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なぜ、都市の魅力度を高めるのか。

昨今、国内外問わず都市間競争が活発化している。

人口、GDP、公共交通アクセシビリティ、居住幸福度、、
様々な指標を用いて、「我が都市の方が魅力があるぞ」と言わんばかりに行政はもちろん、そうした主張を(特にSNS上で)個人間で行うなど、とにかく都市間競争的発言を見かける機会が多いように感じる。

しかし、そうした中でふと、「なぜ都市の魅力を向上させる必要があるのだろうか?」と考えたことがある。
今回は、都市の魅力を向上させる必要性、ひいては都市間競争の必要性について、一度考えてみたい。

都市の魅力度向上のねらい

都市を取り巻く社会問題は最近に始まったことではない。
少子高齢化、若者の人口流出、人材の不足、、
こうした問題は大阪や名古屋、福岡といった大都市でも例外ではなく、実際に(実生活にまでは及ぼしていないとしても)都市に影響を及ぼしているのは事実である。これがより地方の都市となれば、深刻だ。

そして、こうした社会問題は、言及され始めて久しいところではあるが、未だ抜本的な解決策が提言されているわけではない。
(もちろん、これらが一朝一夕で解決できるわけもなく、長期的な対応が必要なのは明らかではあるが。)
では、「都市の魅力度」という魔法は、前述したような社会課題にどのような効果を与えるのだろうか。

私が考えるものは以下の3つ。
○都市の魅力度を高める行為は、社会において新しい価値の創造、空間の形成、産業の発展などに寄与し、都市(=地域)の持続可能性を高める。
○少子高齢化社会においては、若い世代に魅力的に映る都市像を創ることで、都市内では持続的に若者が暮らし、経済や産業を維持する。
○社会インフラを維持する上では、人口だけでなく企業が立地していることも都市にとって重要で、いかなる世代にとっても魅力ある都市を実現することで、持続的な社会活動を維持する。

ここで、私は3つ全てに「持続(可能)性」というワードを入れた。意図せず。
そう、ここで言いたいのは、『持続可能な社会を実現させるためには、常に都市の新陳代謝を維持し、魅力的な都市空間の創出を継続する必要がある」ということである。

「社会有機体説」という考え方

19世紀、コントー(フランス)とスペンサー(イギリス)の二人によって提言された論ぜつに、「社会有機体説」というものがある。
私はこの論ぜつが思想の根底となっているのだが、これを簡単に表すと、「社会を生き物として捉え、常に生命維持活動をしなければいつかは死ぬ」というものである。

これに基づいて都市を、ひいては社会を俯瞰してみると、経済活動が衰えた都市と活発な都市は、目に見えてはっきりと分かるものである。
具体的にどの都市が、と明言することは、差別的な言動を煽動することにつながるおそれがあるため避けるが、経済活動に乏しい都市においては、市民や行政が行末を不安視することは容易に想像できよう。

そのような都市に、果たして人は住みたいだろうか。

多くの人は、なるべく活気に溢れ、自分の営みを確保できる(見通せる)場所で暮らしたいと考えるだろう。
もちろん中にはそれに相反し、山奥に居住する選択をする者もいるが、そうした人にもちゃんと「ありたい営み」という軸があり、それに合致する環境を選択しているのである。(それが少数派であることは残念ながら事実だが)

話がやや脱線したが、都市が永続的に維持されるためには、都市を『選んでもらわなければ』ならないのである。

都市が生き残るためには、生命維持活動を続けなければならない。
そのためには、適切に「選択と集中」をし、高い密度で世代の偏りがない社会で経済活動を続ける環境でなければならない。
思い出したようにここで言及するが、『都市の魅力度』とは、そうした社会を実現するために必要な要素の一つであることは間違いないだろう。

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