垂れ流し日記
皆さま、お元気ですか?早いもので五月も半分を切り、なんでも五月病のせいにできるボーナスタイムの終了が近づいて参りましたが、次の他責対象は見つかりましたか?心身ともに、健やかにお過ごしでしょうか?
なんだか社会の会社に送る、気の利いたこと言おうとして失敗してるタイプの時候の挨拶みたいになっちゃったあ。こんな添え状書いたら書類選考で落とされるか、変人記念物として保護されるかの二つに一つしかないだろうな。誰か保護してくれませんか?何もできないし力なく笑うか踊ることしかできないけど..…
☆崇拝症候群
好きなクリエイター・コンテンツ・人間に対してすぐ崇拝してしまう病気をやめたい。惚れっぽいとか愛や恋だとかそういう類の熱病ではなく、なんにもない自分を、ここではないどこか楽しい場所に連れて行ってくれる対象として一方通行な「希望」を持ってしまうので、非常にタチが悪い。「ここから出してくれるのなら何でもする!」と叫び喚く囚人のような、「終」の精神状態になってしまっている。
話は変わって。
皆さんは、人が脱糞するところを見たことがありますか?僕はあります。
天気のいい晴れた日だった。
僕が早朝の散歩ついでにウォーキングとしけこんでいると、買い物袋を持った一人の老婆が、ちょうどこちらに背を向ける格好でしゃがみこんでいた。
コンビニ前にたむろする不良少年でもあるまいし、一体、何をしているのだろう。
ボケてそうだしあまり関わらない方がいいかな…と思いつつも、何故か気になってしまい見ていると、老婆は韋駄天のような早さで、突然下半身を露出した。
まずい!見てはいけない。
しかし、時すでに遅く、老婆は脱糞していた。
社会通念上の良識や衛生観念を嘲笑するかのように、脱糞していた。
いつしか老婆は去り、そこには彼女自身の分身ー
「うんこ」だけが残され、僕はただただ立ち尽くす事しかできないのだった..…
一方的な崇拝は暗く、イヤなものだ。目の前で見せられるうんこもまた、臭くイヤなものである。熱狂的な教信者になることもまた楽しいが、数十年後には教祖が路上でうんこをする人間になっているかもしれない。いや、自分自身が路上でうんこをしているかもしれない。
長々と書いたが、僕は路上でうんこをすることについて悪いと言っているのではなく、路上でうんこをするという行為について自分自身で了解して納得できれば、落としどころをつけられればそれはそれでいいと思っています。
脱糞された土にも、いつか花は咲くから━
「先輩の中身のない噴飯物の文章よりは、おばあさんの脱糞の方が有益だと思いますよ。いえ、あえて言うなら脱糞物ですかね」
はい、僕はうんこ野郎です..…
おわり