ネズラ1964
『ネズラ1964』(以下『1964』)では『大群獣ネズラ』(以下『大群獣』)のスタッフやキャストなどは仮名で表記されているが、分かりやすく説明するために、敢えて実名で表記する。
『1964』は、『大群獣』の再現された撮影秘話にして、追悼作である…。
実際、主なシーンを敢えてモノクロで撮影したためか、1963~4年の空気が感じられる。
『1964』を見て、私は矛盾した感情を抱いた。それは、「スタッフは無茶しやがって…。」と「『大群獣』が観たかった…。」である。
『大群獣』で、後にネズラと言われるネズミが宇宙食「S602」を食べたことで、突然変異して巨大化したことに時代を感じる。当時のSF映画の設定は結構いい加減だったからね。
『大群獣』で生きたネズミをそのまま使用する手法は国内外の怪獣映画で当時としても斬新なもので、低予算でかつリアルな映像を製作できる画期的な手法と思われた。
しかし、ネズミは生き物なので、スタッフの指示通りには動かない。それに、ノミ、ダニ、シラミなどの大量発生がスタッフを悩ませたわけだし。
その上、撮影所やネズミを募集した大映系映画館の近隣住民からの苦情も殺到し、かつ、保健所から警告が届いた果てに組合問題にまで発展して撮影の続行が不可能となったため、制作は400フィート撮影されたところで中止されたわけだし。
何せ、1964年東京オリンピック(以下同大会)が控えていたからね。同大会の開催の都合上、映画の撮影のためとはいえ、ネズミを飼育した結果、ペストや腎症候性出血熱が流行したら、日本の立場が危うくなっただろうし。ちなみに、「梅田熱」として1960年代初めに大阪市梅田地域で多数の腎症候性出血熱患者が発生した(1)。
それに、当時は娯楽としての映画が衰退する一方で、テレビが娯楽の主流になった時代だし。『ウルトラQ』はこうした背景の下で作られたことがよくわかる。
1960年代は、英語が話せることが社会的地位の高さを示していたからね。
永田雅一(以下敬称略)はネズミの焼却処分時に、マンモスネズラの幻影を見たわけである。その幻影の正体は永田の無念か、それとも、ネズミの怨念か?なお、焼却処分時にマッチが使用されたことに、時代を感じる。
1964年01月03日、永田らはねずみ花火から、『ガメラ』の着想を得たわけである(実際は、飛行機から見下ろした島の形に由来)。
主題歌「ネズラマーチ」は昔ながらの怪獣ソングに聞こえるが、ネズラは共食いを行うことを示している…。一方、エンディング・テーマ「大群獣ネズラ」はネズラを美化しすぎだろう…。
クラウドファンディング支援者リストに、米たにヨシトモ、小林誠、および、矢吹健太朗が載っていたことには驚いた。
参考文献
1 公益社団法人 東京都獣医師会.“腎症候性出血熱”.東京都獣医師会 ホームページ.人と動物の共通感染症ガイダンス.動物種による分類.げっ歯類の感染症.https://tvma.or.jp/activities/guidance/infections/hemorrhagicfeverwithrenalsyndrome/,(参照2021年03月02日).
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