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ワシントンDC行きをキャンセルした日
2018年9月、長年勤めた職場を辞めて転職することにした。
前月いっぱいで出勤は終了し、有給消化でバカンスとしゃれこもうというのだ。 幸い父の状態も安定していて、絶好の休暇日和とも思えた。
何処に行こうかな…、ここはアジアやヨーロッパではなく、アメリカだろう。「ニューヨークに行きたいか!」(年齢がバレる)ではないけれど、大西洋に面した街は魅力的に映った。
HISで中部ー成田ーワシントンDCのチケットを手配して、自然と笑みがこぼれる…、出発は10日後とした…。
その翌日…
『お父様が、足の付け根が痛いとおっしゃっています。かなり痛がってみえて、今から病院に連れていきます! 息子さんも来てください!』
唐突にグループホームからの連絡がきた…。
検査の結果、悪い予感が的中の『大腿部頚部骨折』ということで、市民病院に入院することになった。 このまま、立てない&歩けない状態になったら、寝たきりになってしまう=廃用症候群から詰まされて(亡くなって)しまうではないか!
『手術をお願いします』
この選択に迷いはなかった。 高齢とは言え、あれだけ歩き回っていたのだ、体力はまだある。 寝たきりなんかにさせない!
「しかし…」
え? なんか問題があるの?
「手術予定が立て込んでいて、…10日後になります」
はい…? 10日間病室で寝ていろと?
「どうしようもないです…」
夏の終わりとも秋の始めともとれる青空に、一本の飛行機雲が浮かんでいる。 空が遠くなったような気がした…。
HISに飛行機のキャンセルの旨の連絡をいれ、訪米計画は綺麗に消えてしまった。
もちろん、手術も万全ではない。 自分の意にそわないことに対して、父は結構元気に暴れるのだ…。 「手術は部分麻酔で行いますが、人工の関節というものはデリケートなので、患者が暴れたりして触れたりすると、体内で細菌が増殖します」と説明を聞いた瞬間、『全身麻酔でお願いします。絶対暴れますから…』
手術は成功した。 私の予想通り、部分麻酔でひとしきり暴れたため、全身麻酔での手術だったそうだ。当たり前だ、どんなに優秀な医者であっても、父のことは世界で二番目に理解しているのが私なのだから…。(勿論、一番は父本人ですが…)
有休消化全部かけて病院に毎日通って、父のリハビリや与太話に付き合い、顔や身体を拭いたり…。 その甲斐もあって、冬を迎える頃には立って歩くこともできるようになった。
手術の二か月後、私は全日空のワシントンDC行きの乗客になった。年明けには姉も家族でオーロラを見に北極圏に向かっていた。 これはきっと父からのプレゼントだったのだろう。 長い間介護の二人三脚を姉弟でやってきたのだから…。
しかし、手術前に医師はこうも言っていた。 「手術自体は成功するかもしれませんが、そこから体力が落ちて一年も持たずに亡くなることもありますよ…」
結局、そうなった…。 父の事は私が誰よりも知っていると自負していたが、病気のことは私より医師が良く知っているものだ…。