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【持たざる者】
この世では、何かを持っている人間がいます。その何かとは人間が意識して身に付けられるものではないモノのことです。
運であったり、身体能力であったり、後天的に身に付けられるものではないモノを生まれた時から持っている人間がいるのです。
私は自分自身では、その何かを持っている人間ではないと自負しております。
私のプレースタイルを知っている方なら良くお分かりかと思いますが、スピード、テクニック、フィジカル、どの要素を切り取って見たとしても私はずば抜けて優れているものはありません。
小学生時代は、周りの選手に比べて身体も大きく、チームの中で足も速い方だったため、相対的ではあるものの身体能力が高かったと言えるでしょう。
ただ、中学、高校と進んでいくにつれてセレクションや推薦を勝ち抜いてきた選手達の中に混じると、武器であった身体能力はすぐさま武器ではなくなってしまいました。
アスリートとして最も成長の度合いが高い、ゴールデンエイジに身体能力に頼ったプレーをしていたため、武器である身体能力が通用しなくなった私には何も残っていませんでした。
転機
私にプレーヤーとしての大きな転機が訪れたのは高校時代でした。中学時代までは、センターバックとしてプレーしていたのですが高校でボランチにコンバートされました。
身長的にセンターバックは厳しいとスタッフ陣に判断されたのか、私としては驚きと悔しさでいっぱいでした。
ただ、この出来事がなければここまでサッカーを続けられていなかったと今になって感じています。
小中9年間センターバックしかやってこなかったこともあり、ボランチとしてのプレーはとても試合に出るに値する選手ではなく、無力感に襲われていました。
味方からボールを受けられない、貰っても繋げられない、相手からボールを奪えない、ポジショニングが悪い、ボランチとして必要な要素を何も満たせていませんでした。
ただチームメイトのセンターバックは安定している選手が多く、チームとしては試合に勝てていたのでセンターバックとして生きていくことを諦めました。
自分の居場所はそこにあるものではなく、掴み取らなければならない。
己を貫くだけではなく、環境に適応することで何かを掴もうと考えたのはこの時が初めてでした。
凡事徹底
高校の私の恩師が、常日頃から大事にしていた言葉に凡事徹底という言葉がありました。この言葉は、
「なんでもないような当たり前のことを徹底的に行うこと、または当たり前なことを極めて他の追随を許さないこと」
という意味です。
何かを持っていない私からするとこの言葉は金言でした。サッカー選手において当たり前のことである、走ること、最後まで諦めないことをやり続けることで新しく見えてくるものがあると考えました。
サッカー選手として最低限のことを高いレベルで徹底する事が私の生きていく道になると少しずつ手応えを掴んでいきました。
突出した武器を持たない人間だったからこそ、疎かにしがちな当たり前の重要さに気付くことができたのです。
先天的に身体能力を持っている選手は、元々持っているもので何とかなってしまう傾向にあり、武器を最大限に活かすためのアプローチを行うはずです。
ただ、そこで満足してしまうと必ずどこかで壁にぶつかってしまうはずです。上には上がいる世界なので武器として信じてきたものが通用しなくなる瞬間が必ずきてしまいます。
アダマ・トラオレ(ウルブズのキン肉マン)
ロメロ・ルカク(チェルシーの巨神兵)レベルまで突出すると話は別ですが。。。
積む
当たり前のことを極めて平均点を上げていくことで必ずしも成功出来るかと言えばそうではありません。プロの世界では、当たり前のことをできた上で、何か突出した武器を持った人間が集まっている世界なのです。
その領域まで辿り着くためには、後天的に身につけられるものを武器と言えるレベルまで積むことが必要です。
ただ、先天的なものは身につけられないと諦める訳ではありません。フィジカルは筋トレ、食事と睡眠。テクニックは、基礎技術とボールフィーリング、スピードはスプリントトレーニングやアジリティ。
持っていないから諦めるのではなく、持っている人間に少しでも近づくためのアプローチをした上で持っていない人間としての強みを出していくことで、持っている人間に勝つことができるはずです。私は、そう信じています。
何かを持っている人間を羨ましいと思うことも沢山ありました、あんなスピードやフィジカルがあったら、、
ただ、ないものねだりをしたところで何も得ることは出来ないと気付けたのは、私が持たざる者であったからです。
(by ハイキュー)
持たざる者で心から良かったと言えます。
それでは、また。