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大阪の穴場&珍名所①

残されたもの失われていくもの(浜寺公園)

大阪屈指の名勝地だった浜寺公園

 関西の観光地といえば、京都に奈良、神戸の名が挙がりがちだが、もちろん大阪にも観光名所はある。その中には、ガイド本などではなかなか掲載してもらえない、穴場や珍名所も存在する。そんな、「知る人ぞ知る」というようなスポットを訪ねてみた。
 第1回は、「浜寺公園エリア」を紹介したい。
 浜寺公園は1873(明治6)年に開園した日本初の公営公園であり、白砂青松の名勝地とされ人気を博していた。大正時代から昭和初期にかけては料亭が置かれるほどにぎわい、また公園周辺は別荘地としてももてはやされる。堺出身の歌人、与謝野晶子が夫となる与謝野鉄幹と親しくなったのも、浜寺公園で開かれた歌会だとされる。
 海水浴場も開かれ、大阪のみならず関西一円から海水浴客が訪れるほどの人気。そんな観光客の奪い合いで阪和電鉄(現JR阪和線)と南海電鉄がバトルを繰り広げたというエピソードも残っている。

ギャラリーとして活用されている旧駅舎

 阪和VS南海の集客争いが行なわれたのは、現在の羽衣駅と東羽衣駅付近。今回訪ねたのは、ひとつ隣の浜寺公園駅だ。浜寺公園では路線の高架工事が進められていて、旧駅舎は役目を終えている。しかし、1907(明治40)年に建てられた旧駅舎は国の登録有形文化財に登録されていることもあってか、いまはギャラリーなどとして活用されている。

浜寺公園駅旧駅舎

 左右対称の洋館づくりで、アール状の梁と特徴のある柱、赤い屋根が印象的である。
 浜寺公園駅から少し歩くと阪堺電気軌道(阪堺電車)の浜寺駅前駅に到着。

阪堺電気軌道浜寺駅前駅

 この駅も移転が計画されていて、駅舎も現在とは異なるものになるかもしれない。切妻屋根のレトロな姿が見られるのは、あとわずかなのだ。
 たずねた日、駅には新旧の車両が停車していた。1台は2013(平成25)年デビューの「堺トラム」。もう1台は1928(昭和3)年に投入された、現役最古とされるモ161型162号だ。

堺トラム
モ161型162号

 モ161型は162号をふくめて4両が現役。ただし、冷房設備がないため運行は秋から春に限られている。運用本数も少なく、その姿を拝められるのはまれなのだ。なお、浜寺公園内にある交通遊園には、大阪市交通局から譲り受けた1929(昭和4)年製造の1601型130号が展示されている。

浜寺公園交通遊園内に展示されている1601型130号

 この交通遊園には浜寺公園内を走る子供汽車やゴーカートが設備され、とくにゴーカートは坂やカーブがある760メートルのハイウェイコースを運転する本格派。交通遊園がオープンした1965(昭和40)年から設けられているので、子どものときに乗った経験のある人も多いだろう。

坂を駆け上がるゴーカート
交通遊園の入り口にある子供汽車の駅と南海特急ラピートの実物大モックアップ
子供汽車の「浪花号」

残された砂浜と取り壊されるかもしれない待合室

 そんな名勝地の浜寺公園だったが、泉北臨海工業地帯の埋め立て造成のため、砂浜はなくなり海水浴場も閉鎖となる。かつての海岸線は、浜寺水道という内海で残されているだけだ。

浜寺公園から見た浜寺水道。向こう側に見えるのが泉北臨海工業地帯のコンビナート


 ただ、海岸線が遠のいても、浜寺水道の南側には高石漁港がある。


高石漁港に停泊する漁船

 そして、漁港の端には小さな砂浜が残されているのだ。

漁港の北端にある砂浜


 もしも自然の砂浜であれば、大阪湾岸に残された貴重な場所であることには違いない。
 浜寺公園と高石漁港をめぐって、ふたたび浜寺公園駅へ。工事は着々と進められ、現在のホームが廃止になるのも近々だろう。ただ、旧駅舎は残されたとしても、失われるのが惜しい施設もある。それは下りホームの待合室だ。

浜寺公園駅下りホームの待合室外観
待合室の中の様子


 木製の扉と柱、窓枠、腰板に囲まれ、ベンチも木製。意匠を凝らしたつくりは、ほのぼのとした風情が感じられる。夜になると灯されるやわらかで温かく、暖色の明かりでホームに浮かぶ姿は、ノスタルジー感に満ちている。
 駅舎と違って文化財に登録もされていないはずなので、線路が高架になれば待合室も取り壊されるのだろう。独特の雰囲気を感じ取れる期間は、そう長くない。

本記事に関するお問い合わせ先
info@take-o.net


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