撮り続ける理由
雨。
そんな時は自分は何で撮り続けているのだろう?とふと思うことがある。
たぶん単純に楽しいから。何が楽しいのか。それは撮影している間の体験や感覚。
被写体を見つけた瞬間。
そしてシャッターを切った瞬間。
撮れたと感じた瞬間。
これが不思議と心地良い。
しかし、もやもやすることもある。
何がもやもやするのか。
もやもやする時は自分の中で、何かもがきはじめた時なのだろうと思っている。
それを言葉にすると、自分の中での次のステップ、といったような。そんな感覚。
最近、筆をもって絵を描くことも考えたりした。
ボタニカルアートを見た時に自分のテーマに近いものを感じ、写真に活かせるのでは?と。
しかし何かが違ったのだろう。面倒だと感じてしまった。
面倒なのは絵の具を用意したり、それを洗ったりといった道具に対しての手間なのではないか。
ということで、鉛筆でデッサンはどうかと考えた。
デッサンは絵の基本であり、対象を観察するということで学べることが多いはず。何より道具も絵の具よりはシンプルなはずだ。
と思ってデッサンの本などを買って準備してみるものの、やはり何かが違ったのだろう。腰が重く、実行していない。
道具が面倒という意味では、SIGMA dp3 Quattroは、恐らく面倒な道具のはずだ。それなのに、これで撮り続けている。これで撮りたいから撮っている。これが生み出す写真だから撮っている。
もやもやしても今のところここは変わらない。きっと絵を描きたいのではなく、写真を撮りたいのだろう。
とすると、何か写真における表現手法なのか。
ここの答えはまだ見つかっていない。
だから、撮り続けているのかもしれない。