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【前編】~幸せの青い鳥を探す旅 カナダ・ニューヨーク編~ 世界は優しさ以上で想像不可能!? きっと“なんとなく”で出来ている①



☆あらすじ

 外国に来て初めて出会ったもの。
 それは、“心で感じる優しい言葉”と想像もしていなかったような人たちとの“素敵な出会い”でした。
 前作『旅の喜怒哀楽以上“悟り”未満』では描いていない、日常の小さな出来事や思わず笑みがこぼれた内容を綴った日記風エッセイ。

 時は 90 年代後半。スマホは勿論、ガラケーさえもなかった時代。頼れるのは生身の人だけ。
 世界も知らない 21 歳の私が、“何か”を求めて飛び出したワーキングホリデーin カナダ&ニューヨーク。
 
 本作はその旅行記 シリーズ第1弾です。
 英語の理解が覚束ない私でも“なんとなく”理解できた、優しい言葉たち。
 文化が違う、言葉もちゃんと伝わらない中。時には打ちのめされて、時には笑って、自分を見つめ直して。
 綴って来た海外の日々を、一緒に体験してみませんか?


◎『世界は優しさ以上で想像不可能!? きっと“なんとなく”で出来ている』旅シリーズ公開予定作品

・第2弾 ~言語の壁を乗り越える旅 オタワ編~
(2025 年1月予定)

・第3弾 ~出会いと別れと再会が詰まった旅 カナダ・シアトル・ロサンゼルス編~
(2025 年3月予定)

・第4弾 ~愛と恋と涙でいっぱいの旅 ロンドン・バルセロナ・チュニジア・トルコ編~
(2025 年5月予定)

・第5弾 ~禁断の国際恋愛の旅 オタワ冬編~
(2025 年7月予定)

・第6弾 ~天と地に近づく旅 キューバ・ベネズエラ・コロンビア・ペルー・ボリビア・
ブラジル編~
(2025 年9月予定)

・第7弾 ~なりきり作家の旅 オタワ春夏編~
(2025 年 11 月予定)

・第8弾 ~道なき道を歩む旅 モンゴル・タイ・ネパール・インド編~
(2026 年1月予定)


読者の声


「改まらず堅苦しくなく、フランクな雰囲気がこのエッセイの魅力です。
また『奈々さん』が、若い頃の感性で味わった感情を、カナダの大自然・都会の喧騒と環境が移り替わる中で、出会う人々とのユニークな掛け合いとともに読者が追体験できる面白さがあります。
『旅エッセイ』には変わりありませんが、私にはもっと重厚な、学ぶべきことの多い内容に感じられました。文体はフランクで読みやすいものの、そこに書かれている内容、例えば人々との出会い、外国でのカルチャーショック、人生観、精神的な成長の過程など、あらゆる方向から『人生に対する問い』を投げかけてくれる作品でした。
 今作は旅エッセイとして気軽に読める反面、随所にあらゆる『学び』が潜む良書だと思います」

「一話一話で細かく区切られているのが良いポイントであり、空いた時間にパッと読める内容です。読み始めるのに身構える必要がなく、読者に寄り添った優しい作風で、読んでいて心地良さでいっぱいでした。また作品には1話読み終わるごとに心がほっこりするような温かさがあります。
 読み終えた後には、自然と笑みが溢れてしまうほどに。そしてなんといってもこの作品の魅力は、世界を旅しているような感覚に没入させてくれること。笑いあり、涙ありでとっても心動かされました!!」

「こちらのエッセイ、これからワーホリを計画している若い人たちにぜひとも読んで頂きたい! ナナさんがファームステイを皮切りに色々な場所を転々とし、様々な人と出会い、恋をし、時にはトラブルに見舞われ、誰かの助けや自身の知恵・勇気で乗り越えていく。ワーホリの教科書というか、指南書のような役割と、物語のような面白さを兼ね揃えた作品だと思っています。
 ワーホリ先がカナダに限らなくとも、必ずどこか参考になりますし、外国での不測の事態に対する対処方法だったり、日本人と外国人の考え方の違いであったり‥‥‥。何より『迷った背中を押してくれる』一冊になり得ます」

「スマホが当たり前となった今の時代、ナビや翻訳アプリを使ったりできますし、予約もその場で容易くできてしまいます。しかし本作の時代にそんなものはありません。そういう不便さが、むしろ旅を一期一会にしている感じがして面白いと思いました。
 SNS がないからこそ、当時は人の紹介や偶然の出会いなどで見ず知らずの人と仲良くなることが多かったのでしょう。今は逆に SNS で簡単に繋がれるからこそ、リアルな世界の他人とは距離を置く傾向があるように思います。人づてに巡り合った貴重な出会いを、私もしてみたいものです」

「一生懸命日本で働きお金を貯め、カナダでのワーホリを実現させた逞しい女の子、ナナさん。言葉の壁にぶち当たって現地の人とのコミュニケーションにとまどったり、友人やホームステイ先の人との価値観の違いに疲弊したりと、慣れない生活に四苦八苦しながらも徐々に生活の基盤を固めていく姿が見どころの一つでもあります。
 たった一人で異国の地へ降り立ち、様々な経験を積んだナナさんならではの精神的成熟からは、これからも目が離せません」

「全編通してものすごく面白くて楽しい作品です。1番の読みどころはなんといっても、登場するキャラクターの人柄だと思います。この作品に出てくる人々は皆ものすごく素敵で、人間味溢れる人たちばかりです。それはこの作品に出てくる人たちが、実在する人物だからこそ生まれるドラマなのでしょう。日頃見えなくなっている、人本来の温もりがダイレクトに伝わってくるようでした。
『綺麗事ではない』ありのままの人間の『綺麗なところ』がこの作品で沢山描かれています。
 利害関係があるのも人間。でもその一方で純粋に相手を想う心も間違いなく存在しているはず。この作品からはこういったプラスのエネルギーをすごく感じました。優しい人に囲まれて自分も優しい心を持つこと、その大切さをすごく感じました」

「日常を描く本作を読み始めたときは、ファンタジーのような超展開はなく、スープの優しい薄味を楽しむような、ほっこりするお話だと思っていました。しかし読み進めていくうちに、想像の範疇を超えるエピソードの数々にバッチリ翻弄されたのです!
 海外を舞台にして、恋愛やトラブルを経験し、宗教観にも触れて、日本という島国で育った女性がどんなふうに感化されていくのかが読んでいてとても楽しめました」

「この作品を通じて外国に対する期待と憧れはますます強くなりました。
 実際は大変なことも多くて日本が平和で便利なのだろうけど、海外には日本にはないロマンがあると感じさせてくれました。
 作中でも触れられていましたが、日本語の持つ繊細さは良くもあり、悪くもありますね。それと同時に外国の持つストレートさには、憧れを抱きました。感情も表現も開放的、そんな世界で生きる人たちがすごく輝いて見えました!
 日本にいる自分たちだからこそ、この作品からの新しい何かを感じとることができるように思います。夢中にさせてくれる内容で、読みはじめたら止まりませんでした!」

「シリーズの中では旅行編に挟まれるオタワ滞在記が好みです。小説の世界では何かしらの”変化”が人を面白くさせるのだと思っています。小説が好きな人だったらオタワ滞在記が面白く感じるのではないでしょうか」

「カナダ滞在も長くなると、信頼できる友人や愛する人ができ、それゆえの新たな障害に頭を悩ませながら、『殻に閉じこもり外の世界を遮断』するのではなく、物事は一面だけでなく多くの面があるということを学びます。今までとは違った角度から物事を見つめ、問題を一つ一つ解決していく『成長』を見ることができました」

「若さゆえの焦り、そして感傷と未来への期待をヒシヒシと感じる様子に共感しました。年齢的にタイムリーな私が読むとすごく刺さるものがありました。
 もっと大人になった自分が読んだら若かりし頃を思い出して懐かしい気持ちになるのかな?  自分の人生を懐古したり、純粋に昔の海外の様子を楽しむのにぴったりの作品です!
 この作品には、自分も何か新しいことにチャレンジしたくなるような、人を動かすパワーがあります。読み手を前向きな気持ちにさせてくれる素敵な作品でした!!」

「何より面白さを感じたのは、個々のエピソードがつながり合っているところです。同じ人の体験記だから、それは当然なことなのかもしれないですが『前のエピソードがあったからこそ、この感覚になっているのかぁー』と思うところが沢山ありました。それがすごく不思議な感じなのです!
 小説は起承転結がはっきりしていて、結が来ると物語は終わってしまいますよね。けどこの作品は人生の一部分を切り取っている作品だからか、終わりがないのです。
 前のエピソードで感じた感覚が次のお話に引き継がれて行き、そしてより大きな感情を呼び起こしていく。
 だから読めば読むほどキャラクターに厚みが増して行って面白い!!」

「会話を交えながらエピソードが展開されていくので、読み進める上でテンポの良さが心地よかったです。流れを切ることなく、颯爽と繰り広げられる会話のおかげで、場面の様子はいずれも想像しやすいものばかりだったと思います。
 それに各登場人物の個性も的確に表現されていたと思います。登場人物はすごく多いのに、それぞれの個性が光っていて、本当に盛りだくさんでした!
 それと何と言っても、実際にその場にいるような没入感を与えてくれる情景描写が素敵です。海外に行ったことない私でも、芝生広がる牧場や町並みがイメージできました。特にスマホはもちろん、携帯電話だってほとんどない時代で、地図と手紙で困難を生き抜く様子は心が躍りました。今ではもう味わえない当時の風景や空気感がふんだんに散りばめられていて読み応え抜群です!」

「ありのままの言葉がいいのですね。装飾した言葉で綺麗な羅列にしてみても、その場の雰囲気は味わえないものです。そのタイミングで感じたモノを、そのまま綴った日記というスタイルだからこその臨場感や心情が表れていて、ダイレクトに感情が伝わってきました!
 しかもどのエピソードも濃い!国によって個性が違うのはなんとなくイメージしていましたが、こんなに国民性が違うなんて……!!
 実際に生きた経験だからこそ、その体験談は読者に強い共感を呼ぶのだと思います」

「本作で描かれている異国の地での旅路は、いいことばかりじゃなくリアルな失敗談も数多くあります。そういった経験をするからこそ、何気ない『幸せ』の価値に気付けるのでしょう。
 ありのままの心の声に同調したり、自分にはなかった考え方に斬新さを覚えたり……何気ない言葉の裏にどんな想いがあるのか、そんなことを考えてみることで新しい発見があるのだと気付かせてもらいました。
 この作品を読む際には、是非とも日記の主と自分自身を照らし合わせてみてください。同じような考えはもちろん、異なる価値観も沢山見つかって面白さが倍増しますから。
 一読者として、私は自分自身の考え方と生き方を見つめ直すきっかけになりました」



まえがき

 タイトルにある“なんとなく”というのは、外国人の英語を私なりに訳したとき「なんとなくこう言っているのだろう」という理解でコミュニケーションをとっていたことからきています。
 英語が完璧ではない私は、声色や表情などのニュアンスから言葉を感じとっていました。

 思えばカナダにワーキングホリデーしようと決めたのも、英語が話せるようになる前に海外生活しようと考えたのも、きっと大丈夫だろうという根拠なんてまるでない“なんとなく”からでした。

 当時の日記は、出会った人たちとの会話と、言葉がわからないがゆえに内部対話していた心の声で埋め尽くされていました。
 その内容は“なんとなく”で理解した優しい言葉たちと、おもしろくて笑ったこと、自分を見つめ直したことなどです。

 本作では日常の小さなエピソードを、当時の日記を元に書くことにしてみました。これは気付きや学びが必ずあるものではありません。他人の日記を読んで楽しめる人もいれば、「だから何?」「それがどうした?」とオチのない話を退屈に思う人もいるかもしれません。

『世界はこう映っている』
 残した日記を見返して見れば、当時の私が見ていた世界の光景が綴られていました。
 本作ではそんな当時の出来事や、気持ち、そして英語に不慣れな私が小さな一歩を踏み出して、見てきた景色をお伝えできればと思っています。

 若いときはどんな小さなことでも盛り上がれるものです。当時の感性の鋭さと言えば、先の見えないジェットコースターの一番前に乗っているようでした。
 次は何が起こるんだろう?
入り混じった期待と不安が常に湧き出して、高まる気持ちが抑えられなかったほどです。

一方先に公開した『旅の喜怒哀楽以上“悟り”未満』では、世界旅行の中での大きなエピソードから得た気付きや学びを書きました。
 他の今までの私のエッセイでも、何かしら伝えたいメッセージを書いていたのは、読者に文章を読むという労力と引き換えに、プラスアルファで得るものがあればと、それなら書く意味があると思いたかったからかもしれません。

 今みたいにネット社会じゃない、1998年から約二年間の旅は、自分の目で見て、手で掴むことだけが本物でした。スマホはもちろんガラケーもない。情報を集める手段と言えば本や現地の人から尋ね聞くのみで、連絡手段は固定電話か手紙でしたから。そのため信じられるのは自分の“なんとなく”の直感だけだったのです。

 旅の最中、私は人に助けられることが多くて、迷惑もたくさんかけました。ですがそれ以上にみんなで生きているんだと実感でき、幸せな気持ちに包まれていました。
 非効率で遠回りした分、無駄なことをしてそれを楽しんでたくさん笑えたし、些細なことで喜べたのです。

 体をつかって命がけで遊んだ、何者でもない時間。何が出来て、何が出来ないのかわからない、たくさんある選択肢の中で迷っていたかった、何も決めたくない肩書きのない21~23歳の私。

 そんな浮ついた私を一言で表すのなら “今”というこの瞬間に、好きなモノを愛す! でしょうか。それはもう物に限らず場所だったり人だったり、その時々で好きなモノは様々でした。
子どもの頃の、イチゴもブドウもメロンも大好きっていう感覚で、A君もB君もC君も好き、みたいなそんな軽い気持ち。
 今日はかっこいいA君が好きで、けれども優しくされるとB君が好き。かけっこが速いC 君を見た瞬間にはやっぱりC君に目移りしてしまいます。
 果物が好きなのと同じ感覚で人が好きってめちゃめちゃ軽いですよね。ですがしがらみもない若かりし頃だったからこそ、それが許される世界でした。

 また子どもの頃は、お母さんが時間をかけて一生懸命作った料理を、「うーん……これおいしくない」って、忖度せず言えるほどに純粋で単純でしたよね?

 社会人になってそんな軽々しい態度をすれば、空気が読めないと白い目を向けられてしまいます。
 自分は何も変わっていない。
 そう思っていたはずが、年月の積み重ねは着実に、私を大人にしてしまっていました。

 職場と家とスーパーの往復の毎日では、日常生活が作業のようになって、ここにいるはずなのに、心がここにいないことがあります。木々が青々しく見えることも、草が揺れる姿に心が踊ることも、新しい出会いにワクワクすることも、久しく味わっていません。

 雲を見ながら歩いたり、雨の音を聴いて過ごしたり、鳥の鳴き声や虫の音を心地よく楽しみ、“今”を生きる。そんなかつて生きていた世界の小さな発見や笑った出来事を、もう一度一つひとつ思い出してみたくなったのです。

 本や映画は、『なりたい感情』にさせてくれます。
 登場人物に重ねて感覚を味わうことができるから、 疑似体験としてほっこりしたり、泣いたり、笑ったりさせてもらえます。
 だから私は無表情・無感情で座って、作品を前にしているだけで、自動的に感情が変わることがあります。

 本作は、私が 出会った“優しい”という言葉には収まりきらない素敵な人たちやあたたかいエピソード、そして “なんとなく”感じることの出来る海外の空気感を詰め込みました。
 また、一体どこへ連れて行かれるんだと翻弄される “想像不可能”な体験から、その先に見えるものはなんなのか? そこで一体何を感じるのか? “今を生きる”を楽しんでいただきたいです。

 わかっている世界に奇跡はおこらないけど、わからない世界の先に奇跡は待っています。

これから当時の未熟な私に戻って、この作品の中でもう一度世界を巡ってみようと思います。あなたも一緒に旅をしていただけませんか? いろんなハプニングに右往左往して、感情ジェットコースターに乗り込む私に、ぜひとも隣からアドバイスしたり突っ込んだりしてほしいのです。

 読み進める中で、あなたの表情・感情が変化していくのをお楽しみください。

※本書中で呼ばれている「ナナ(奈々)」は私の本名です。旅行中だと名前の出てくるエピソードがいくつかあったため、旅シリーズのエッセイのときだけ「私」=「ナナ」として記載しています。


第1章 バンクーバー~フォートセントジョン (ファームステイ)


旅の洗礼


 早いものでカナダに来て3週間が経った。けれども私はその間、何も変われなかった。

 バンクーバーでホームステイをし始めた頃は、新しい自分になるんだって息巻いていたと思う。予定していた1ヶ月間の滞在で英語学校に通い、仕事でも見つかれば自分を変えられるんだと、そう思っていた。
 でもそんな期待はすぐに違和感に変わった。

 英語学校と銘打ってはいても、生徒が全員海外の人物という訳ではない。私の居た学校ではむしろ生徒のほとんどが日本人であり、クラス間の会話も当然日本語。
おまけに週末は毎度のように集まって合コンみたいに遊ぶという生活は、私が思い描いていた海外での暮らしとは程遠かった。

 かく言う私もそのグループの一員だ。

 現地に馴染もうとせず、日本人だけでまとまって行動している意思の弱い自分。カナダに来てまで空気を読んで流されている、そんな自分自身が嫌だった。それにホームステイ先では一向に馴染めず、1人で部屋に閉じこもる有り様。

すべては自分の心の弱さが原因だとしても、とにかく環境を変えたかった。
結局1ヶ月の滞在予定は2週間で見切りをつけて、次はわざと日本人のいない環境へ行こうと、バンクーバー島でファームステイをすることに決める。
 ただこれも3日で辞めて、私は結局バンクーバーに戻ってしまった。理由は“何か違う”という自分の感覚によるもの。信じられるものが何もない私にとっては、その感覚が唯一の判断材料だったから。

 わざわざ日本から遠いカナダへ来たのだから“これだ!” とピンとくるものがわかるまでは、当たって碎けるつもりだ。

 そんな3週間を過ごした私は、今度こそという覚悟で新しい滞在先へ向かうべく、ホテルで荷物を詰めていた。
 これから向かうのは、新たなファームステイ先の放牧場。ブリティッシュコロンビア州北東部のロッキー山脈のほう、つまりバンクーバーから北へ24時間バスで行ったフォートセントジョンから、さらに車で2時間かかる距離にある場所だ。

 都市から離れた場所を選んだのは、日本人がいなさそうだからというのもある。それにステイ先の大牧場では20人前後の人たちが働いていて、食事も美味しいという触れ込みだ。
 そしてちょっと嫌になったからといってすぐに辞められる距離ではないのが、三日坊主の前科がある私には決め手だった。

 事前の荷造りを終えて、いざ安宿のホテルから新しい旅路へ発つ日の翌朝。
そんな大切な日にもかかわらず、あろうことか私は……大寝坊をかましていた。

 目的地へと向かうバスの出発時刻は7時半。乗り場に向かうのにそこから約30分。準備の時間も考慮して遅くとも6時半には起きていなくてはならなかったのに、私が起きたのは6時55分。
 時計の表示がおかしくなったのかと疑った。これは夢なんだと、思考が勝手に現実を拒否しようとする。
いっそファームに向かうのは翌日にしてしまおうか。遅れた理由は不慮の事故に巻き込まれた、などにすればいい。そんな怠惰な誘惑が私の心を蝕んでくる。
 それでも私は頭を振って、辛い現実に抗うと決めた。

 ああもう、なるようになれ!
 朝の支度用に残しておいた小物を手当たり次第にキャリーバッグへ投げ入れて、部屋を出る。
 髪の毛はボサボサで、服もチグハグ。周りの視線が痛かったけど、構っている余裕なんてない私は大荷物を引っ提げて必死にロビーへと向かう。

 このまま順調にいけば、予定していたバスに間に合う!
 そう心の中で勝利のガッツポーズをしたのも束の間。私は玄関扉の外で立ち尽くすこととなった。
 ロビーまで引っ提げてきた計4つの大荷物。その内ホテルの外まで同時に持ち運べたのは2つ。運び終えて、いざ残りも運び出そうとロビー側へと振り返った時には、扉は既に閉じられた上にロックまで掛けられていたのだ。
開けようにも、玄関の鍵なんて持っていない。早朝でオーナーもきっと寝ている状況。
行く宛てを失った2つの荷物たち。その荷物には、宿の電話番号のメモもある。

 私は夢中で叫んだ。
「エクスキューズミー!」
 それはもう喉が裂けんばかりに声を上げて、ドアを蹴飛ばす勢いで何度も叩いた。時計を見れば、バスの時刻まで間に合うかギリギリのところ。
 やっぱり今日はダメな日だったんだ。出立は明日にした方が……。
 一度は押し込めた悪魔の声が、再び私に囁いてくる。
 そうだよ。どのみち誰かが玄関から出て来ない限り、ここから動けないのだし。

 どうしていいか分からず、私はただ項垂れた。
 一度悪い考えが頭をよぎると、そこから嫌な想像が膨れ上がって来る。
 そういえばここに泊ってた日本人の女の子が言ってたっけ……。
「ここはすぐに物がなくなるからイヤになっちゃうよ」
 私の荷物もそうなっちゃうのかな。
 なんて安易に受け入れられるほど、私は物分かりが良いほうではない。
荷物を失ったら、私の旅が終わってしまう!
 私はもう一度ドアを叩いた。先程よりも強く、大きな声を上げながら。
「何事ですか……?」
 固く閉ざされていた扉が開かれ、奥から瞼をこすったオーナーが現れた。
 私はすぐさま状況を伝えて荷物を運び出し、そのまま全速力でバス停へと向かう。

 懸命に走っていても、重い荷物たちが足枷のように私の足を重くする。おまけに途中で食べようと買っておいたパンやジュースの入った袋が、私に余計な負担を強いてくる。
 荷物を捨ててやろうと何度思ったことか。
 沸々と湧き上がる怒りをバネに、私はただひたすらに走った。

 どうにかバスのある駅に着いた頃には、息も絶え絶えで、軽い目眩もしていた。
 揺れる視界の端で、ホームレスのような恰好をしたおじさんが私に向かって何かを言っている。
どうせ大荷物を持っている日本人をバカにでもしているのだろうと思い、私は気に留めることなく歩いた。
しかしふと手にしていた袋を見ると、なんと袋からジュースがこぼれていて、駅のフロアにオレンジの水溜まりを作ってしまっている。

 後になって思えば、おじさんはこの惨状を私に伝えようとしていたのだろう。けれども当時の私にそこまで思考を巡らせる心のゆとりは無かった。 
 大荷物を運んで疲労困憊の中。ぶちまけた飲み物の後始末を終える頃には、時刻はとっくに予定していた7時35分を過ぎていた。次のバスが来るのは今から13時間後……。


結局、ここまでの頑張りはただの徒労となってしまった。
途方に暮れた私に出来たことは、大荷物と一緒になって座り込むだけ。そんな哀れな私を見つめる視線が1つ。日本人らしき女性が、先程からジロジロと見ていた。
「何見てるのよ!!」
 そう言い返したかったけど、そこは小心者の私。視線の主をにらみ返すことがせめてもの抵抗だった。
 女性は何を思ったのか、気まずそうに視線を逸らしている。
 笑いたければ笑えばいい。
 ……私はもうすべてが憎らしかった。 

 どれだけ座り込んでいただろうか。うずくまり続ける私に声がかけられた。
「この荷物を運ぶには、キャリーワゴンを使ったほうがいいわ」
 見上げると、声の主はカナダ人と思しきおばさまだった。

 でも私は小さく首を横に振った。ワゴンを使えない事情があるから。
 駅に向かう途中、私は日本への手紙を投函するつもりだった。これから向かう辺鄙な場所での投函よりも、都心のバンクーバーから出す方が早く着くから。
 けれどもそんな予定はすっかり忘れて、こうして駅まで来てしまっている。今から投函しようとすれば一度駅の外に出なくてはならない。一方のワゴンは、駅のフロア内のみで使用を許可されているもの。

 半ばパニックになった頭で、私はどうにかそのことをおばさまに伝えた。
「係員に見てもらえばいいわ」
 でも券も買わなくちゃ――。
 喉元まで出掛かった言葉を呑みこむ。
 先の説明でも私の英語は酷くたどたどしいモノだった。それを再び、この気疲れして頭もグチャグチャの状態でしなくてはならないのか。
 そう考えただけで私の口は重くなってしまった。

 いきなり黙りこくって、おばさまには不快な思いをさせてしまったはずだ。
 にもかかわらずおばさまは、こんな私にまだ親切にしてくれた。
「どこに行きたいの?」
「えっと、ここへ……」
 簡単な英語と共に、バスの時刻表を見せる。
「うん、訊いてきてあげるわね」
「あ、ありがとうございます」
 私の絞り出したような声におばさまはゆっくりと頷くと、バス券売り場へと向かって行く。
 遠ざかっていく背中を目で追いながら、私に出来たのはただ椅子に座って遅れてやってきた疲労感に身を任せることだけだった。
 何をやっても上手くいかない。自分の不甲斐なさに、呆れて涙も出て来ない。本当は自分で券を買わなくてはならないのに。
 もうどうでもいいや……。

「あの……、日本の方ですか? 何かお困りのようでしたら手伝いますよ」
 突然聞こえて来た日本語に、ドキッとした私は咄嗟に顔上げる。目の前に居たのは、先程私に視線を向けていた日本人女性だった。
 予期せぬ声に動転していた私は、考えるより先にお願いを口にしていた。
「じゃあ、荷物を見ていてください」
「はい、良いですよ」
 突然のお願いにも女性は快く引き受けてくれた。
 私はすぐさま彼女に礼をして、おばさまの元へと駆けていく。
おばさまは丁度駅員と話すタイミングで、たどたどしい英語を話す私に代わって通訳までしてくれて、スムーズにバスの券を買う事ができた。

 戻ってくると、私が券を買っている間におばさまがワゴンを借りてくれていた。
 ワゴン代の1ドルを払わなきゃと思ったのだけど、おばさまの発案で荷物を見ていてもらえる内に、手紙を投函しに行くことに。
 急いでポストから駅に戻る頃には、すでに親切なおばさまはどこかに行ってしまっていた。
 お金も、お礼もちゃんと出来てない……。

 何をやっても上手く行かない、ダメダメな私。もうどうしたらいいか分からない。
 私はどうすれば良かったの? ありがとうって、お礼もさせてもらえないの?
苦しい。黒い感情が膨れ上がっていくのを止められない。

「その感謝は、あなたがまた違う人への親切で伝えてあげて」
 それは、荷物番をしてくれていた女性からの声だった。
「あの親切にしてくれた人ね、少し前まで居てくれてたのだけど。バスが来てしまって、先に行ってしまったのよ。だからあなたが返せなかった感謝は、違う人への親切で返せばいいわ」
 ここに来るまで散々だった私にとって、親切にされたことだけでも胸がいっぱいだったのに、そんな慈愛の込められた言葉をかけてもらって涙腺はすっかり熱くなっていた。
「これから長い旅の中の一日でしょ? バスの時間までここでゆっくり休憩しててもいいじゃない。朝食はまだでしょ? 荷物は見ていてあげるから、何か食べて落ち着いた方がいいわ」

 私は何度もお辞儀をして、お言葉に甘えさせてもらった。
 外のカフェで紅茶を飲み、サンドイッチを食べたらそれまでの動転が嘘のように、気持ちが落ち着いてきた。
 けれども同時に、ある不安が私の心を蝕んでくる。
 さっきの人は、まだ居てくれてるよね……?
 信じたいという気持ちだけで上手く行くほど、世の中は甘くない。それはこれまでの海外生活で嫌というほど経験してきた。
 束の間の安らぎを早々に終えて、小走りで駅へと戻る。
なんと女性はしっかりと荷物を見ていてくれていた。

「どうして、そこまで親切にしてくれるんですか?」
「見ず知らずのカナダ人の彼女があそこまで親切だったのだから、日本人の私が黙って見ている訳にはいかないって思ったの。あんなに親切な人はいないわよ。だから今度はあなたが誰かに親切にする番」
 ああ、私はバカだ。こんなにも親切な人を、荷物を盗られるかもなんて疑うなんて。
 胸の奥がズキズキと痛む。
 
 彼女と別れてからは、堪えて来た涙が溢れて止まらなかった。感動して泣いているのか、自分に対しての怒りや心の貧しさを嘆いているのか……。
もう自分の存在が、カナダに来てからのすべてが情けなくて、恥ずかしくてたまらない。

 いつか必ず誰かに親切にできる自分になりたい。
 ドアを叩いた手の痛みが、思い出したかのように主張し始める。それはまるで心の痛みを代弁しているかのようだった。



コーリン


 程なくして目的地のフォートセントジョンに着いた。当初の予定より13時間到着が遅れることは知らせていたけど、ちゃんと伝わっているか心配だった。
 そんな不安感を募らせながらしばらく待っていると、若い女の子の二人組が迎えに来てくれた。
 それから車に揺られること2時間。念願のステイ先であるログハウスへと到着した。

 町からこんなに離れていたら、嫌になってもすぐには身動きがとれない。
 いや。1ヶ月はいるつもりで、日本の友達に手紙を書きまくったんだ。少なくとも返事が届くまでは絶対にここから離れない。
 ただ不安なことがあるとすれば、こんなに都市から外れた場所に、郵便物を届けてもらえるのかということ。

 日本人から離れようとしたのに、離れると寂しくなる。だからといって、日本人がいっぱいいては日本と変わらないことを考えると、どちらにしろ嫌になる。
 いつか何かに対して満足できるような日が来るのかな?
 そんな半端な心持ちのまま、私はログハウスの薄いマットレスの上で床についた。


 次の日は、広大な放牧場に車で連れて行ってもらい、ただ見学をしていただけだった。
 ファームの人たちはみんな優しくていい人ばかりだけど、自分の英語力に自信がなくて会話に入りづらい。自分から心を開くことも出来ず、結局沈黙が続いてしまう。
 バックパッカーズホステルで、ベラベラ日本語を話していたときが懐かしい。

 その次の日は、ファームに集まる人々の年齢に驚かされた。みんなすごく若い。
 ここへ来るときに迎えに来てくれた2人の女の子、カルメンとイーフが共に20歳。そして言葉遣いが荒いジミーが19歳、優しいレネイが15歳、ボーイッシュなキムが16歳。
 21歳の私が若手の中では一番歳上だった。けれども同い年の人がもう1人いると、レネイから紹介してもらった。

「彼女は“韓国人”で、日本に行ったこともある」
 そう紹介された女性と少しを話してみた。
 同じアジア圏だし英語のレベルは私と大差ないだろう。
 しかし話してみたら全然そんなことはなくて、母国語のように英語を話すものだから私は開いた口がふさがらなかった。

「とっても英語が上手いけど、それは学校で習ったの?」
 何気なく投げかけた質問に、当の彼女はしばらく黙って、不思議なものでも見るかのような視線が向けられる。
「日本にいたことはあるけど、言語学校に行ったことはない」
 え、なんで急に日本の話? 私は英語を学んだ学校について聞きたいんだけど……。
 改めて彼女に同じ質問をしても、やはり通学経験は否定された。
「何でそんなに英語が話せるの?」
「母国語だよ」
「えっ、韓国って英語が母国語なの!? 初めて知った!!」
 そんな私のハイテンションとは裏腹に、彼女やレネイは訳が分からないと頭に疑問符を浮かべていた。

 2人の反応が気になった私は、レネイから紹介された言葉を思い返す。
「She is Korean」
 これを聞いた私は、彼女はコリアン(韓国人)と認識した。バンクーバーで知り合った韓国人はみんな独特な小さいメガネをかけていて、彼女も同じようなメガネをかけていたため、すっかり韓国人だと思っていた。
 しかし実際にレネイが言ったのは、彼女はコーリン。つまりは名前の紹介で、国籍に関する言及ではなかったのだ。

 改めて聞いた話で、コーリンはカナダ人だと判明した。そりゃ英語がペラペラなはずだ。
 思わず笑いが込み上げてくる。一人で突然笑い出す私を、またしても不思議そうに見るレネイとコーリンたち。
 しかし今の私に勘違いの経緯を英語で説明できる自信はなく、このおかしな会話も、私の英語力の無さに免じてくれるだろう、と弁解はしなかった。


 コーリンと夕食の準備を一緒にしているときに教えてもらった。ここのファームの人たちはずっとここでの仕事をする訳ではなく、月ごとや人によっては週ごとに人が入れ替わるらしい。コーリンもあと4~5日で行ってしまうそうだ。

 サラダを作っているときに、彼女は野菜を洗わずにそのまま切って出していた。
「洗った方がいいんじゃない?」
「大丈夫! 約束するよ。これを食べてもあなたは明日、間違いなく生きているから!」
 ……その通り、今もまだ生きています。

 その後にコーリンがキッチンに大きいラジカセを持って来てくれて、流れる音楽に鼻歌まじりでリズムに乗りながら、2人で調理をした。
話している途中にも思っていたけど、彼女の英語は聞き取りやすい。
 たぶん英語が不慣れな私のために、わかりやすい単語に変えてゆっくりと話してくれていたのだろう。彼女の気遣いのお陰で、私は言葉のつっかえに悩まされることなく、楽しく話すことができた。
全然何もかもわからない私に対して、コーリンはいつも嫌な顔をしないで「大丈夫よ!」と親切に教えてくれる。

 ある日のすれ違いざまには、洗濯機の場所を教えてもらった。何てことないやり取りだけど、私にとってはコーリンが聖女のように見えた。
「あなたはとても優しい」
「洗濯機の場所を教えただけで?」
 キョトンとする彼女に、私はまたしても噴き出してしまい、余計にコーリンを困惑させてしまった。

 土曜になった。
 休日を使ってまで農場を手伝う気にはなれず、かと言って特段することもなく手持ちぶさたでいると、カルメンから馬の様子を見に行かないかと誘われた。

 本当は部屋でゴロゴロしていたい。
私が答えあぐねていると、優柔不断な私の横からコーリンの声がした。
「彼女は行く」

 ここでの生活はまだ3日目になったばかり。だから当然行く宛なんてなかったから、これを機に外に慣れようと思った。
 コーリンといればなんとかなりそうな気がする。彼女とは不思議と気が合い、同い年というだけで仲良くなれたから。

 彼女の部屋へ遊びに行ったときには、ラブロマンス小説のようなものを発見した。
「ここを読んでみて」
 なんてコーリンは嬉しそうにページを見せてくるけど、私にとって英字ばかり並んだ本を読むのは、正直面倒くさい。
 けど彼女の好意を無下にするわけにもいかず、嫌々ながらページに目を通す。

 私がわからない単語を質問すると一つひとつ丁寧に教えてくれた。そうかと思えば説明している彼女が突然興奮してきている。
 雰囲気からコーリンの見せて来たページの内容が、Hなものだと察しがついた。
「あなたはエロいね (You are horny)」
 そう言おうと、辞書を引いて「You are hor―― 」と言いかけた所で、コーリンに口を抑えられて最後まで言わせなかった。

彼女曰く「映画のラブストーリーには必ずラブシーンがあるのと一緒! それに女性には男性が必要だし、男性には女性が必要!」とのことらしい。
 前半はともかく、異性が互いを求め合うのは万国共通なのだろう。コーリンほどの熱量ではないにしても、私も彼女の意見には同意見だ。

 夕食後に私は、9人の子どもを持つ母親のハザーから提案を受けた。
「私の息子があなたの英語の勉強を見てあげる」
 その場は一旦保留にしてコーリンに相談すると、彼女からはものすごくオススメされた。
「ナナ、ウォーレンはイケメンよ! 楽しんで!」
 コーリンの口調は、オススメというより冷やかしに近い。口元がニヤニヤと緩んでいるのがその証拠だ。

「私は面食いじゃないから」
 そうやってコーリンの前で大見得を切ったのに、実際に現れたウォーレンを前にしたら、無意識に視線が彼の方へと吸い寄せられてしまう。
 背が高く、美しく整った小顔。
 なんでこんなカナダの北の北の大田舎に、洗練されたモデルみたいな人が!?

 そんな超絶イケメンの登場で、私は途端に自分の恰好が恥ずかしくなった。
 あれ!? 私この人の目に映っても大丈夫かな?
 眉毛しか描いていないすっぴんが、捨ててもいいようなボロ着を纏っている。一瞬彼の前に出るのを躊躇したけど、私はそれよりも目の保養を優先した。
 自分でも驚くほどにガチガチに緊張しながら、それでも頑張って声をかける。

 彼の英語は、私に配慮してかシンプルな単語で、ジェスチャーも付け加えてくれていたので理解に困ることは全くなかった。
 出来るイケメンというのは、気遣いまでも完璧なのか。
 私の英語も褒めてくれて、今度会うときにはもっと普通に話せるようになっていたい! と心の底から思うようになっていた。
 我ながら単純だ。
 でもそうしたモチベーションが1つでもあれば、英語の勉強もきっと苦ではない。


 ウォーレンがファームに居るのはこの日だけで、次の日にはカルガリーへと帰ってしまう。別れ際には彼とファームの人々で、カナダ流の挨拶であるハグをしていくことに。
 流れで私もすることになったけど、日本人の私にとってはドキドキしっぱなしの抱擁だった。

 この日の別れは、ウォーレンだけではない。
カルメンとコーリンも去ることになっていた。
 カルメンとは最初に駅まで迎えに来てくれたときに出会って、それから一緒におにぎりを作る仲にまでなった。
 コーリンとの仲も言わずもがな、私が引け目を感じることがないように周囲と分け隔てなく接してくれた親友のような存在だ。

 束の間の親友と恋人を一度に失ったかのようで、ぽっかりと大きな穴が空いてしまった。
 きっとこれから先も、出会っては別れ……の繰り返しになるのだろう。



やっほー!


 ここへ来て1週間が経つけど、一日が本当に長く感じる。とにかく何をしていいか、するべきことが分からない。ここには1ヶ月の滞在予定だから、こんな日々をあと3倍も過ごさなくてはならない。

 昼の作業はみんなでフェンス作り。私の担当は、ただ板を抑えているだけの簡単なモノ。しかしそれでも農場経験はもちろん、力仕事にも不慣れな私にはかなりの重労働だった。
 コーヒーブレイク中にうとうとしていたら、みんなから「後は自由にしていい」と言われた。
 「あれやれ、これやれ」と言われても体の限界が来てしまうし、何をやっていいかわからないのも苦痛だ。どう転がっても不満が出てしまう。
 もう英語が話せないことに慣れてしまって、話さないほうが逆にいいような気さえしてくる。

 下手に話せてみんなの言ってることが理解できたら、“対等”の中で孤立してしまうかも。今は “ハンデ”みたいなもので、みんなが優しく対応してくれる。

 やっぱり共通語が話せないというのは見えないバリアを感じる。逆に日本人たちの中に外国人がいても、日本人同士で話すだろう。よっぽどその外国人がフレンドリーであれば違うのかもしれない。
『ピアノ・レッスン』という映画の中で、確か「この世に意味のあるおしゃべりは少ない」というようなセリフがあった。
でも私にとって、無意味な会話は無駄じゃない。だって話しているだけでも、心が解放される気がするから。きっと雑談ができるレベルの英語力があれば違うのだろう。
 次の日も15時のコーヒーブレイクからは、自分の部屋で音楽を聴いてゴロゴロしていた。別に私一人いなくても誰も気づかないだろう……。
だからといって、全く負い目を感じない訳でもないのが辛い。
 18時の夕食に行きづらくなっていると、レネイが夕食の時刻を告げに部屋まで呼びに来てくれた。

 食堂に行くと、キッチンにいるイーフがいつもの調子で声をかけてくる。
「肉の焼き加減どうする?」
「ミディアムで」
 イーフの雰囲気に流されて、私もいつもの調子で答えて、つい普段通りにごはんをよそってしまう。

 席につく私に、キムがぼそっと私に聞こえるように話してくる。
「今日働かなかったでしょ?」
 ビクっと体が震えあがった。
「胃が痛かったから」
「ふ~ん、今度は頭が痛いとか、歯が痛いとか使うんでしょ?」
 ニヤニヤと笑いながら、この若者は私の急所を的確に突いてくる。しかし若者と言えど、キムはこのファームの先輩だ。
 新人の私の行動なんて、きっとお見通しなのだ。
 
 しかしどうしてキムは、20人もいるファームの人たちの中で私がいないことがわかったのだろう。私なんて一番目立たなくて、役立たずなのに……。
 ずらりとテーブルに並ぶファームの面々を、私は改めて見渡す。いずれの面々もアジア圏の人とはかけ離れた顔つきをしている。
 そこで私は気づかされた。
 カナダ人が集まるこのファームで、私はたった1人の日本人であるのだと。
 この一件は、これからは下手な行動は慎もうと思わせる出来事になった。

 次の日キムに「馬に乗りたい?」と訊かれて、私はキョトンとしてしまう。
3日で辞めてしまった最初のファームステイでは、土日休みのところを一日余分に働いたら、乗馬のレッスンをしてもらえるという条件付きだった。
 しかし今の私は何も役に立っていない以前に、みんなの足手まといのはず。

 それなのにキムは馬に乗らせてくれると言った。
 驚きながらも頷く私に、キムはある紙を差し出してくる。
 そこには『もし私が落馬しても責任を求めません』というような文言が記されていた。当然サインしない訳にはいかないので渋々サインはしたけど、これから何をさせられるのか考えると、怖くてたまらない。

 そうこうしている内に、一頭の馬が私の前に連れられてきた。
 トレンシーという名のその馬は、大人しく非常に利口で、ビクビクと震える私を乗せても暴れることなく乗馬をさせてくれた。
 一方のキムが選んだのは、見事なまでのじゃじゃ馬。乗って早々に暴れたりと大変そうだ。
 きっとキムは、見るからに初心者な私のために乗りやすい馬を選んでくれたのだろう。

 今まで車で通りすぎるだけの広大な土地を馬に乗ってドライブしたときは、目に映るありのままの自然の美しさにただ魅せられていた。
 木々は青々としていて、降り注ぐ光はキラキラと眩しかった。風もなく、穏やかな春の日。大自然の息吹を体中に取り入れたくて、大きく深呼吸をする。

「やっほ────!!!」
 私が思わず叫ぶと、すぐにキムからも声が返って来た。
「ヤッホ────!!! I love this place!(アタシはこの場所が好きだー!)」
「I love this place too!(私も好きだー!)」
 キムの声量に負けないように、私も精一杯に声を出す。
 雄大な土地に、2人の声は吸い込まれるように遠退いて行った。
 初めて、カナダに来てよかったと思える瞬間に出会えた。日本では、人間一人当たりの所有面積はタイル一枚に過ぎないが、カナダは一人に対して一軒家が立つくらいの面積があると聞いたことがあった。ここに来て、それが本当かもしれないと思えた。

 次の日はイーフの運転で、隣に座っていると「ナナ!  運転してみる?」と突然誘われた。
 AT車すら運転したことのない私が、マニュアル車のハンドルを握らされる。運転方法を英語で説明されたけど、理解できずに結局何度もエンストを繰り返した。
「クレイジードライブ!」
 慌てふためく私の横で、勧めてきたイーフは爆笑している。

 怖くてノロノロ運転しかできなかったけど、人や物にぶつかることを気にしなくていい大平原のドライブは、ものすごく気持ちよくて最高だった! 
 今までは助手席か後部座席専門だった私は、この日初めて自分でスピードをコントロールできることの爽快さを初めて味わった。

 ここは町からすごく離れていて、外との関わりも多くはない。まるで人口20人ばかりの孤立した国のようだ。そして私だけがこの国の人間じゃなくて、居場所がない疎外感に襲われる。でも“居場所”はどこかにあるものではなく、自分でつくるものだ。

 私の今の英語力では、どうあがいてもみんなと一緒に楽しく談笑はムリ。だから一対一になったときだけは、間違えてもいいから自分のペースで話そう。
 自分の居心地がいいように暮らしていけば、そのうち“居場所”になるはずだから。



二人で一人


「ナナ!    明日、君の将来の夫になるかもしれない男が来るよ」
 笑顔のアーバンが、突然そんなことを言ってきた。
英語の聞き取り間違いではないよな? 
よくよく訊いてみると、私と同じようにファームステイをする日本人男性が明日来るのだとか。

 アーバンの冗談には呆れたけど、約2週間振りの日本人との出会い。日本語で話せるのは正直楽しみではあった。
 でももし、その人の英語がペラペラで、私との会話も英語だったら?
 それならこのまま日本人は一人のままがいいかも……。

 そんな考えをしている内に、例の男性がやってきた。彼の人物像についていろいろ予想していたけど、当の本人はいろんな意味で予想外な人物だった。
 男性の名前はツトム。26歳の彼は、日本の旅行会社に勤めていて、海外の添乗員もやっていたらしく、人への気配りがマメにできる。
 今日が土曜の休日というのもあり、ツトムの歓迎会も兼ねてバーベキューが開かれた。
てっきりツトムも私と同じように引っ込み思案だと思っていたけど、彼はむしろみんなに料理を取り分けるなど、積極的に人と関わりを持とうとするタイプだった。

 彼は、このファームを紹介してくれた会社のエリさんから、私が一つ目のファームを三日で辞めたことを聞かされていたと言う。先にいる日本人の女の子(私)を鼓舞するように言われたそうだ。
「『君は人からもらうばかりを考えているから、与えられるような人になって欲しい』エリさんから君への伝言だ」

 私の話もろくに聞かずに、彼は上から目線でそんな話をしてきた。私が味わったどうしようもない孤独を知ろうともしないで。
 だからといって、このまま受け身でただ嘆くばかりじゃいけないのも重々分かっているつもりだ。自分を変えるために、わざわざ日本を飛び出したのだ。
 私だって負けてられない!

 ここの人たちにとって、そこにいるだけの存在はいてもいなくても変わらない存在なのだろう。だから時々、何も出来ない自分が透明人間になったと錯覚してしまう。
 自分から行かないと何も始まらないこの環境で、彼はずっとここにいたいと思うのだろうか?
 私はあと2週間で去るけど、彼は数ヵ月いるつもりだそうだ。
 カナダ人にとっては「ツトム」の「ツ」の発音がしづらいらしく、早速「トム」と呼ばれる彼は、馴染んでいるように見えるけど……。


 次の日。残り2週間で去る私に、ツトムが話しかけてきた。
「俺でストレス発散させていいから、もう少しここにいない?」
話を聞けば、いまいち何をしていいかわからないここのアバウトさにショックを受けたそうだ。私が最初に受けたカルチャーショックと同じだ。

 でも、私たち日本人がしなければならないことなんて、どこのファームでもないらしい。かといってどこから手をつけてよいのか、何をどうするべきかも、話している英語もさっぱりわからない。
 きっとして欲しいことはたくさんあるのだろうけど、たとえ説明されても内容そのものがわからない。それに、下手に理解したつもりになって致命的な失敗をしたら大変だ。
 そんな状況でも彼は、私の初日とは違って、ドンドンみんなの中へ飛び込んでいく。
わからない単語が1つでもあれば訊き返している彼の様子は、さながら未知を解き明かしたい熱心な探究家だ。

 一方の私は、話の流れを大まかに判断して、曖昧な理解のまま自分で勝手な解釈をしている。それでも2週間もいると、みんな言うことが決まってくるから、少しずつわかってくる。

 ツトムは私より英語が話せないし、会話の理解も覚束ない。だからか彼が来てからというもの、私のたどたどしい英語でも周りから褒められるようになった。
「ナナの英語は悪くない」「グッドイングリッシュだ!」
 自分ではもう自信をなくすほどコンプレックスに感じていたから、彼らの賞賛は素直に嬉しかった。

 だからといってツトムに自慢する気にはなれない。
 そりゃあカナダに来て1ヶ月半の私と、日本から来て間もないツトムでは、英語の理解度が違って当然だから。
 それに褒められているとはいえ、私とツトムの英語力は五十歩百歩。
 それでも、みんなの会話のわかるところだけを通訳したり、ツトムの言いたいことを英語で代弁してあげたり、初対面では上から目線だった彼に頼りにされるのは心地よかった。

 ツトムは私くらいの英語力になることが目標と言っていた。
「目標が低すぎるんじゃない?」
「いや、この目標は1週間でクリアする!」
 やけに自信満々だったのが鼻についたけど、彼の探求心ならあながち嘘とも思えない。
 早速彼はアーバンに、ジェイミーの口癖である「Fuck you!」の意味を訊いていた。
そんなおもしろそうなこと、聞き逃すなんてもったいない!
 アーバンがどう答えるか、私はひっそり物陰から彼らの会話に耳をそばだてる。
「君はその言葉を覚える必要はない」
 アーバンは冷静に、そう答えていた。
熱心に尋ねたツトムとのテンションの落差に、噴き出してしまったのはここだけの秘密。

 ツトムが来てくれて、私の気も多少は楽になった。
それまでは心にバリアを張って、仕事が終わってからみんなと遊ぶなんてことはなかった。でもツトムに付き合って子どもたちと一緒に洞窟のようなところへ行ったり、岩から岩へ飛び越えたりと、アドベンチャーする機会ができた。
 今までの2週間は一体なんだったんだろう!
これまで抱えていた苦悩が嘘のように、私は初めて心の底からみんなと馴染めていた。

 ツトムはスポーツのような、みんなでワイワイすることが好きなようだ。それに人を喜ばせようとか、楽しませようとするサービス精神がある。でも、肝心の英語がダメ。
 そして私はマイペースだけど、彼よりは英語が理解できる。
言うなれば互いの弱点を補い合う2人で1人みたいな感じ。そう考えられるのは、ここが異国の土地で、私とツトムが同郷同士だからだろう。
 でも彼には悪いけど、日本で会っていたらまず友達にはなれそうにない。あまりにも私と考えが違い過ぎる。
 ある日はこんなことがあった。
フェンスを作るのに、2人で木を削る作業をしていたときのこと。
「指示をくれる人がいないと、何をしたらいいかわからないね」
「仕事は与えられるものではなく、自分で求めていかないとダメ!」
 何気なく吐いた私の愚痴に、ツトムは生真面目な説教で返してくる。

「どうせやるからには、キレイにツルツルにしたい」
 それはつまり、この木が真っさらになるまで削るということ? そんな重労働はゴメンだ。
「所々削り残しがあったほうが模様みたいでキレイじゃない?」
「イヤな考え方するねぇ」
 ツトムのようにきめ細かい気遣いとか、無理してでもハードな仕事をこなそうとする姿は、典型的な日本人の気質だ。
思えば私も、そういう人がいっぱいいる国に住んでいたんだよなぁ……。
 
 ファームステイは、住むところと食べ物をいただく代わりに無償で働くというエクスチェンジで、完全なボランティアではない。
だけどカナダ人はこちらの自由意志を尊重してくれるスタンスだから、自分から何をすればいいか訊かない限りは、仕事を強制されることはないのだ。
 始めの頃はそんな対応を冷たいようにも感じたけど、彼らはあくまでも主体性や個性を重んじているだけ。
 アバウトで気さくだけどやることはちゃんとやって、自分のペースを守り、人のペースも見守るカナダ人の暮らし。
 そんな生活に慣れてくると、むしろ生真面目な日本人が不思議に思えてくる。

 いや、私のような“日本人”もいるから、単にタイプが違うだけだろう。お互いがこれだけ違う人間だということを認めたら、ツトムの性格も許せるようになってきた。
 それに彼とは唯一、互いの共通言語で話せる仲だ。彼がどう思っているかは知らないけど、そうした存在は異国の地で心細い思いをしてきた私にとっての救いだった。



ラフジョブ


 ファームの力自慢である男性陣アーバン、デーブ、リゲンが何かの仕事をするらしく、私とツトムは興味本位で同行させてもらった。
 トラックに5人分の座席なんてなく、リゲンの運転に揺られる私たちは、もちろん荷台にしゃがみ込む格好での移動だ。

 私とツトムが間に挟まる形で、両端のアーバンとデーブが話している。   デーブは技術職をしている50歳前後の男性だ。ただでさえ声が小さいのに、ぼそぼそ話すので余計に何を言っているかわからない。
 それに話を振られることもなかったので、移動中の彼らの会話は私にとっては車内でかける英語版ラジオのような感覚だった。

 ツトムにしても私と同じような感覚を持っていたらしく、
「なんかこれって英語の“通過点”だよね。彼らの話が理解できるようになれば、一人前になれるんだと思う」
「そうだね!」
 同じ荷台に乗っているのにアーバンとデーブ、私とツトムで話している言語も理解し合っている内容も違う。
 それが不思議とおかしくて、私はまた一人で腹を抱えて笑っていた。

 車から降りた後ツトムは、アーバンにデーブと何を話していたか訊いていた。けれども話の内容は、私たちがわからなくても特に支障のない内容だった。

 その後、彼らを手伝うといっても大したことはしなかった。
 作業中、以前ヤギ小屋でもよく見かけていた猫がいたのが気になっていた。同じ猫のように見えたけど、今いる場所からヤギ小屋はかなり遠い。「私たちでも車で移動するくらいなのに、この猫はその距離を歩いて来たのかな?」
 なんて話をツトムに振ると、
「この猫どこでも現れるよね。本当は5~6匹同じ猫を飼ってるんじゃない?」
 なんて真面目な顔で冗談を言うもんだから、またしても笑いがこぼれ出てしまう。
 まったくツトムは、私の笑いのツボを突くのが上手い。

「なんで笑ってるんだ?」
 あまりに笑い転げる私に、デーブが不思議そうに尋ねてくる。
 私はどうにか、その猫のことを英語で説明した。しかし話している内に、大笑いする程のものではなかったと思い至る。

 笑えそうにないモノに笑い転げた自分。それがまたおかしくて、私はまた噴き出し笑いをしてしまう。
 いつまでも笑い続ける私に感化されたのか、理解できないと強面の顔を引きつらせていたはずのデーブにもいつしか笑みが浮かんでいた。

 ほんの少し、いや少しどころかほとんど何もしないまま帰りの車の中。「手伝ってくれてありがとう。ご苦労様」
「ビッグヘルプ」
 アーバンとデーブがそれぞれ私とツトムに感謝をくれる。

「私たちは何も役に立たなかった。感謝されるようなことはできてない」「ツトムは英語を勉強したし、君は“ラフジョブ”をしてくれた」
「そうそう“笑い”は人の心を幸せにするからね」
 “ laugh job” つまりは笑う仕事。

 そんなことは気にしたこともなかった。私が笑うのは、ただ勝手に笑いのツボにハマったから。
 仕事なんて、大層なものではない。彼らに言われて普段の笑いを意識したせいで、途端に恥ずかしさが込み上げてくる。

 今度の笑いは、そんな気恥ずかしさを誤魔化すためのものだった。



こんなところに日本人


 この日の朝は、キムと一緒にコーヒータイムに出すクッキーを焼いていた。レシピ通りに作る私と違い、キムの行程はアバウト感満載。不安を覚えながら彼女が焼き終えたクッキーを見てみれば、案の定クッキーの一部が焦げてしまっている。
 もう一度焼き直すのかな?
 なんて疑問は、すぐにキムの大胆な行動によって吹き飛ばされてしまった。
 なんとキムは焦がした部分を削って、まるで何事も無かったようにテーブルへと持って行ったのだ。

 私はこのキムの大ざっぱさが大好きで、彼女がキッチン担当の日は、積極的に手伝うようにしている。

 私はツトムのように、気を利かせて自分から仕事を見つけることが苦手で、指示された内容をこなしていくほうが好きだ。キムに訊くと、必ず的確な指示で仕事をくれるので助かっている。
 そんなキムももうすぐここを出て行くそうで、コーリンやウォーレンといい、仲良くなれたと思ったら別れる神様のいじわるが続く。
 だけど彼女とは入れ替わりで、日本人男性がもう1人来るらしい。カナダの北の北のこんな田舎に来るのはどんな人か興味があり、私は急遽滞在を1週間延ばすことにした。

 キムの他にも、私には心強い味方がいる。それはハザーの末っ子の、三歳になるモンティという男の子。この子はどんなに遠くからでも、私を見つけると「ナナー!」と大声で呼んで、「遊ぼー!」と手を取ってくる。

 子どもが苦手な私は、小さい子とどう遊んだらいいかわからなかったけど、モンティは川に石を投げて「スプラッシュ!」と言って勝手に遊んでいた。
そして何かを見つけるとしきりに声をかけてくる。
「ナナ! 見て!」「これ何? ナナ!」
こっちが英語がわからなくても容赦がない。

 この子は人懐っこく、私の名前が呼びやすいからなついてくれたのだろう。それに英語もたどたどしいから、一般の大人だと思われていないのかも。
 いずれにしろ、このモンティのおかげで暇なときは時間を潰せるので、彼は私の心強い味方だ。

 しばらくしてもう1人の日本人のフジオが到着した。
岡山出身の彼は、大学卒業後すぐにワーホリとしてここに来たと言う。頭がキレるというか、私の話したことの理解度も早かった。
彼は路線マニアらしく、持参していた交通便の資料を見せてもらった。博学な彼はいろんな情報をくれる。
 口調になまりがあって、話すスピードも早く、それは英語でも同じこと。彼の話した言葉が英語なのか日本語なのかわからないときもあって、早速私は興味を引かれた。

 フジオは英語が理解できる上に自信家だ。ちょっとズレてるところもあるけど、自分のペースを守る。私たちの友達にはいないタイプの人間だった。
 そんな新参者の彼を、私とツトムは物陰からコッソリと見ていた。
「今までに会ったことのないタイプだし、明日からの彼はどうなることかな」
「案外器用にこなしちゃったりしてな。俺としては、カナダの洗礼を是非とも味わって欲しいけども」
 そういうツトムの顔は、意地悪と好奇心で口元が緩み切っていた。
 でもそれをわざわざ口にするほど、私も野暮じゃない。だってそれを言ったらきっと、私も同じだと返されていたと思うから。
 フジオは果たして、私たちのカルチャーショック仲間になるのだろうか。

 次の日、私はみんなとヤギ小屋の掃除をすることになった。
小屋掃除はこれで3回目。だからといって余裕なんて無くて、今日も自分に与えられた仕事で精一杯。
フジオもそうだろうと始まる前は仲間意識を持っていたのだけど。いざ作業が始まったら私はむしろ彼から指導されていた。
こんなはずじゃなかったんだけど……。
 掃除が終わってからは、一緒に掃除していたカナダ人たちは機械いじりを始めて、いつも通り私たちは放置状態。特にやることがないのもわかっていたので、私はボーっとしていた。「なんでブルーになってるの?」
 私の行動が不思議でならなかったのだろう。フジオは何度も私に訊いてきた。

それにツトムにも「奈々さんはいつもこうなんですか?」なんて訊いてるし。
 さらには「あんまり日焼けしてないようだけど、外の仕事は何回目?」とまで聞いてきたもんだ。
 おお、嫌味か?
 まぁ実際、ツトムほど外での仕事はしてないから文句は言えないんだけども……。
 でもキッチンの仕事は頑張ってるし!!
 言われっぱなしなのは癪だから、私は心の中で弁解した。

 その後昼食の皿洗いをしているときも、私はフジオに説教されていた。
 カナダに来てからというもの、出会う日本人には大抵説教を受けて来た。そんな私にとって今更の説教なんて慣れたものだ。

 午後は、日本人3人でガーデンの草むしり。作業中にした日本語での会話は思いの外盛り上がって楽しかった。
 楽天家なフジオは、まだ働いて1日目なのにもうこのファームが気に入ったみたい。

 物知りな彼は、何か話題を振るとそれについて機関銃のように長く、早く、熱く語る。私はソレをラジオ代わりに聞いていた。しかし女性やミーハーネタには興味がないらしく、一言二言で終わってしまう。

 一方ツトムの話題は、ワールドカップや自分の彼女に関することが多い。同じ日本人と言っても興味の対象は三者三様だ。
仮に私たちが日本で出会っていても、決して親しくなることはないだろう。

 この凸凹というのか、ちょっぴりチグハグで一見アンバランスに見える日本人三人組。
 たまたま同じ時期に同じ場所で、日本から遠く離れたカナダの、しかもカナダの都市からも大きく離れた北の北の大牧場で、偶然にも出会ったからこその関わり。
“日本人”というだけで、仲良くしているこのシチュエーション自体がおもしろい。
 いつもの発作のように私が突然笑い出すから、2人は驚いて作業が止まっていた。

 真面目なツトムが急にこう言い出した。
「次笑ったら切手をもらうことにする!」
 切手を賭けるという『笑ってはいけない』ゲームの提案。真面目なツトムがいきなりそんな提案をするものだから、私はたまらず噴き出してゲームセット。
 約束通り切手は2人に渡した。

 夜はレネイも交えて、4人でのお話合い。フジオは冗談を言ってレネイを笑わせていた。
 私やツトムは彼らの英語が聞き取れても、言い返すことはスムーズではないから、フジオみたいに冗談を言う余裕なんてない。
 フジオは持ち前の頭の回転の速さで、みるみるうちに英語を上達させていた。

 時刻は22時半、そろそろ部屋に戻らないと。ただ「そろそろ」と言い出したくてもその英語がわからない。「We will sleep(私たちは寝ます)」
 伝わる語彙を選んで簡潔に伝えたら、レネイに笑われてしまった。
「Together?(一緒に?)」と。
 このときの私の顔は、きっと恥ずかしさで真っ赤にゆで上がっていたと思う。
 でも、不覚にもレネイを笑わせることができた。



初めてもらった“I love you”


 そうこうしているうちに、ずっと待ちわびていた滞在期限の1ヶ月以上が経った。ファームステイ代表のハザーには土曜日にここを去りたいことを伝えた。
 てっきり軽い了承が返って来るものだと思っていたら、ハザーは意外にも残念そうに頷いていた。
「いつ帰って来るの?」
 引き留めようとするハザーに、私の方が驚いて言葉を詰まらせてしまう。
 自分で言うのもアレだけど、私はこの農場で何の役にも立てていない自覚があった。そのクセご飯だけはしっかり食べるから、彼らにとっての私の価値なんて無いに等しいのだと、そう思って疑ってこなかった。

 なのに彼女はそんな私を必要としてくれて、ここを出ると固めたはずの意思が揺らいでしまう。
 でもこのままズルズルとここにいても、狭い範囲の世界で、限られた自由の中だけの生活になってしまう。3食プラスおやつに期待するだけの毎日だ。


 私はこの先いろいろな場所に行って、自分に合うところを見つけたい。その中でこのファームが一番よかったらまた帰ってきたいと、フジオに話したことがある。
「それはまるで、青い鳥探してるみたいだね」
 日本の友達からの手紙でもそんなふうに書いてあったけど、フジオの口からロマンチックな言葉が出て、私はまた笑ってしまった。

 出発前日の夕食の後。普段のみんなであれば食べたらすぐ出て行くのに、その日は私が食べ終わるまで待っていてくれた。
 しばらくすると、モンティや小さい子どもたちが大きなケーキを運んでくれる。
 そのケーキには「NANA BON VOYAGE!(フランス語で“よい旅を!”)」と書かれてあった。
ケーキを切った後に、メッセージカードをもらう。そこにはみんなの名前と一言が書かれてあって、中でも私はモンティのメッセージに目を奪われた。

『I love you Nana! Montana(モンティの本名)』
 書かれていたのはもちろん大人の字だけどツトムが言うには、ジェイミーの妹が代わりに書いた字を、上からモンティがなぞって書いていたらしい。
 そうしないとモンティが書いたことにはならないからと。

 胸がいっぱいの私は、食いしん坊のクセにケーキをなかなか食べられなかった。
するとレネイから手作りのビーズのブレスレットを渡してもらった。それには日本円の5円玉が2つ穴に通されている。
「日本人はよく来るけど、全員にケーキやカードやプレゼントを贈ることはしないよ。ナナは特別!」
 私はファームの人全員に心を込めて「Thank you」と言った。
伝えたいことはいっぱいなのに、結局その一言が私の精一杯だ。

 その後はモンティから「ナナ! ナナ! こっちに来て!」と手を引っ張られ、モンティの双子の妹のサニーもマネして「ナナ! 見て!」とダブルモンティとのわちゃわちゃが始まってしまった。
 子どもなりに、別れがわかったのかもしれない。

 落ち着いてから、ツトムから最後だからとキットカットをもらった。懐かしくもどこか優しい味に私の涙腺は限界だった。

それからフジオに会った私は、ハザーに引き留められたり、みんなから寂しがられたことを彼に話した。
「ハザーにとっては自分の息子と遊んでくれるだけでも、充分いてくれてよかったと思ってるよ。それにあなたはちゃんとよく働いてる。力の差もあるから、できないことは仕方ないしね」
 確かにハザーは、私がステイしているだけでもすごく嬉しいと言ってくれていた。

 ツトムからも励ましをもらったことがある。
「自分のこと追い詰め過ぎだよ。役に立っていないとか」
実際、最初にいたファームでの過酷な労働に比べたら、ここでの仕事は全然働いていないのも同じ。
 フジオが言うには、そういうところは商業目的で、人を雇うよりボランティアでお金を浮かそうとしているらしい。
 そうして2人は私のこれまでの苦労を労ってくれた。
仕事中は私にお説教してきたクセに、いなくなると思ったら、急に優しい言葉をかけ始めるなんて。いいところあるじゃん。

 ここのファームの人たちは優しいから、何もできていない私でも歓迎して別れを惜しんでくれている。
 これまではそう思っていたけど、ツトムたちの話を聞いて考えを改めた。
 実際に何もできていない、なんて人はいないんだ。それぞれの人にできる役割があって、それぞれが互いを必要としている。
 私もつくづく“日本人”だ。
 こんな当たり前にも気づけず、ただ目の前の成果に囚われて自分を追い詰めすぎるのだから。

「奈々は20年後にもう一度ここに来て、大人になったモンティに会うべきだよ! 初恋の相手だけど覚えてる? って」
 そう、ツトムは笑いながら言っていた。

 モンティの20年後は23歳で、ちょうど長男のウォーレンと同じようなイケメンになっているかもしれない。それならまんざらでもない。
 ただ私はそのとき41だけど……。


※関連作『旅の喜怒哀楽以上“悟り”未満』の『青い鳥』のお話の中には、カルメン、キム、ツトムとの他のエピソードも書いています。
 どうぞ併せてお楽しみくださいませ。



第2章 バンクーバー~トロントへと続く・・・・・・


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蔵良 蘭
ご縁に感謝いたします。 大切に使わせていただきます。