あの峠を越えて行け~SLばんえつ物語 X’mas Train 2010~
1.序章
僕は、新潟へ向かう上越新幹線の窓から飛び去るように通り過ぎてゆく窓の外の景色を眺めていた。
最新型の車両を使ったこの車両と軌道は、この降りしきる雪をものともせずに定刻通りに運行している。
さすがは雪国を走ることを計算して造られた高速鉄道であるといえた。
この上越新幹線の開発には、おそらく東海道新幹線が関が原付近で毎年のように雪で運休したり遅延を起こしていた経験が活かされているのだろう。
細かいことは知らないが、今こうして一切の不安を抱えずに乗っていられることが何よりの証拠であると思う。
その最新型の鉄道に乗って、僕は過去の遺産ともいえる旧式の鉄の塊のような鉄道に乗りに行くところだった。
ローカル線である磐越西線を走るSLばんえつ号クリスマス特別仕様列車、『SL X'mas トレイン』に乗るために、僕は始発駅である新潟駅へ、この新幹線で向かってるのだった。
※SLばんえつ物語について
現在、SLばんえつ物語は新潟の新津駅から会津若松までを運行していますが、当時は新潟駅の発着でした。停車駅や車両編成、車内の想定や塗装、車内サービスなども、今は当時とはだいぶ変わっています。
1.1
僕は、子供の頃からSLが大好きだった。
それも、D51やC62に代表される日本のSLが大好きだった。
一方で日本のSLよりも大きくて強い外国のSLは好きじゃなかったし、その他の乗り物にも興味はなかった。
機関車やえもんやトーマスのような、先頭が顔になっているものなどもっての外だ。
子供だった僕には、SLを馬鹿にしているか、子供を馬鹿にしているか、そうにしか思えなかった。
自然豊かな日本の風景の中を、人々の力で力強く走る鉄の塊である日本のSLが好きだったのだ。
でも、不幸にして僕はSLに乗る機会には恵まれなかった。
僕がSLに乗るには時代が遅すぎたのだ。
子供だった僕がSLに乗るには、大井川や山口など遥か遠くに行く必要があった。
しかし、僕の両親は僕をSLに乗せることにそこまでの価値を感じなかったようだった。
事あるごとに、僕の両親は僕にこういったものだ。
「それはあなたが大人になってからね」
だから僕は、この機会を得るには大人になるまで待つ必要があった。
1.2
僕のSL好きは、両親どころか親戚中が知っていた。
そんな僕に、酒飲みの叔父が話してくれたことがある。
普段無口な叔父とは然程仲が良かったわけではないが、叔父としても姉の子供である僕を目の前にして、ずっと黙っているわけにもいかなかったのだろう。
自分の中にあるネタの中から、僕が気に入りそうなものを引っ張り出してくれたのかもしれない。
それは、こんな話だった。
「SLは、あの武骨な外観もいいが、ほかにも沢山いいところがある。
なんといっても、あの音がいい。
あの鉄で出来た筒の中に一杯まで溜め込んだ蒸気で汽笛を鳴らし、
その蒸気の力を、左右非対称に取り付けられた連結棒で動輪に伝える。
その時、SLは呼吸をするかのように蒸気を吐き、
心臓の鼓動を伝えるかのようにリズムを刻んで走り出す。
SLの汽笛や蒸気を吐く音は、造られたばかりの蒸気の圧力で鳴らす。
だから、絶えず音が微妙に揺れ動く。
電気で鳴らす音のように一定じゃない。
まさに鉄で出来た生き物のようだ。」
またある時には、こんなことも話してくれた。
「SLは、冬の日がいい。
それも上り坂の途中がいい。
冬は出力が上がらないから夏よりも多くの煙を上げ、多くの蒸気を吐く。
それでも出力が足りない時には、重連(二両のSLが連結して貨車を引っ張ること)になる。
その姿はまさに力強く、その音は二両のSLの音が重なり合って魂まで響くのだ」
叔父が話してくれた内容は、僕が子供の頃に毎日のように見ていた写真集に映し出されたものそのものだった。
僕は、その姿と音を、いつの日か見に、聞きに行きたいと思いながら毎日を過ごしていたものだった。
その、SLが大好きだった僕は大人になり、今ようやくその機会を掴もうとしていた。
2.計画、そしてチケット購入
2.1
僕は、このクリスマストレインに乗るために、ある計画を立てた。
それは、超リーズナブル計画。
大人になって給料をもらっているとはいっても、そうそう余裕があるわけでもない。
だから、出来るだけ費用をかけないで済むような計画を立てる必要があった。
そもそも、このX"masTrain は、乗るための費用だけなら非常にリーズナブルである。
なにしろ、乗車券のほかには、座席指定券500円のみ。
JRでは快速列車と同じ扱いであり、ホームライナーなどで指定席券を買うのと同じなのだ。
ただし、そのチケットを購入するための競争率は違う。
とくに、今回乗車を目指すような特別仕様の場合はプレミアチケットになる、とは、鉄っちゃんを自負する職場の後輩の説明だった。
そんなプレミアチケットを入手するためには、まずどこで誰から買うかの選択から勝負は始まるらしい。
なんたってプレミアチケットだ。
そして、理由は定かではないけどネットでは購入できない。
だから、JRの窓口で購入することになるのだけど、一瞬の勝負になる場合もあるので、チケット購入の処理を担当する窓口の駅員の腕にもかかっているらしいのだ。
機械の操作や購入時のやり取りに時間がかかると、それだけでも買えないことがある、と。
そこで僕はその後輩とも相談して、僕がいける範囲で、窓口が混みにくくて、しかも腕の良い手練れの駅員がいそうな駅の窓口を選んだ。
2.2
そして、購入当日。
駅には既に発売時刻前から購入者の列が出来ている。
といっても、まだ数人程度ではあったのだが。
その列は、いまいつでも買える切符を買うための列とは別に出来ていた。
その最後尾に僕は並びながら考えた。
この列の全員が同じ日のクリスマストレインを買うとは限らない。でも、時間になったら全国の窓口で一斉に購入が始まる。
僕の前に一体どれだけの人が購入するのかは、全く想像が出来なかった。
少しそわそわしながら待っていると、やがて発売時刻になった。
列が動き出し、窓口には新たに駅員が増員して配置されていた。
数分が経過し、ようやく僕の順番が回ってきた。
僕の担当は、すべてを知り尽くしたベテランという訳ではなかった。
でも、その若い駅員の真剣かつ淡々とした雰囲気は、それ以上の何かを期待させるものがあった。
僕は要件をメモした紙切れを駅員に見せながら同じことを言葉でも説明した。
その駅員の対応は素晴らしかった。
短くも的確なやり取りで要点を押さえ、素晴らしく速いキータッチで端末への入力を終えてゆく。
何の問題もなく、僕は希望する切符を入手することが出来た。
入手したのは、2枚の座席指定券。
一枚は、もちろん『SL X'masトレイン』、もう一枚は『ムーンライトえちご』。
X'masトレインは、希望通り進行方向を向いた窓側の席。ムーンライトえちごも窓側が取れた。
この2枚と、青春18きっぷを組み合わせて、僕は格安でSLに乗る計画を立てていた。
計画では、仕事を終えてから速攻で帰宅し、予め荷造りしておいた荷物に持ち替えて出発、青春18きっぷを使い新潟行きの夜行普通列車『ムーンライトえちご』で新潟へ向かう。
翌朝、新潟からX'nasトレインに乗車し、終点の会津若松から水戸へ出て、最後は常磐線でその日のうちに都内へと戻る。
旅費は、青春18きっぷ2日分の他は、座席指定券2枚分だけ。
計画は万全だ。
この格安旅行で、今まさに僕は幼少からの夢を実現させようとしていた。
3.出発
旅立ちの日を迎えた。
いや、正確には、迎えるはずだった、というのが正確かもしれない。
いよいよというこの時になって、風向きはおかしな方向へと向かい始めた。
この日、強い冬型の気圧配置となった日本列島上空には非常に強い寒気が流れ込んでいた。
後にクリスマス寒波と呼ばれることになるこの寒波の影響で、新潟の津南では一日で50センチの積雪を記録する。
東北方面へ向かう夜行列車は軒並み運休となり、ムーンライトえちごもその洗礼から逃れることはできなかった。
僕は夢の始まりとなる旅を、初っ端からへし折られる格好となった。
とりあえず、仕事帰りの途中の駅の窓口で、既に運休が決定しているムーンライトえちごの切符は払い戻しをした。
X'masトレインは運行するのか、それ以前に、僕はどうやって新潟まで間に合わせるか。
駅員に聞いても、明日の運行予定は現段階では予定通り、としか答えられないという。
そりゃそうだ。
でも、何駅かだけでも動くのなら乗りに行きたかった。
可能性があるのなら。
僕は調べなおした結果、始発の新幹線に乗れば、X'masトレインの発車時刻に間に合うことを突き止めた。
行こう。
当初予定のリーズナブル旅行ではなくなるけど。
ダメならダメで、その時はその時だ。
僕はすぐに新幹線の切符を入手し、翌日の朝に備えて速攻で帰宅することにした。
3.1
翌朝、寝坊することなく目覚めた僕は、前の日のうちに用意しておいた荷物を抱えて早朝の町へと飛び出した。
天気予報通りなら、間違いなく大雪になる。
寒さも半端ないはずだ。
そこを考慮して、僕は自分が持っている中で最も温かいと思われるミズノのブレスサーモ製防寒パンツとユニクロ製のダウンコートを着込んでいた。
この服装だと暑いけど、脱ぐと荷物になるので着ていくことにした。
荷物は、着替えとカメラ2台、あとは食料とポットに入れた温かい葛湯だ。
結構な荷物だけど、なんとか手持ちのリュックサック型のビジネスバッグに押し込んだ。
日帰りの弾丸SLツアー。
僕はまだ人もまばらな早朝の上野駅で上越新幹線へと乗り込んだ。
さあ、これから出発だ。
4.新潟駅にて
新潟駅には、ほぼ定刻通りに到着した。
土曜日の朝であるせいか、或いは東京のラッシュを知っているからか、比較的空いているように感じながら駅の構内を歩いた。
ぱらぱらと店も開いているが、とくに僕の興味を引くような店は見当たらない。
SLの入線時刻までは、まだ時間があると思ってぶらぶらとしていると、汽笛の音が聞こえてきた。
あれ?もう来ているの?
線路の見える窓を探して外を見てみると、ヘッドマークを付けたSLが既に駅のホームで白い煙を吐いて停車している。
あ、しまった。入線を見逃した。
しかし、見ているとSLが少しずつ動いている。
これから客車と連結するようだ。
僕は急いでSLの待つホームへと走っていった。
ホームに駆け込んだ時、今まさに連結しようとしているところだった。
がしゃん、という音を立ててSLと客車が結合される。
まさに一瞬だ。
しかし、連結部には作業員の人たちがいて見ることができない。
おそらく、電源を繋いだりいろいろな確認作業があるのだろう。
作業員や先に並んでいたファンがいなくなった後で、僕は連結部の写真を収めた。
SLに大接近しての今日最初の写真を撮り終えると、今度はSL本体の写真を撮るために車両前方へと移動した。
でかい。
そして、長い。
子供の頃、写真を見ながらよく模写をしたものだが、間近で見る黒塗りの機体は、想像を超えて、遥かに大きく、重厚で、そして長かった。
機体の先頭に近付くと、いわゆるSLの顔の部分の写真を撮るための列が出来ている。
時計を見ると、まだ9時10分ころだ。発車時刻まではまだ時間がある。
余裕があることを確かめると、僕もその列に並んだ。
順番を並んで待ちながら改めてこの機体の長さを確かめる。
少しずつ列は進み、ようやく先頭を拝むことが出来た。
重厚な黒光りするボディーが、自らの吐き出す白い蒸気に包まれている。
SLは、C57の180号機。C57~ファンの間では貴婦人の愛称で知られる美しいフォルムを持つ型式のSLの180番目に製造された機体だ。
その先頭の中央株には、この容姿には不釣り合いにも思えるような可愛らしいヘッドマークが据えられていた。
漫画で描かれた、SLばんえつ物語のゆるキャラであるおこじょがサンタの服を着てトナカイと一緒にポーズをとっている。
そして、その周囲は赤や青や緑色に反射する珠や金色のベルを飾り付けられた緑色のクリスマスリースで囲まれていた。
SLの進行方向を見ると、二つの信号機が赤ランプを灯している。
雪はない。
複雑に絡み合う幾つものポイントを越えた先の方まで、線路付近に白いものは見当たらなかった。
僕は、いつか叔父から聞いた、雪原を力強く走るSLを見れるかもしれないと内心期待していたのだけど、雪がないのは順調に運行できることも示していた。
それに、これから郊外へ出ると、多少は雪が積もっているかもしれない。
いや、あの天気予報だ。
きっと雪はあるのだろう。
むしろ、あの天気予報にもかかわらず予定通り運行されるということは、JRがこの機体が走れると判断したことの証明でもあった。
これから始まる4時間と少しの旅の始まりに期待して、僕はようやく乗る人を待つ客車へと歩き出した。
4.1
客車の席へ向かう途中、僕は改めて重厚な機体の詳細部分を眺めた。
まさに重厚。
巨大な鉄の動輪、そしてそこに動力を伝える太い鋼鉄のシリンダー。
ピストンの上下運動を前後の運動に変換し、更に動輪の円運動へと運動エネルギーを伝える構造は圧巻だ。
よくもこんなものを作り出したし、今の今まで動かしているものだ。
軽量化の進んだ、電気のモーターで動く現代の電車とはすべてが違う。
今はもう造ることもできないと聞いたこともあるこの古い機体は、まさに、いにしえの技術の粋を結集させた鋼鉄製の結晶なのだ。
更に車両後方へと移動して行くと、SLの運転席も見学出来るようだったので僕も中に入れてもらうことにした。
順番を待つ間、運転席の横に貼られたプレートを見る。
三菱製、昭和21年513号、とある。
戦後間もないころに誕生し、恐らく動態保存の期間を経て今また客車を引いている。
僕よりも遥かに長い時を生き抜いてきた老傑は、今は静かに出発の時を待っているようだった。
数人が運転席に出入りした後に僕の順番が来た。
中に入った僕は、まず運転席を見た。
そこにあるのは、近代的な電車からは想像もつかない、機械仕掛けのハンドルとバルブ、そしてメーターが並ぶ機械室のような空間だった。
振り向くと、機関士がシャベルを使って石炭を放り込む窯があり、蓋を開けると真っ赤に燃える炉の様子が見える。
ここでこの機体の動力が生まれるのだ。
夏の暑い日も、機関士の人が汗と煤にまみれながら石炭を燃やし続けたであろうこの空間は、どこか懐かしさと人のぬくもりのようなものがある。
そこに、若い機関士の方がいらしたので、写真を撮らせていただいた。
ここの写真を撮る人は、きっと、SL本体や自分の写真を撮ることに夢中な人が多く、この若い機関士の方に興味を抱く人なんていなかったのだろう。
すこし驚きながらもその方は撮影に応じてくださった。
この方も、SLに憧れて、ずっとこの機会を願っていたそうだ。
そして、機関士見習いという立場ながらも、長年憧れていたこの仕事にようやくかかわることが出来たのだと話してくれた。
僕も、子供の頃は切に願っていたこともあった。
その彼をうらやむ気持ちもあったが、また、心から「よかったね」と思えた。
この仕事にかかわるのは、そんな人がいい。
ファインダーの中には、そんな彼の少しはにかんだような笑顔が揺れていた。
せっかくなので、ついでに、二人並んで運転席の窓から覗いているところも撮ってもらった。
運転席を出て列車後方へと向かい、僕はようやく自分が乗り込む客車の前へと辿り着いた。
この客車も先ほどまで見ていたSLと同じ時代から使われているものなのだろうか。
年季の入ったような壁面は、手作りの車両であるかのような凸凹にSLが吐き出した煤が付着し、往年の歴史が染み込んでいるかのようだった。
その車両の上部には、SLの先頭にも飾られていたサンタの服装をしたおこじょとトナカイが描かれた行き先表示版が輝いている。
このミスマッチ感が、慣れてくるとむしろ似合っているかのような感覚になるから不思議だ。
会津若松と新潟間を示す文字の上には『SL X’masトレイン』の文字。
その2号車に、僕は乗り込んだ。
4.2
客車の内部はレトロな雰囲気だ。
デッキ部は木目を生かしたような作りになっていて、どこか温かみを感じる。
座席の並ぶ車内の天井には、赤や緑、青に光るクリスマスイルミネーションが点滅する。
僕は自分の席を確認すると、ほかの車両の様子も見てみることにした。
この列車には、通常の客車とは別に展望室のある車両とビュッフェのある車両が連結されている。
これらの車両は、とくに特別な切符などがなくても、このSLの乗客は誰でも自由に利用することができる。
展望資質のある車両は、このあとジャズの生演奏が行われることもあってか、既に満席になっていた。
僕は、その隣に連結されている売店のある車両も覗いてみた。
ここではお弁当の他、ここでしか買えない特別なアイテムの数々が購入できるようだ。
特に目を引くのはSLばんえつ号を模った特製SL弁当だ。
発車前なのに、既に殆どが売り切れになっている。
僕は、こういった商品には全く興味がないのだけど、ほかの乗客には需要が高いらしい。
カウンターの上には、他にもお酒やらおつまみやらお菓子などが並べてあった。
僕は車両の一番後ろまで通して歩いてみた。その最後尾の車両の後ろには、この客車をここまで連れてきたであろう電気機関車が止まっていた。
EF81と書かれた朱色の機体は、SLとの時代の変化を感じさせる。
この場所で、時代を隔てた二両の機体が客車をバトンタッチしたかのようだった。
SLに客車を無事預け終えた機体は、誰に見られることもなく、その場所に静かに留まっていた。
4.3
再び客車に乗り込んだ僕は、デッキ部分の壁に貼られている車内の案内掲示板を見つけた。
運転日は、12月23日から25日までの三日間のみ。
今日はその最終日だ。
客車は7両編成で、その中央には展望室のある車両が連結されている。
乗客定員は468名。
改めて、よく座席を確保できたものだと思う。
このあと、新潟駅を出発したSLは、途中10か所の駅に停車しながら会津若松までを3時間と少しかけて走る。
長旅だ。
でも、SLに曳かれて走るこの客車だったら、僕は少しも苦痛にはならないだろうと思った。
たぶん、SLの音を聞きながら、この古い車両から流れる車窓の風景を眺めていたら、あっという間に時は過ぎてゆくのだろう。
子供の頃に飯田線全線を乗ってきたときもそうだったし、夏に只見線に乗ってきたときもそうだった。
今回はそれにSLの要素が加わるのだ。
退屈するわけがなかった。
自分の席まで戻る途中、再び展望室のある車両を通ると、地元の観光キャンペーンの方々だろうか、若い女性が何人もサンタの服を着て並んでいた。
壁にはジャズの演奏予定も貼られていた。
最初に停車する新津駅を出た後と、野沢駅を出た後で演奏されるらしい。
ドラムセットなどが据えられた小さなステージには、演奏者の方が早くも楽器のチューニングなどを行っていた。
出発まで、まだもう少しだけ時間があったので、僕は再び先頭のSLを見に行った。
僕はこの旅でSLを満喫しに来たのだ。
大人しく席に座っているなんてもったいない。
少しでもこの貴重な機会を有効に使いたかった。
SLの後部には石炭を山と積んだ炭水車が連結されている。
出発の時が迫っているせいか、SLは煙突から濛々と黒い煙を吐き出している。
殆どの乗客は既に写真を撮り終えて客車に収まっているようだった。
写真を撮ってるのは、恐らくは乗客ではない撮り鉄の方々だ。
きっと、撮影位置を確保したままSLが動き出し走り去るまであそこにいるのだろう。
僕はその中にちょっとだけ入れてもらい、今まさに走り出す直前のSLの雄姿をカメラに収めた。
駅のホームに、まもなく発車すると放送が入る。
僕は急いで客車へと引き換えした。
振り向くと、運転席には先ほどの若い機関士が仕事をする表情になりしっかりと前を向いて乗り込んでいる。
それを横目で見送りつつ、僕は少し駆け足で自分の席へと戻った。
そして、長い長いSLの旅は幕を開けた。
5.旅程
5.1.発車
車両の前方で、ヒョオーっと汽笛が鳴る。
続けて、シューっと蒸気を吐き出す音。
ガコン、と客車が揺れ、SLの曳く客車は動きだした。
ジュッ、ジュッ、と、ゆっくりと蒸気を吐き出す音。
その音に付いて行くようにして、ガタン、ガタン、と客車が揺れる。
その音と揺れの間隔が、徐々に縮まって行き、やがて一定のリズムを刻み始めた。
窓の外を見ると、黒い煙が車両後方へと流れてゆく。
その煙は、ちいさな雲のような塊の列となって、客車と街の風景の間の区間に、ずっと後方まで伸びていた。
汽車は、またヒョオーっ、ヒョオーっ、と汽笛を鳴らした。
その音は、駅や、窓の外を流れゆく街に別れを告げているかのように聞こえた。
順調に走り出したところで、僕は改めて相席の皆さんを見てみた。
正面の方は、瘦せ型で手にはカメラを提げていた。
僕と同じで、たくさんの写真を撮りに来たのだろう。
しっかりと窓側の席を確保していた。
その隣は、少し太めのサラリーマン風の方。
お酒が大好きなようで、終始日本酒のグラスを片手に汽車の揺れに合わせて揺れていた。
隣は小柄な若い方。
学生だろうか。
皆、無口だったけど、SLが大好きなのは一目見て分かった。
その証拠に、皆楽しそうに、或いは満足そうにしている。
他のボックスには親子連れや友達同士のような人たちもいたけど、このボックスの面々は、そんな少しマニアックな独り者たちが集まっていた。
少し走ったあたりで、車掌さんが挨拶にやってきた。
どうやら話をするのが得意そうな人だ。
車両の端の中央に立ち、明るく大きな声で話している。
続けて、先ほどのサンタ服の皆さんも車両に入ってきて挨拶していた。
次に止まる新津駅で色々販売するらしい。
車掌さんから乗車手帳が配られ、ひとしきりにぎやかになった後で、また車内は汽車の音と小さな話し声だけの静寂が訪れた。
5.2.新津駅
新津駅。
ほぼ定刻通りの到着。旅は順調だ。
先ほど各車両に挨拶して回っていたサンタ服の皆さんは、この駅で下車したようだ。
訳10分間の停車時間があるので、僕は客車から乗りてみた。
新津駅のホームでは、各種駅弁や地元新津名物の団子が売っていたり、写真撮影用の横断幕を運転手と車掌さんが持って広げていたりと、一種のお祭りムードのようなものが漂っていた。
その一方で、ホームには薄っすらと雪が降り積もっていた。
踏むと雪が解けて、黒いアスファルト製のホームの色が見える程度なので、積雪量は大したことはない。
むしろ、雪の中のSLの写真を撮るには絶好のチャンスとなっていた。
SL前方のホーム上には、人だかりが出来て皆で写真を撮っている。
僕はその群衆には加わらず、手前の動輪の横で鋼鉄の機体を眺めていた。
先頭の、いわゆるSLらしい写真もいいけど、好きな人はこういう方がいいんだよね。
僕は、雪化粧をしたホームの横で白い湯気を吐く機体の足回りの当たりをファインダー越しに構図を定め、シャッターを切った。(写真:DSC1834)
その後、僕は人だかりを避けてホームのずっと前方へと回った。
進行方向、赤信号の先、幾つかのポイントの向こうへとまっすぐに伸びる線路の脇には、うっすらと雪が積もっている。
この先は雪原を駆け抜けることになる。
可能なら外からも眺めてみたいものだけど、乗っているのだからそうはいかない。
そのことを少しだけ残念に思いながら、僕はSLを振り向いた。
少し強く降り始めた雪の中で、C57はライトを灯し、白い湯気と煙をまとっていた。
ヘッドマークのおこじょとトナカイも、クリスマスリースの中で楽し気に笑っていた。
5.3.五泉駅、そして咲花駅へ
X'masトレインは、定刻通りに新津駅を出発した。
この駅を出たら、ジャズの演奏が始まるはずだ。
せっかくだから、ちょっと覗いていこう。
僕は、自分の席には戻らずに、直接展望車に乗り込んだ。
展望車の中にはクリスマスツリーが飾られている。
既に演奏に備えて楽器や譜面台が据え付けられ、奏者の方々が準備を進めている。
展望車の中は既に満席で、立ち見するにも窮屈な状態だった。
みんな、余程ジャズが好きなのか、それともこの特別な展望車両の席から動きたくないのか、いずれにしても、SLの音と揺れの中でゆったりとジャズを鑑賞しながら車窓の景色を眺めるという理想の状態からはかけ離れていた。
どうしたものかと思案しているうちに、次の停車駅である五泉駅に到着した。
新津駅からこの五泉駅までは15分。あっという間だ。
そして、サンタ服の皆さんを始めとしたキャンペーンチームの皆さんはこの駅までの活動のようだ。
短い旅を終えて、皆一緒に客車から降りてゆく。
1分後、汽車は動き出した。
窓の外では、サンタ服の皆さんがホームで手を振っている。
乗客のなかの幾人かは、車内から手を振り返していた。
そんな様子を、僕は展望車の込み合った車内からなんとなく眺めていた。
そんな中で、準備が整ったのか演奏が始まる。
皆、楽しそうだ。
でも、僕の好みとはあまり合わなかったので、しばらく聞いた後で僕は展望車量から出た。
僕が自席に戻ると間もなく、車内にトンネルに入るので窓を閉めるようにとの放送が入った。
「窓開けてみてもいいですか?」
僕は常識とは逆のことを相席の皆さんに提案してみた。
通常、窓を開けていると車内に煙が入ってきてしまうので窓を閉めるのだ。
でも、それがどんな状態になるのかわからなかったので、ちょっとだけ体験してみたくなったのだ。
すると、皆さん笑いながら了承してくれた。
向かいの席の方と協力して窓を開ける。
トンネルの直前で汽車は汽笛を鳴らし、間もなくトンネルへと突入した。
「うわっ」
窓からは真っ黒な煙がもうもうと流れ込んできた。
細かい石炭の煤は次々と入ってきて、客車内を充満する勢いだ。
僕たちは慌てて窓を閉めた。
失礼しました。
僕たちは、えへへ、と苦笑いしながら辺りを見回した。
何が起こったのかわからない他の乗客たちは、車内をきょろきょろとしていたので、僕たちは目立たないようにさっさと席に座った。
やがて、汽車は咲花駅に到着した。
窓の外の雪は、徐々に深くなっているように見える。
それでも、三川駅、津川駅と、汽車は順調に過ぎていった。
僕は最後尾からの景色を見たいと思い、席を立った。
途中、展望車の中を通る。
既にジャズの演奏は終わり、車内は閑散としていたが、天井まで続く大ガラスの窓とソファのようなシートが設えられている座席ははしっかり埋まっていた。
ちょっと座ってみたかったけど仕方がない。演奏する人がいなくなった楽器の間を抜けて、僕は最後尾の車両へと進んだ。
列車の最後尾に着くと、僕はそこから見える景色を小さな窓から覗いてみた。
汽車は郊外へと出て、雪は一段と深くなった。
雪原の向こうには雪を被った野山が見える。
列車の最後尾の窓からは、白い森の中に単線の線路が伸びているのが見えた。
いつか、子供の頃にテレビで見たのと同じ光景だった。
5.4.津川駅にて
汽車は津川駅に到着した。
この駅では、元々長い磐越西線をSLが走りきるための補給をするために、停車時間が長く設定されているらしい。
しっかりと雪が積もった駅のホームに、多くの乗客が降り立った。
咲花駅を過ぎたあたりからだろうか。
雪がだいぶ深くなってきている。
そのせいだろうか、予定時刻から少しずつ遅れていたのが、ここにきて顕著になった。
現在、約25分の遅れ。
そして、この先の野沢駅でポイントが凍結したためしばらく停車するという。
雪と寒さは加速している。
でも、誰も気にしてはいないようだ。
ホームに降りた乗客たちは皆、雪の感触を楽しんでいる。
そして、その多くの人はある程度雪を楽しんだあとは汽車の先頭へと向かった。
もちろん、雪の中で煙を吐くSLの雄姿を撮るために。
僕もその中に交じり、人だかりの先、SLからは最も遠い一番先頭へと移動した。
僕のカメラは一眼レフで、望遠ズームを付けていたから少々遠くても問題はない。
ズームレンズでしっかり引き寄せて雪の中に佇むSLの姿を捉えることが出来た。
その一方で、保線作業員や車両のメンテナンスを行う作業員の方々は忙しそうに働いていた。
この駅では、この先の峠越えに備えて水などの補給を行う。
言われてみれば当たり前の話のだけど、SLは石炭を燃やし、蒸気を発生させてその圧力を推進力に替えて進む。
その蒸気を生み出すための水を大量に必要とするのだ。
だから、峠越えを前にして水の補給は欠かせない。
その作業をこの駅で行うようだった。
また、それ以外にも、SLの機体に付着した雪を落としたり、駆動部などの不具合がないかなど入念な点検が行われていた。
線路の進行方向を見ると、そこはもう完全な雪国に見えた。
深い雪の中を、もうもうと煙を吐いて走るSL。
まさに思い描いていた世界へと、僕たちを乗せたSLは突き進んでいこうとしているようだった。
この深い雪の中で、先頭に取り付けたラッセルはとても役に立っているようだ。
深く積もった雪をこれで掻き分けながら、着実に進むのだ。
それにはSL本体の重さも関与しているのだろうか。
ラッセルで除雪し、動輪の前に砂をまき、機体の重さで線路との間の雪を溶かし、巨大な動輪でしっかりと大地を掴んで進むのだ。
今どきの電車からは想像できない鉄道の姿がここにある。
雪の中で、SLの力強さを感じずにはいられなかった。
5.5.雪世界
やがて、ホームにはで汽車が出発する時刻が近付いていることを知らせる校内放送が流れた。
それまで写真を撮ったり雪遊びをしていた乗客たちが、自分の車両へと戻って行く。
やがて汽車が動き出したのは、予定時刻を30分ほど過ぎた頃だった。
でも、乗客は誰もそのことを気にしていなかった。
むしろ、遅れた分余計にこの貴重な体験を楽しんでいるように見えた。
津川駅を出ると、汽車は少しずつ山の中へと進んでいるようだった。
車窓からは、地面も木々も深い雪に覆われている様子が見える。
集落の前を抜ける時にも、その屋根には厚く雪が積もっていた。
日出谷駅。
汽車は更に遅れ、その時間は35分ほどになった。
この汽車は、元々は会津若松で折り返して新潟まで戻る予定で、余り遅れると復路の運行に影響が出そうだ。
でも、終点の会津若松で約2時間あるから何とかなるのかもしれない。
この汽車で往復する予定の猛者も多いみたいだけど、とくにアナウンスもなく、皆なんとなく気には留めながらも大丈夫だと思ている様子だった。
日出谷駅を出ると、雪は更に深くなった。
しかし、汽車は少しずつ遅れながらもこの雪の中を力強く走り続けている。
窓の外には、白い雪とSLの吐き出す黒い煙が描き出すモノトーンの世界が繰り広げられていた。
途中、汽車は踏切に差し掛かった。
腰までありそうな積雪の中、雪を掘り下げたところに三脚を立てカメラを構える一団が目に飛び込んできた。
既に道路や踏切の除雪は諦めたのか、雪が積もり放題のところで、その一団のいるところだけが綺麗に除雪されている。
この雪の中、大変な作業だったに違いない。
でも、そうまでしてでも雪の中を走るSLの写真が撮りたかったのだろう。
撮り鉄魂恐るべし。
その彼らは、先頭のSLが過ぎた後だからか、手に持ったカメラを下げて、手を振っている人もいた。
小さな森を過ぎると、窓の外に大きな堰が見えてきた。
上野尻ダムだ。
調べてみると、目の前を流れる阿賀川に掛かる発電用のダムで、昭和33年に造られたとある。
発電に使う水の落差は14mくらいで、なんでも世界初の立軸バルブ水車が採用された水力発電所、らしい。
歴史のある巨大な構造物は、雪と氷と煙だけの世界で、ひときわその存在感を放っていた。
5.6.豪雪
野沢駅は、深い雪の中だった。
駅名を示す看板(駅名標というらしい)の上には深々と雪が積もり、その脚は既に雪に埋もれている。
開けられた扉の向こうには、踏み出すのも中書されるほどの雪が高々と積もっていた。
その雪は、客車の窓から手を伸ばせば雪がつかめるほどに積もっていた。
試しに窓から手を伸ばして、雪を掴もうと試みる人も。
近付いてみると、その手にはしっかりと雪が握られていた。
もはや、客車からホームに降りる人も少なかった。
降り積もった雪も多いけど、降りしきる雪も多かった。
ホームに降り立つのは、駅のトイレに用がある人と、この雪の中でも写真を撮りたいごく少数の人たち。
そのホームを歩く人達の上からは、大粒の白い塊が、どさどさと大量に落ちてきて、すべてを白い世界へと埋め尽くそうとしていた。
ホームと線路の境目も見えないような雪の中、降りしきる雪にかすんだ視界の先で、ようやく信号が青に変わる。
雪の中でも息づいていた煙突が、再び力強く黒い煙を吐き出す。
その漆黒の機体には、真っ白い雪が浮かび上がる。
汽笛を鳴らし、意を決したようにSLは白い蒸気を大地へと吐き出す。
定刻から50分以上遅れて、汽車はようやく動きだした。
山都駅に着いたのは、定刻から1時間以上遅れた頃だった。
この先の峠を越えるために、しばらくここで停車すると放送が入る。
元々この駅では10分間の停車時間が設けられているため、深く積もった雪にも関わらず多くの人が客車から出てきていた。
雪が積もりすぎていて、よく見ないとホームの端が見えなくなっている。
乗客たちは、前の人が歩いて雪が踏み固められた跡を行儀よく並んで歩いていた。
客車から出てきた乗客たちが向かう先は、先頭のSLが撮影できるホームの先の線路際だ。
ここでもまた長い行列が出来ている。
僕は、列の最後尾にたどり着くと、大人しくその列に加わった。
よく見ると、雪で線路が凍結したのか、既定の停車位置よりもだいぶ前でSLは止まっている。
写真を撮る長い列の横では、作業員の方がSLの動輪あたりでメンテナンスを行っているのが見えた。
ようやく僕の番が回ってきた。
僕は大切な一眼レフを懐から取り出し、SLの顔に向けて構えた。
ファインダー越しに見えるSLの姿は、もはや雪まみれだった。
除雪機やその上の機体のみならず、先頭に飾られたエッドマークさえも全面的に雪が付着していて、もはや読み取ることもできなかった。
ただ、辛うじてクリスマスを示す赤と黄色のイルミネーションだけが弱弱しくその光を放っていた。
降る雪はその勢いを強めているように見えた。
その強さは、写真を撮る人なら分かると思うけど、オートで撮るとカメラのピントが手前の雪に合うほどだった。
そのため、SLの写真を撮りに外へ出ていた人の多くは、写真を撮り終えると足早に客車へと戻っていった。
その服や頭に被せたフードにも、白く雪が積もっていた。
前にも書いたように、SLは石炭を燃やして水蒸気を作り出し、その圧力で走る。
だから、気温が下がると蒸気を作るのが大変になる。
そのため、普段よりも余計に火力を上げて水蒸気を作り出す必要があるのだ。
更に、今回は大量の雪が降っている。
この雪が機体に付着すると、その雪がせっかく加熱した機体を余計に冷やしてしまう。
また、付着した雪が一旦溶けて再び凍り付くと、本来動くべき機械部分が正常に動かなくなってしまう可能性もあった。
これらを防止するために、機関士などの作業員が機体に付着した雪をせっせと落とす作業を行っていた。
運転席周辺には、運転手や機関士、機体の整備員などが集まって何か話している。
無線で何か連絡を取り合ったりもしているようだ。
この先、しっかり運行するための最終調整でもしているのだろう。
この車両を動かすために、ここにいるだけでもこれだけ多くの人が精一杯のことをやっているのがわかる。
それらの人に守られながら、SLは一人、蒸気の圧力を高めながら、ただ静かに出発の時を待っていた。
5.7.峠越え
大雪の中、汽車は動き出した。
山都駅を出ると、それまで線路沿いに流れていた阿賀川に別れを告げ、次第に山深い中へと進んでゆく。
途中、汽車は鉄橋に差し掛かった。
阿賀川の支流、一ノ戸川に架かる一ノ戸川橋梁だ。
川を渡り切った先の河川敷らしいところには、また撮り鉄の人たちが雪に埋もれながら写真を撮っている。
大きなワンボックスカーで来ている人もいたようだけど、その車はどう見ても雪に埋もれて動けなさそうに見えた。
このあと彼らはどうするんだろうと、ちょっとだけ気になりなら僕はその様子をカメラに収めた。
「いま、この辺を走っているのはこれだけらしいですよ」
スマートフォンを見ていた隣の学生風の人が、どこからか情報を仕入れたのか、突然話し始めた。
どうやら、この雪のせいでSL X’masトレインが走っている磐越西線で運行しているのは、僕らが乗っているこの汽車だけらしかった。
SLが大好きな僕たちは、SLすげえ、と盛り上がった。
たしかに、この雪では除雪車が雪を退かさない限り通常の電車は走ることさえ出来ないだろう。
スピードは落ちているとはいえ、この豪雪の中でも進み続けているこのSLは、確かに凄いと言えた。
そのSLが、それまで確実に進めてきた歩みを止めた。
シューっと蒸気を吐く音がして、そのあとゆっくりと後退を始めた。
多くの乗客の頭上に「?」が揺れる。
スイッチバック?と僕が聞くと、いや、こんなところにスイッチバックはない、と向かいの痩せた人が言う。
汽車はしばらく後退した後で、再び進み始めた。
そして、再び停車。そして後退。
微妙な空気とともにどよめき始めた車内に放送が入る。
「この先の峠を越えるために、蒸気の圧力を高めています」
そう。
異常な低温と付着した雪のせいで、通常なら難なく超えることができるはずの峠を越えることが出来なかったのだ。
後にクリスマス豪雪と呼ばれるこの大雪をもたらした寒波は、異常な低温を引き起こしていた。
この日、会津若松市の最高気温は午後二時だが、その気温は氷点下1度を下回っていた。
汽車が止まったのは午後2時半。
山の中であることも考えると、更に気温は低いのだろう。
どこからどうやって来たのか、幾人もの撮り鉄の人たちが線路脇で見守る中、汽車は峠を越えるための力を蓄えるため、大雪の降る山の中で停まり続けた。
煙突からは真っ黒な煙をもうもうと吐きながら、SLはその時が来るのをじっと待っていた。
5.8.代償
ガタン、という揺れとともに、汽車は動き出した。
機は満ちたのだ。
汽笛の音からは、これで必ず峠を超えるんだという意思が感じられた。
車内の空気はピンと張りつめ、乗客はみな緊張した面持ちで経過を見守っている。
汽車は、緩やかな勾配を、ゆっくりと、ゆっくりと進んだ。
緊迫した時間が過ぎる。
窓からは、雪に覆われた樹々が、ゆっくりと流れていくのが見えた。
どれほどの時間が過ぎたのだろうか。
汽車は徐々にスピードを上げた。
それと合わせて、車内の傾きが逆側に転じる。
汽車が峠を越えた瞬間だった。
車内には、安堵のため息と歓声が上がった。
それに応えるように、汽車は汽笛を鳴らし、力強く煙を吐き出した。
トンネルを抜け、鉄橋を渡り、汽車は雪の中を進む。
そうして汽車は、次の停車駅である喜多方駅へと到着した。
喜多方駅もまた深い雪の中だった。
約2時間半遅れての到着。
乗客は一様に安堵していた。
しかし、時間的に折り返し運転は不可能であると思われた。
程なく、本日の復路の運行は運休となることが車内放送で告げられた。
そして、しばらくこの駅で停車することも併せて放送された。
時間があるというので、乗客の多くはとりあえず客車から降りて、写真を撮ったり、雪のホームを歩いたりしている。
僕もまたホームに降り立ち、写真を撮って歩いた。
日が傾き、気温も下がってきたせいか、雪は更に勢いを増してバサバサと降ってきている。
その中を、僕はSLの顔の写真が取れる位置までの移動を試みた。
しかし、ホームのずっと先にあるSLの前までは進むことはできなかった。
僕は、進むことができる最も前の位置から前方の写真を撮った。
大粒の雪に霞む司会の先に、うっすらと赤い光を放つ信号が見えた。
僕が自分のシートに戻ると、他の3人が現在汽車が停車している理由について話していた。
早速僕も混ぜてもらった。
車内放送では、峠を越えるためにすべての水を使い果たしてしまったため、しばらく停車すると言っていた。
しかし、この駅にはSLに水を補給するための装置は無いという。
その辺の話は、汽車が走り始めてからずっと日本酒をちびちびと飲んでいた少し太めの年配の方がよく知っていて皆に教えてくれていた。
以前にもSLが水を使い果たして動けなくなったことがあったらしい。
そして、近くの消防署に消防車で水を運んでくれるよう依頼したけど断られたようだったと言っていた。
結局その時には、ほかの列車が救援に来たらしいとのことだった。
今日はどうなるんだろう。
消防車は、やっぱり来てくれないのだろうか。
その日本酒の方は、きっとまた救援の車両が来るのだろうと話していた。
汽車が動き出す気配は全くなかった。
反対側のホームには、かつて寝台車で使われていた客車が停まっている。
後で分かったことだけど、この車両は新潟へ戻る人を送り届けるために会津若松から来た列車らしかった。
しかし、もはやこの先へは進むことすらできなかったのだろう。
この車両について案内されることはなく、ただそこにじっと佇んでいた。
今後の見通しについて何も説明がされないので、不安に感じた人も出始めていたのだろう。
SLの運転席の辺りに運転手や機関士、整備士が集まっていることろに小さな人だかりが出来ている。
一方で、汽車が停車を続けているのを良いことに、喜多方の町に買い物に出かける人もごく少数ながら現れた。
聞くと、少し離れたところに開いている店があるという。
車内の売店は売り切れ御礼だし、僕も買い物に行きたい気持ちもあった。
でも、いつ動き出すかわからない汽車から遠く離れる勇気は、僕にはどうしても持つことが出来なかった。
駅からは、駅前の道路に向けて踏み跡が出来ていて、僕はただその様子を眺めていた。
5.9.救援
しばらくホームで写真を撮っていると、列車の前方で動きがあった。
早速行ってみると、駅の外から長いホースを引き込んでいる。
その先には、一台の赤い車が停まっていた。
消防車だ。
近くの消防署が、SL救出のために一台のポンプ車を派遣してくれたのだ。
過去には断ったこともあったらしいけど、SLの救出のために、僕たちを救出するために、彼らはこの大雪の中を着てくれたのだ。
フェンスの外では、駅までホースを運んでくれたらしい消防士が敬礼をしている。
その姿に、僕は感動せずにはいられなかった。
消防車から繋がれたホースは、SLの後ろに繋がれた炭水車へと引き込まれた。
そして、消防車からの給水が始まった。
しかし、専用の機材ではなかったからか、その作業には大変多くの時間がかかったようだった。
夕闇迫るころ、ようやく汽車は喜多方の駅を出発した。
それまでの出来事が嘘のように、雪の降る夕暮れのなかを汽車は軽快に走った。
その客車内にアナウンスが流れた。
「新潟へ戻るお客様は次の塩川駅でお降りください」
そう、元々が往復運行の予定であったため、新潟へ戻る必要がある乗客も多いようだった。
その人たちを新潟へ送り届けるために、バスを用意するという。
磐越西線を使っての輸送は困難であると判断したのだろう。
そりゃそうか。今見てきたとおりだ。
でも、バスは走れるのだろうか。
スマートフォンを見ていた隣の学生風の人が、既に高速道路はヤバいらしいと話している。
じゃあ、下道でいくの?
よくわからないけど、バスを回すというのだから何かしら方法はあるのだろう。
相席の4人の中では、そういう結論に達した。
そうこうしている間にも汽車は塩川駅に到着した。
新潟へ戻りたい乗客が、続々と客車から降りてゆく。
相席の4人の中でも、正面に座っていた痩せたカメラマン風の人は真っ先に降りて行った。
隣の学生風の彼も、少し迷っていたようだったけど、僕もここで降ります、と、他の乗客の後を追って下車していった。
ボックスシートには、僕と日本酒ちびちびの少し太めの年配の方だけが残った。
その年配の方は、少し苛立ったような落ち着かない様子だった。
僕もまた、このあとどうやって帰るかの決断を迫られていた。
新潟まで戻ることができれば、上越新幹線はまず間違いなく動いているだろう。
しかし、本当に新潟までたどり着けるのだろうか。
会津若松まで行った方が、手段はいろいろありそうな気がした。
そう思いながら、下車する決心がつかないまま汽車は最後の途中停車駅である塩川駅を出発した。
僕は新潟経由で帰るという選択を、この瞬間に失った。
汽車は夕暮れの町の中を軽快に走っていた。
平地に入り、坂もなく、雪も少なくなったのかもしれない。
乗客が減ったのも走るには都合がよかっただろう。
SLは汽笛を鳴らして、オレンジ色に照らし出された高速道路の脇を走り抜けた。
終着駅の会津若松駅へと到着したとき、辺りは既に真っ暗だった。
定刻からは4時間近く遅れたことになる。
長い、長いSLの旅は、今こうして無事終わったのだ。
各客車の出口では、乗務員たちが深々と頭を下げている。
予定よりも遥かに時間がかかってしまったことを謝ているのだ。
その前を通る乗客の反応は様々だった。
普通に、ありがとうございました、と礼を言って通り過ぎる人。
ただ黙って通り過ぎる人。
遅れたことに文句を言っていく人。
僕には、文句を言う人の気が知れなかった。
あんな極限状態の中で、あんなチャレンジをしながら、無事に終着駅まで送り届けてくれたのだ。
本当に大変なことだったに違いない。
前の乗客に怒鳴りまくられて涙目になった乗務員に、僕は笑顔でこう言った。
「あんな状況で、本当に大変だったと思います。ありがとうございました。」
その若い乗務員は、少し笑ってくれた。
そして、逆に「ありがとうございます、そういってもらえると救われます」と言ってくれた。
いや、ほんと、ありがとうだよ。
予定の倍もSLの旅をさせてくれて、あんな非日常的な特別な体験もさせてもらえて。
そんなことを思いながら、僕はクリスマスイルミネーションが飾られた薄暗い客車を後にした。
6.それから
6.1.最後の一部屋
SL X'masトレインの客車を降りると、僕はまず帰る方法を考えた。
現在最も早く動く可能性がありそうなのは、郡山へ行くはずの電車だ。
僕は、とりあえずその電車へと向かい、開いているシートに自分の荷物を置いて席を確保した。
この電車、発車するのは早くても1時間後になるらしい。
それも、1時間後に発車できるよう作業を進めているとか、けっこうあやふやなことを言っている。
発車まで時間があることだけは間違いなさそうなので、僕は先ほどまで乗っていた汽車の写真を撮りに戻った。
そこにあったのは、全身雪だらけになりながら、僕たちを最後まで運んでくれたSLの姿だった。
その様子は、雪との戦いの凄まじさを物語っているようだった。
駅のホームには、その後も様々な情報が流れたが、どれも一貫性がなかった。
先ほど座席をキープした郡山行の電車も、2時間後の予定になったり、運行の予定は立ってないと言ったり、また1時間後に運転となったりで情報が揺れ動いていた。
そうこうしている間にも、線路にはみるみる雪が降り積もり、その深さはますます深くなっていた。
この電車はあてにならないと思い、じゃあ、会津鉄道経由で東武線で、と考え始めたところに電光掲示板に新しいニュースが流れた。
雪による倒木のため会津鉄道は…。
ああ、こりゃダメだ。
どの鉄道もバスもだめだ。
そう思って振り向いた視線の先から、青い看板が飛び込んできた。
東横イン。
よし、泊まろう。
検索したら、電話番号はすぐに出た。
すぐさま僕は電話をかけた。
「今夜一人…」
宿泊は、OKだった。
僕は、電車から荷物を取り出すと、駅の外へと向かった。
その途中で、僕は一度だけ振り向いた。
そこには、雪に埋もれた電車とホーム、そして、静かに煙を吐くSLの姿があった。
駅を出ると、そこはまるで雪国だった。
駅前のロータリーには、雪に埋もれてもはや動けなさそうな乗用車が見える。
雪の間にできた切通しのような溝を抜けて、僕はホテルへと向かった。
ホテルのカウンターで、僕は無事チェックインすることが出来た。
案内されたのは、エレベーター脇の小さな部屋だった。
どうやら、最後の一部屋だったようだ。
とにかくよかった。
これで、温かい部屋で夜を越すことができる。
とてもありがたいと思った。
部屋の窓から外を見ると、
雪に埋もれ行く会津の町が見えた。
今もまた雪は容赦なく街を覆いつくそうとしている。
ここで夜を越せることに再び感謝しながら、僕は床に就いた。
6.2.閉ざされた世界
その日、会津若松の町は、完全な陸の孤島となっていた。
すべての交通機関は遮断され、だれもこの町から出ることも入ることもできなかった。
雪は朝まで降り続き、その積雪量は1mを越えた。
その雪は、後にクリスマス寒波と呼ばれる寒気のせいで、朝まで溶けることなく町全体を覆っていた。
朝起きても、そこは雪国のままだった。
いや、むしろ昨夜よりも雪は増えているようだった。
既に雪はやんでいたけど、空は白く霞み、雪は当分融けそうにもなかった。
僕は、高々と降り積もった雪の山をホテルのロビーから見上げていた。
鉄道の運行予定は見通しがつかないまま。
安全なホテルに避難はしているが、帰る見通しは全くつかなかった。
ホテルに避難していたことで、良かったことは他にもあった。
無料の朝食サービスが通常通り提供されていたことだ。
特別なものではなく、通常なら会津若松名物の食べ物を食べるために食べない選択もあるのだけど、今はこの雪で町は眠ったままだ。
それどころか、出歩くのも億劫になるような量の雪が街を覆っている。
この状態で、このサービスはとてもありがたかった。
最上階に上がると、廊下の窓からは、遥か雪を被った那須の山々が見えた。
空は徐々に晴れて、澄んだ空気の向こうへと、遠くま道路が伸びているのが見える。
そして、足元にはうず高く積もった雪の間を歩く人たちの姿。
雪が止み、遠くまで見渡せるようになったことで、却って今回の雪の物凄さをくっきりと際立だせていた。
10時少し前に、僕はホテルを出た。
帰れる当ては今もって全く不明だった。
かといって、いつまでもこのホテルにいることもできない。
道路は見る限り絶望的に見えた。
駅前に大型バスが来るとは思えなかったし、もし高速道路にはバスが走っていたとしても、そこまで行くのは非常に大変なことになりそうだった。
とりあえず、駅に行った方が現実的な情報が集まりそうだ。
ギリギリまでホテルにいた後で、駅へと向かうことにしたのだ。
実際に外へ出てみると、雪の深さが実感できた。
吹き溜まりには見上げるほどの雪が積もり、電線にはいまだ雪が付着している。足元の道も雪の上に出来ていて、溶けている場所でも凍結した路面には注意が必要だった。
駅前に伸びる通路は、うず高く積もった雪の中にけもの道のような狭い切通しの小径になっている。
駅へ向かう人たちは、誰もがそこを滑らないように慎重に歩いていた。
6.3.特急あいづ
駅の電光掲示板には、15時5分発の郡山駅行きが示されている。
これが最も早い電車のようで、他には何も示されていない。
約5時間後まで、電車はなさそうだ。
果たして今日中に帰れるのか。
かなり危ういけど、まだ時間はある。
僕は時間まで構内を見て回ることにした。
会津若松の駅は、完全に雪に埋もれていた。
その様子は想像を絶するもので、確かにしばらくは電車は動けなさそうだった。
ホームと同じ高さまで雪が積もり、電車の行く手を完全に塞いでいる。
郡山駅行きの電車の前方は、はるか先の方まで雪に埋もれ、動く気配すら感じられなかった。
郡山駅行きの隣の線路には、旧特急車両が停車している。
ヘッドマークには「あいづ」という文字が、赤地に黒い文字で描かれている。
ちょっと見ない列車だ。
その電車は中に入ることが出来たので、僕は乗り込んでみた。
特急あいづは、首都圏と喜多方を結ぶ特急や快速として運行されている列車らしい。
その車両がなぜここにいるのだろう。
乗り込んでみると、その答えがわかった。
乗っていたのは、疲れ切ったような人たちだった。
昨夜は結局JRどころか、どの交通機関も運休、付近の宿泊施設も当然満室となり、行く先を失った乗客が大量に発生した。
その訪客たちを保護するためにJRが用意した車両だった。
寝台車にも使用していた座席を、ベッド状に広げてその上に寝転んだりしている人たちもいる。
そんな彼らの中に、昨日クリスマストレインで相席だった学生風の彼の姿があった。
その彼から、昨日新潟へ向かうはずだった人たちの話を聞くことが出来た。
昨日、新潟へ向かうバスに乗るために塩川駅で下車したあと、しばらく雪の中でバスを待ったけど、結局バスは来なかったらしい。
いや、来ることができなかった、というのが本当のところだろう。
それで、彼らを迎えに来たのが、喜多方駅に停まっていた「あいづ」だった。
新潟駅へ行くことが出来なかった彼らを回収し、更に会津若松駅で路頭に迷っていた乗客たちを乗せて、この車両で夜を越えることができるように停車していたのだ。
学生風の彼もまたそのままこの列車に乗っていた一人だったのだ。
しかし、その列車での夜は過酷なものだった。
暖房は切られ、冷え切った車内にいる乗客たちに配られたのは、ホカロン1個とコンビニのおにぎり1個だけだったのだ。
彼を始めとしたほとんどの乗客は寒さで寝ることもできなかったという。
僕は幸運にもホテルに泊まることができたけど、彼らには少し申し訳ないような気分になった。
その彼からは、貴重な情報を聞くことが出来た。
彼らに対する配慮からか外部に情報は出さないけど、時刻は未定ながらこの特別列車が最初にこの駅を出ると。
僕は彼に礼を言うと、座れるところを探しに他の車両へ行ってみることにした。
幾つか車両を移動したところで、運よく開いた席を見つけることが出来た。
その窓側に座る人に許可をもらい、僕は帰りの電車の席を確保することに成功した。
6.4.家路
帰りの電車が決まったとして、まだその出発時刻は全く読めないままだった。
僕は、荷物を席に置いてカメラだけを持つと、再び駅のホームへと降りた。
特別列車「あいづ」の前方へ行ってみると、ちょうど保線作業員の方々が勢ぞろいしたところだった。
彼らは、続々と線路があるはずの場所へと降りてゆき、「あいづ」が進むはずの辺りの雪を退かし始めた。
この雪を人力で除雪してから発車…まだまだ時間はかかりそうだった。
一方で、郡山駅行きの電車前方に雪は一向に除雪される気配はない。
「あいづ」が最初に出発することは。ほぼ確実だった。
まだまだ時間がありそうなので、僕は駅の階段を上がってみた。
なにやら人だかりが出来ていて、何人かが怒声を上げている。
どうしてくれるんだ、とか、なんとかしろ、とか言っている。
その周りには、自分の声を代弁してくれている人に付いて行こうと思っているのか数十人の人が取り囲んでいる。
その中心には駅員がいるようだけど、あの状態で彼らを満足させることが出来る返事をするのは難しいだろう。
僕は辺りを見回し、少し離れたところでその様子を見守っていた年配の駅員を見つけて、そっと聞いてみた。
「クリスマストレインで昨日来たんですけど、あの電車が最初に動くのは本当ですか?」
その駅員は、僕を正面から見た後で、小さな声でこう言った。
「準備出来次第出発するので、乗って待っていた方がいいですよ」
12時24分。
何の予告もなく、特別列車「あいづ」は動き出した。
発車のベルが鳴ることもなく、雪に埋もれた駅を静かに離れた。
窓の外を雪景色が流れてゆく。
陸の孤島へと化していた会津若松の町を脱出した瞬間だった。
車内の乗客は、一様に疲れ切っていた。
皆黙り込んだまま、窓の外や天井や床を見るともなしに見ている。
写真なんて撮っているのは、周りでは僕一人だけだった。
そんな僕らを乗せて、特別列車は軽快に雪の世界を走り抜ける。
遠くに見える山はどこの山だろうか。
昨日の雪が信じられないような柔らかな日差しの中を、溶け始めた雪に反射した光を浴びて、特別列車は走り続けた。