企画やコンテンツで「どこまで頑張るか」の線引きの難しさ
自己啓発系の本になんてそれほど興味がなかったのですが、たまたま見かけたこの方のこの一言にだけ、ちょっとビビっときました(古い)。自分で起業した方の話で、本とかは特に読んでません(広告が多いのでリンクは踏まなくてもいいです)。
実際に自分も会社では、「もらったお金以上のことはしなくていい」とコスト管理のことばかりを、コロナ明けから言われるようになりました。具体的に制限されるのは、コンテンツの量、社員の稼働時間です。
ですが、「もらった金額の範囲の仕事ではPVが上がらず、価値が高まらず、結果的に成果が出せない。それは予算が低いせいだから、予算を上げて欲しい」などと言って、通用する会社がいまあるでしょうか?
何らかのかたちで成果が上がることを示す頑張りがなければ、次の仕事にはつながりませんし、信頼も得られません。
鶏と卵、どちらが先かと言われれば、「卵を産む力があることを示す」ことが先なのだと思っています。
コスト論で営業や企画を成立させるには
こういった考え方は、会社自体がエンジニア主体、つまりプログラムなどのモノを作っているベンチャー企業などの場合、業務のほとんどが人件費なので、そういう考え方をしてしまいがちです。
ただ、そのメソッド=成功体験を営業や企画にも持ち込もうとすることにはどうしようもない無理があります。
相手が求めること、求めていそうなことを率先してやることが、果たして「与えられた業務以上にやりすぎなサービス」なのか、どこまで対応すべきか、というところは、おそらく業界の永遠のテーマだと思います。
これが実現できるのは、著名なライターなど価値が社会的に認められている、一部の人たちだけです。
ライターとしては、事前確認と、出し惜しみしないことを徹底
個人的に私がどうしているか、ということも一応書いておきますと…
まず、相手がどんなことを求めているのか、どの程度までこちらにできるのかは、事前の打ち合わせや企画書などで必ず確認しておきます。
そして、原稿に関して出し惜しみをすることは基本的にしません。依頼された記事で、それが取材記事であれ調査記事であれ、「この部分は他で別の記事にしよう」とか考え始めるとおかしなことになっていきます。
知り合いのライターで、ある会社から依頼された取材の時の話を、別の媒体などで書いている人がいました。契約で明確かはわかりませんが、フリーランスで経費などが出ていない場合はライター側に、経費なども出してもらっている場合は編集部側にイニシアチブがあると考えています。
ただ、その場で取材した体験や知識自体は自分自身に蓄積していきます。なので、どこかでその例を使っても悪いとまでは言えないでしょう。線引きが難しい部分もあります。
そして、これらのことはすべて、「相手が信頼できる人かどうか」というところをすべての判断のベースにしています。この人のためなら頑張ろうと思えるか、この人と仕事をしたいと思えるか。とりあえずやっておけばいいという感じで、ろくに校正もしない編集者と、素材原稿として渡してあとはこっちでやります的な編集者にはやはり、手は抜きませんがそれほど意欲的にはなりません。
自分が編集者だからということもありますが、どちらの気持ちもわかるからこそ、誠実に対応したいとは思っています。