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今こそ自己判断のとき

新型コロナウイルスの蔓延が止まらない今、これまで以上に自己判断の重要性が増しています。ポイントは責任の問われない自己判断をどう考えるか、という点です。

現在日本では、自己判断の結果に責任を問うことができ、その責任をとりうる場合は、基本的に自由に自己判断を行うことが許されています。一方で、自己判断の結果に責任を問うことが難しく、その責任をとることができない場合はどうでしょうか?

自己判断が制限されているのは子供

典型的なのが子供です。子供には判断の責任を問うことも、その責任をとることも難しいので、自由に自己判断を行うことができず大人の指導に従うべき、とされています。その根本には、子供は判断力が大人に比べて低いと考えられるという前提があります。

昨今の新型コロナウイルス感染症は、普通の大人を子供と同じ条件においています。新型コロナウイルスに感染した人に責任を問うことも、その責任をとってもらうことも適切ではありません。では自由な自己判断を行うことができず、「誰か」の指導に従わなければならないのでしょうか?子供が大人を指導するとき、大人にはその責任を取る必要があります。では、新型コロナウイルスの対応について指導いただける「誰か」は責任を取ってくれるのでしょうか。政府であれ、専門家であれそんなことはできないと思います。

どんな社会像を望むか?

実は同じような話があります。貧困です。
自由主義経済では、自己判断によって貧困に陥ることが往々にしてあります。では、個人にその全責任を問い、極端な話飢えて死ぬという責任を取らせるかというと、現代日本ではそんなことはしません。その責任は社会全体で負うということになっています。過去には自己判断により貧困に陥るくらいなら、はじめから優秀な?人が生産を計画し、個人に分配するという考えが取られたこともあります。そう、権威主義的共産主義です。でも、歴史はそのような経済が失敗したことを示しています。

代わって現代主流なのが、社会自由主義です。基本的に個々人は自由に自己判断ができ、その結果、成功すれば個人がその成果を得られ、失敗は社会が責任を取ります。ここで重要なのは、個人はできるだけ正しいであろう判断を行うという前提です。だからこそ、このような社会では教育が重視されます。全国民に一定の教育を施し、正しい判断ができる知恵と知識を身に着けてもらおうというわけです。

新型コロナウイルス感染症へどう立ち向かうかも、同じことだと思います。個人に判断をさせず、権威主義的にロックダウンを行うのか、個人にできる限りの知識と情報を与えた上で判断を行わせるのか、どちらがいいでしょうか?今のところ日本は後者の戦略をとっています。

一人ひとりが自己判断を

この戦略がうまくいくかどうかは、できるだけ個々人が正しいであろう自己判断をするよう努力するかどうかにかかっています。感染症を防ぐための行動を一人ひとりができるか、ということにかかっているのです。そして、自分の行動を自己判断するにあたって、その結果の責任は社会全体が負うのだということを忘れてはいけません。

旅行やイベント等が解禁されつつありますが、それは決して何をやっても良い、というシグナルではありません。目指す先は権威主義的なロックダウンでも、完全に自由な行動でもありません。自分の行動の責任を社会全体が取らなければならないという自覚を一人ひとりが持って、できる限りの知識と情報を集めて、知恵を発揮させて正しいと思われる自己判断を行うことなのです。

「市民」(Citizen)の元々の意味は、ローマ時代の自由市民であり、その対比語は「奴隷」でした。自由市民は自由に自己判断ができる一方で、社会を守る責任を負っていました。私たちは「奴隷」ではありません。市民として社会を守るための自己判断を行わなければならないのです。

正解はどこにもありません。だからこそ、一人ひとりができる限りの知識と情報を集めて、正しいと思われる自己判断を積み重ねていきましょう。

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