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『完治or失明or死、選びなさい』

ある暑い8月…、仕事が終わる頃の時間にスマホが鳴った…。
『お父様は、目が見えてないようなんです! どうしましょう!』
「それは、もしや…」
『夕食の時間なので、お声掛けしたら、真っ暗で何も見えないって…』
「それ、脳梗塞だと思います! 救急車呼んでください!今すぐ行きます!」

息を切らせてグループホームに着くと、父はホームの責任者によって近所の眼科医に連れていかれたそうだ…。
「なんで? 入所時にも前もって「脳梗塞」の既往症がある事もお伝えしましたよね! さっきも「脳梗塞」だ「救急車を呼んでくれ」とも言っていたでしょう?」

私が眼科医に着いたとき、ちょうど診療中だったが、「主だった傷も見当たらずその他の障害の可能性が高い」とのことで、先生は大学病院への紹介状を書き始め、救急車を呼んでくれた。 
その時間の長く感じられたこと…。

救急車の中で、これまでの経緯、過去に何度も脳梗塞を患っていた事、そのために左空間を認識できない事、次に脳梗塞になったら覚悟しておいてほしいと言われていた事を隊員に説明した。 
今思えば、暗闇の中に居ながら私の手だけを握りながら恐怖と闘っていた父は本当に強かったと思う。 諦めや泣き言を漏らすことは一切なかった。

病院では各種検査の結果、やはり脳梗塞との診断になった。午後の8時半頃だったろうか…、医師より説明があった。

『このまま放置すれば確実に失明します。 
 そうならない為には、脳にできた血栓を取り除く点滴を
 する必要があります。 
 しかし、点滴をしたとしても視力が回復できる保証はありません。 
 それどころか、血栓が溶けて急激に血液の流れが再開することで、
 逆に他の場所の血管が破れるかもしれません。
 その時は脳内の出血で亡くなります。』

「え? ど、どうすれば…」
『悩んでいる暇はありません。 
 この点滴は発症後4時間経過すれば使えません。 
 今、息子さんが決めてください!』

失明か、回復か、死か、今すぐ選べという残酷な選択。 
姉にも連絡はまだ付かない、今自分が決めるしかない。 
私の脳みそは生涯最大の決断を迫られた。

『血栓を溶かす点滴をおねがいします』
医師はもう一度私に同じ説明をしたあとに、「最大限努力します」と言ってくれた…。 
認知症を患いながら農作業もやって、最近まで酒も沢山飲んでいた。 
若い頃はタバコも吸っていた。 子どもの都合で無理やり都会に連れてきてしまったが、何度も「地元に帰りたい」とこぼしていた。 
父の長寿を思って都会に連れてきたが、ここで視力を完全に失っては人生の幕を下ろしたも同じだ。 暗闇では自由に歩きまわることなどできまい、それはもはや「父の人生」ではない…。

午後の9時15分頃になり、姉に連絡が取れた。 
決断については都度メールで送信していたが、私の判断を支持してくれた。 これから大学病院に向かうという…。

全てが終わって、父は眠ったままだったが、どうやらここまではうまくいったようだ。 とにかく「すぐに命に係わることもない」とのこと、私は少しだけれどホッとした。 気が付けば、終電が近くなっていた。

翌日、改めて大学病院に行くと、父はまだ眠っていたようだった。
それでも、看護師さんからは「目は見えなくても、退院に向けた歩行訓練などしますから」と優しくも厳しい現実を見せてくれた。 
もちろん、ずっと寝かせておくわけにもいかないだろうが…。 

幸いなことに、翌々日くらいから父の視力が回復してきたようだ。
父の目の前で手を振ったり、立てた指を数えさせたり、何も知らない人から見たら「何をしとんのや」と思われるかもしれないが、私としては本当にうれしかった事を覚えている。

数日後、歩行訓練で父の手をひいている(私が後ろ向きで父の手を引いて歩いている)と、「後ろ、気を付けて」と逆に父から声をかけられるくらいになった…。 
まだまだ父の歩みはゆっくりなのだが、そこまで見えるようになったのかと思うと、決断は間違っていなかったと嬉しくなった。 また、父もそれによく応えてくれたと思う。 

キーパーソンとなると、こんな急な判断を迫られることもある。
しかし、それだけ真剣に孝行が出来るというもの、まぁ、元気なうちに親孝行できなかったのは心残りだけれども…。




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