分子と細胞の世界をのぞいてみよう!:理化学研究所 大阪地区 一般公開2019から学んだこと その01
詳細はPDFファイル「分子と細胞の世界をのぞいてみよう!」を参照してください。
2019年11月23日、私は理化学研究所 大阪地区(以下大阪地区)を訪れ、一般客として理化学研究所大阪地区一般公開2019(以下同一般公開)に参加した(1)。
生命機能科学研究センター(以下同センター)細胞動態計測研究チーム(以下同チーム,2)は1分子イメージングやナノ操作技術を開発し、かつ、これらの技術を使って、生物分子モーターが働く仕組みを研究してきた。また、これらの分子モーターが熱ノイズを遮断せず、それを巧みに使って柔軟に働いていることを明らかにした。
そして、同チームは、さらに細胞の情報処理やヒト脳の視覚認知においてもノイズ(ゆらぎ)が利用されていることを明らかにした。この「ゆらぎ」を利用する生物特有のメカニズムは複雑で超大自由度の生命システムを桁違いの省エネルギーで安定に制御することに使っているらしいことも分かった。
同チームは現在ロボットや情報分野の研究者と共同で、この「ゆらぎ」制御の仕組みで、複雑なロボットやインターネットなどの情報ネットワークが実際制御可能かどうかの証明も試みている。
こうした生命システムが、いかに複雑さ(超大自由度)から単純さ(小自由度)を引き出し、その単純さの中で環境や状況変化に柔軟に対応して制御されているかを「ゆらぎ」をベースに明らかにしたいと考えている。
同チームの研究テーマは、メカノバイオロジー、心臓のシステム生物物理、超解像イメージング、および、ゲノム構造の揺らぎである。
なお、心臓のシステム生物物理の応用例は、心臓動態の予測性能向上と病態メカニズムの解明である(図01)。実際、同センター同チームらによる共同研究チームは筋収縮の機能単位であるサルコメア構造の一部となる分子ナノシステムを設計し、収縮中のモーター分子の動態を世界最高の解像度で直視することに成功した。本研究成果は、直接的にモーター分子の機能を制御する低分子化合物の効果の精密分析を可能にし、新たな心不全治療薬の開発に貢献すると期待される(3)。
図01.細胞動態計測研究グループ(細胞動態計測研究チームの旧称)。
同一般公開で、同チームによる「5.分子と細胞の世界をのぞいてみよう!」(以下同ブース,4)は細胞検体、アメーバ(細胞性粘菌)の生活様式の動画、筋肉が動く分子の仕組み、および、実験に使う装置を紹介した(図02)。
図02.分子と細胞の世界をのぞいてみよう!。
同ブースでHeLa細胞株が展示された(図03)。1951年、Henrietta Lacks(ヘンリエッタ・ラックス、以下敬称略)から採取された子宮頸がん細胞から、George Gey(ジョージ・ゲイ)がこの細胞株を樹立した。これは、研究室で増殖させることができた最初のヒト細胞株でもある。
HeLa細胞を用いて報告された論文の数は、これまでに6万報以上にも及ぶ。古くは1950年代のポリオワクチンの開発から、ごく最近ではENCODEという国際的ゲノム研究まで、幅広く、また長い間、科学研究に貢献してきた。
しかし、上記の子宮頸がん細胞の採取は、彼女やその家族から承諾を得るどころか一言も知らせずに行われた(5のp.186,6,7)。
図03.HeLa細胞 200倍。
ポリメラーゼ連鎖反応(Polymerase Chain Reaction:PCR)装置 ライフ エコ ver2.0が展示された(図04,8)。
図04. PCR装置 ライフ エコ ver2.0。
PCRは耐熱性デオキシリボ核酸(deoxyribonucleic acid:DNA)ポリメラーゼによって生物由来の試料中の微量なDNAを増幅し、目的DNA断片の有無の確認や定量などが行える技術である(9のp.122-126)。
1983年04月、Cetus(シータス)社のKary Mullis(キャリー・マリス)はPCRを研究ツールとして開発した。1993年、Mullisはこの発明によりノーベル化学賞を受賞した(10,11)。
この技術は応用範囲が広く、分子生物学の研究以外にも様々な領域で利用されている。但し新型コロナウイルス感染症(coronavirus disease 2019:COVID-19)診断検査に関しては、検体採取や検体保存の条件などで偽陽性(本当はCOVID-19ではないが、陽性を示す)や偽陰性(本当はCOVID-19であるが、陰性を示す)を示す可能性がある。この比率は不明だが、PCR検査の感度(COVID-19で、PCR検査が陽性となる比率)は現時点では高くて70%程度と考えられている。それ故、慎重に検査結果を判断する必要がある(PCR法で陰性でも、COVID-19でないとは断言できないことがある)(12)。
DNAの電気泳動装置Mupid®-exU(図05,13)とタンパク質の電気泳動装置(図06)も展示された。
図05.DNAの電気泳動装置Mupid®-exU。
図06.タンパク質のドデシル硫酸ナトリウム(SDS)-ポリアクリルアミドゲル電気泳動(SDS-PAGE)装置。
電気泳動は、電気をかけることで、DNAやタンパク質が「ゲル」と言う細かい網目状の担体の中を移動する現象である。
DNA分子の表面には、リン酸由来の多くのマイナス電荷が存在する。従って、DNA溶液に電流を流すことで、DNAはマイナスからプラスへ移動する。ここで、DNA溶液をゲルで固める。DNA分子は細長い分子なので、こうした細かい網目で仕切ると、電気をかけても移動しにくくなる。しかし、完全に塞がれていないので、少しずつは移動できる。この時、長いDNAよりも短いDNAの方が移動しやすくなる。これがDNAの電気泳動の本髄である。つまり、DNAをゲル(主にアガロースゲル)の中で電気泳動に掛けることで、その塩基配列の長さに応じて分離できる。短いDNAは長い距離を移動でき、長いものは短い距離しか移動できない(9のp.87-89)。
一方、タンパク質は通常は複雑に折り畳まれているが、実際は20種類のアミノ酸が長く繋がった分子である。この20種類のアミノ酸にはマイナスの電荷を帯びたもの、プラスの電荷を帯びたもの、または、電荷がないものがあり、タンパク質の種類によって、そのタンパク質分子全体の電荷の程度(プラスとマイナスの電荷の拮抗により電気的中性を示す、マイナスよりの電荷を示す、または、プラスよりの電荷を示す)が異なる。
この電荷の性質を利用することでタンパク質を分離できることが、その電気泳動の大きな特徴である。DNAの電気泳動と異なり、タンパク質のそれはやや複雑で、目的に応じた様々な種類のものが存在する。
主なものが、SDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動(SDS-PAGE)、等電点電気泳動、および、二次元電気泳動である(9のp.89-91)。
1.ドデシル硫酸ナトリウム(sodium dodecyl sulfate:SDS)-ポリアクリルアミドゲル電気泳動(poly-acrylamide gel electrophoresis:PAGE)(SDS-PAGE,図06)
タンパク質は通常三次元構造を呈しているので、そのままでは構成アミノ酸の数を指標にした大きさ(分子量)による分離が難しい。そこで、界面活性剤であるSDS(マイナス電荷を帯びている)を添加し、更に還元剤を添加してタンパク質分子内のジスルフィド結合を切断することで、タンパク質のポリペプチド鎖をある程度引き伸ばす。その結果、タンパク質分子の中のプラス電荷を帯びたアミノ酸残基はSDSのマイナス電荷により完全に相殺される。つまり、タンパク質分子は還元剤により引き伸ばされ、マイナス電荷に覆い尽くされる。
ここに電気を通すと、タンパク質はマイナス極側からプラス極側に移動する。この時、網目状に重合したポリアクリルアミドゲル内を移動すると、分子量が小さいものは早く移動し、分子量が大きいものは網目に引っかかりやすくなるため移動しにくい。それ故、最終的にはそれぞれのタンパク質の大きさによって、ゲル内でタンパク質が分離される。
この方法は世界中で多用されているタンパク質の分子量解析手法の1つである。
2.等電点電気泳動
タンパク質分子は20種類のアミノ酸から成り、アミノ酸にはプラスに荷電しているものもあれば、マイナスに荷電しているものもある。それゆえ、タンパク質分子が溶けている溶液のpHによって、タンパク質分子全体がプラスやマイナスの電荷を帯びることがある。このタンパク質全体の電荷が0になるときのpHが等電点で、それぞれのタンパク質で異なる(しかし、同じになるときもある)。等電点を基準にして分離する電気泳動が、等電点電気泳動である。
細長い管や板状のゲルの中にpH勾配を作ったゲルを仕込み、タンパク質を電気泳動することで、タンパク質はその等電点と同じpHのところまで泳動されるので、等電点によってタンパク質を分けることができる。
3.二次元電気泳動
SDS-PAGEや等電点電気泳動は一方向にタンパク質を流すだけだが、これに加えて、更にもう一方向にタンパク質を流して、より詳細にタンパク質を解析する電気泳動が、二次元電気泳動である。
二次元電気泳動では、必ず最初に等電点電気泳動を行って、タンパク質を等電点に応じて分離する。次に、分離したタンパク質にSDSを添加(SDSで平衡化)してから、二次元目にSDS-PAGEを行う。これにより、1枚のゲル板上で1,800種類以上のタンパク質を分離できる。
同チームによる同ブースから、私は同チームによる最新研究を学ぶだけでなく、大学・大学院生修士課程時代を振り返ることができた(なお、私は農学修士で、専攻は微生物科学である)。1990年代の私は発達障害者ゆえ出来が悪い学生であった(なお、発達障害は近年になってようやくわかった)。しかしそれでも、いやだからこそ、大学や大学院で学んだことは、こうした記事を書くための血肉になっている。この件に関しては、私は母校の大学・大学院に感謝している。
参考文献
1 国立研究開発法人 理化学研究所 大阪地区.“大阪地区一般公開2019 開催報告”.理化学研究所 大阪地区 ホームページ.お知らせ.2019年12月25日.https://osaka.riken.jp/open2019/report.html,(参照2020年08月28日).
2 国立研究開発法人 理化学研究所 生命機能科学研究センター.“細胞動態計測研究チーム”.理化学研究所 生命機能科学研究センター ホームページ.研究室・施設.研究室.http://www.bdr.riken.jp/jp/research/labs/yanagida-t-dynamics/index.html,(参照2020年08月28日).
3 国立研究開発法人 理化学研究所.“分子ナノシステムの設計から筋収縮の原理を解明-心筋症における精密医療への応用に期待-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2019.2019年11月27日.https://www.riken.jp/press/2019/20191127_1/index.html,(参照2020年08月28日).
4 国立研究開発法人 理化学研究所 大阪地区.“一般公開へのお誘い”.理化学研究所 大阪地区 ホームページ.お知らせ.2019年11月11日.https://osaka.riken.jp/open2019/index.html,(参照2020年08月28日).
5 クリフォード・ピックオーバー 著,板谷史 翻訳,樺信介 翻訳.ビジュアル 医学全史:魔術師からロボット手術まで.第1刷,株式会社 岩波書店,2020年01月24日,270 p.
6 ネイチャー・ジャパン株式会社.“HeLa細胞のゲノムはエラーだらけ!”.nature asia ホームページ.Natureダイジェスト.Vol. 10 No. 6.News.https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v10/n6/HeLa%E7%B4%B0%E8%83%9E%E3%81%AE%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%A0%E3%81%AF%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A0%E3%82%89%E3%81%91%EF%BC%81/44600,(参照2020年08月28日).
7 ネイチャー・ジャパン株式会社.“HeLa細胞株をめぐる和解への道”.nature asia ホームページ.Natureダイジェスト.Vol. 10 No. 11.News.https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v10/n11/HeLa%E7%B4%B0%E8%83%9E%E6%A0%AA%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E5%92%8C%E8%A7%A3%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93/48339,(参照2020年08月28日).
8 日本ジェネティクス株式会社.“ライフ エコ ver2.0”.日本ジェネティクス トップページ.機器.PCR装置.96well固定ブロック.https://www.n-genetics.com/products/search/detail.html?product_id=4623,(参照2020年08月29日).
9 武村政春 編著,杉村和人 著,園田雅俊 著,村雲芳樹 著.これからはじめる人のためのバイオ実験基本ガイド.第6刷,株式会社 講談社,2018年07月18日,224 p.
10 メルク株式会社.“PCRとRT-PCRの基本原理”.サイエンス系お役立ちメディア M-hub トップページ.生物学.2018年11月14日.https://m-hub.jp/biology/1898/105,(参照2020年08月30日).
11 サーモフィッシャーサイエンティフィック株式会社.“PCRの基礎知識”.Thermo Fisher Scientific ホームページ.ライフサイエンス.クローニング.Molecular Biology Education.PCR 教室.PCR試薬と酵素の基礎知識.https://www.thermofisher.com/jp/ja/home/life-science/cloning/cloning-learning-center/invitrogen-school-of-molecular-biology/pcr-education/pcr-reagents-enzymes/pcr-basics.html,(参照2020年08月30日).
12 国立大学法人 東京大学 保険・健康推進本部 保健センター.“II-3) 検査”.東京大学 保険・健康推進本部 保健センター トップページ.Q&A・その他.健康情報.新型コロナウイルス感染症について.新型コロナウイルス感染症への対応〔学内向け情報提供〕.〔まとめ〕新型コロナウイルス感染症とは(2020年07月17日改訂).II 新型コロナウイルス感染症について.2020年07月17日.http://www.hc.u-tokyo.ac.jp/covid-19/tests/,(参照2020年08月30日).
13 タカラバイオ株式会社.“Mupid®-exU”.Clontech TaKaRa cellartis トップページ.製品情報.装置・ソフトウェア.電気泳動装置.https://catalog.takara-bio.co.jp/product/basic_info.php?unitid=U100004629,(参照2020年08月30日).