしも今の僕に「やってみたい」という気持ち&ぶつける対象が存在したならば、それはとても素晴らしいことだと思うし、何よりとても楽しいことだと思う。

でもそれを、高校生の時点でやっている人達が、僕の近くにいた。

「やってみたい」がある素晴らしさ

高校生達の事業ピッチを見ててずっと感じてたのは「みんなやってみたいことがあるんだ、素晴らしいな」ということ。なんならちょっと羨ましかった。僕が高校生の時なんか、やりたいことなんてなかったから、余計にそう思う。

ただ、「やってみたい」の実現手段として起業を選んだがゆえ、色んな苦悩があっただろうし、それに向き合いながら前進することは、簡単なことではなかったと思う。

だけど「やってみたい」がきっかけとなって動き出したなら、その先で立ち止まったとしても、また動き出せる時が来るのかなと思う。その理由はシンプルで、自分の中に「やってみたい」が芽生え、それに気づいたから。

一度自分の気持ちに気づいたら、それにフタをし続けることは難しいし、何よりその気持ちの通りに進むのが楽しいと思う。だから、立ち止まってもまた進めるんじゃないかな。

翻って自分自身を見つめると、見事なまでに自分自身の気持ちに気づくことなく、あるいは気づいたとしてもフタをしながら、これまで生きてきたなと思う。もっと言うと、色んな場面で言い訳もしてきたなと思う。

自分がやりたくてやってるワケじゃない。だから今のこういう状況になったのは自分のせいじゃない。周りに言われたから、あの人があぁ言ったから。そういう場面が、これまでの僕の人生に少なからずあったように思う。

そうやって社会人生活の大半を過ごしてきた僕にとって、目の前で事業ピッチをしてくれた高校生達から発信された「やってみたい」は、想像を絶するほどの清々しさだった。

ただ、その清々しさを上手く言葉にすることができず、ただただ頭の中「すごいなぁ」という陳腐な言葉が出てくるだけだった。

ゲームのコントーローラーを自分で持つ

これはあくまで僕の個人的な感覚だけど、「やってみたい」があるということは【自分の人生というゲームのコントローラーを自分で持つ】ってことのような気がする。

僕が小学校の頃、ニンテンドー64(ロクヨン)というゲーム機が世の中に出た。友達の家で初めてマリオカート64(マリカー)をやった時に、あまりの面白さに感動した。

その後幸運なことに、我が家にもロクヨン+マリカーが導入されて、家で弟とずっと遊んでた。あまりに遊びすぎるから、両親に怒られたけどお構いなし。「ロクヨンやりたい」には勝てず、コントローラーを握り続けて遊んでいた。

そういう行動に至ったのは、純粋にロクヨンで遊ぶのが楽しかったからだと思う。やりたくて楽しいものが目の前にあるのに、自分のコントローラーを手放すなんて考えられない。それって本質的には、大人になっても一緒だと思う。

シンプルに、もし目の前に自分の「やりたいこと」があって、それを自分で出来るのであれば、多分やった方が楽しい思う。それはつまり、自分の気持ちに正直になり、自分の人生というゲームの主導権を握るってことだなと。

そう思った時に、事業ピッチをした高校生達はみんな、自分人生のコントローラーを自分で持っているように思えた。そこに素晴らしさを感じた。

ほんとは身近な”起業”

僕自身は今起業しようとしているから、昔に比べて「起業」という存在が少しだけ身近になったように思う。だけど多くの人にとっては、起業という選択肢はどこか別の世界の話に感じるんじゃないかな。違う星の人。自分には無関係。そういう距離感。

でもそういう感覚になるのも無理ないと思う。起業というと、スティーブ・ジョブズとか、イーロン・マスクとか、ビル・ゲイツとか、ものすごく天才的なひとがやってて、意味不明な金額の資金を調達し、想像的かつ破壊的イノベーションを起こしていく。そんなイメージ。

もちろん、そんなぶっ飛んだ人は起業家の中でも一握りだし、多くの起業家はもっと身近なところに事業の機会を見出し、ビジネスを立ち上げて行ってると思う。ただ、そういった身近な起業家の話を見聞きすることは少なく、ましてや実際に会う機会はもっと少ない。

でも僕の目の前には、身近な課題に目を向けて、それを解決するための事業を立ち上げ様とする高校生がいた。しかも7人も。

7人の姿を見た時に初めて「起業って本当はもっと身近なんだな」と思った。もっというと彼ら・彼女らの存在そのものが、社会が持つ”起業に対する心理的ハードル”を下げることにも繋がっていると思う。

起業しようとしている人が身近にいる、その人達の思考や行動が見える。それが周りの人に伝播し、やがて”起業する”という選択肢をより身近なものにしていく。高校生起業家っていうのは、そういう【波】の起点になるんじゃないかな。

そんなところまで思いを馳せるほど、今回見た事業ピッチは、僕にとってはインパクトがあるものだった。みなさんお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

今日はここまで。

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