見出し画像

「庵野秀明展」鑑賞記02:第2章 夢中、或いは我儘

本記事は『「庵野秀明展」鑑賞記01:第1章 原点、或いは呪縛』の続編である。

2022年05月04日、私は「庵野秀明展」(以下同展、あべのハルカス美術館にて、2022年04月16日~6月19日に開催)に一般客として参加した。

同展「第2章 夢中、或いは我儘」(図02.01)では、庵野秀明(以下敬称略)がアマチュア時代に制作した作品群とプロフェッショナル アニメーター/監督などとして制作に関わった作品群が紹介された。

図02.01.「第2章 夢中、或いは我儘」。

庵野は山口県立宇部高校在籍時に『ナカムライダー』(1978)を制作・発表したが、そのスチール アニメ用素材などが公開された(図02.02,[1])。

図02.02.『ナカムライダー』スチール アニメ用素材(1978)。

庵野が大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)在籍時に制作した自主制作作品『ウルトラマン』(1980)のアイディア メモ類が展示された(図02.03,[2])。

図02.03.自主制作作品『ウルトラマン』(1980)のアイディア メモ類。

DAICON FILM制作『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』(1983)はクリエイターとしての庵野の「原点」だが、その関連物品が展示された(図02.04~06,2,[3])。  

図02.04.DAICON FILM版『帰ってきたウルトラマン』カラータイマー(一部)。
庵野がウルトラマンを演じた。
図02.05.上から、DAICON FILM版『帰ってきたウルトラマン』マットアロー1号 Mk.VIIIユニット 1/24スケール ミニチュア(紙製)とマットアロー1号 1/48スケール ミニチュア(紙製)。
図02.06.DAICON FILM版『帰ってきたウルトラマン』 画コンテ。

1981年08月22日〜23日、森之宮ピロティホール(大阪府大阪市)で、第20回日本SF大会(愛称「DAICON III(ダイコン・スリー)」)が開催されたが、そのオープニング アニメ(以下、オープニング3)を庵野、赤井孝美、および、山賀博之が中心人物として制作した(図02.07~09,2,[4],[5])。オープニング3で、庵野はエフェクト アニメの分野で卓越した技量を見せた。なお、オープニング3は約5分間の8ミリ フィルム ショート アニメである。

オープニング3は質の高さゆえ、DAICON IIIの会期中に何回も上映された。また、創刊間もないアニメ専門誌などでも大きく紹介されることで、全国的に注目を集めた。

図02.07.「DAICON III」オープニング アニメの衝撃。
図02.08.DAICON III オープニング アニメーション(1981)。
図02.09.『DAICON III オープニング アニメーション』原画兼動画、および、セル画。
1981 庵野秀明、赤井孝美。

DAICON IIIで、スタジオぬえの河森正治はオープニング3を観て、庵野を『超時空要塞マクロス』(1982)のアニメーターとして、勧誘した。後日、庵野は河森の紹介でアニメーターの板野一郎と出会った。そして、庵野は『超時空要塞マクロス』事実上のプロデビューを果たした。

その一方で、オープニング3に関わったメンバーはアマチュアフィルムメーカーのDAICON FILMを結成した([6])。

1983年08月20日〜21日、大阪厚生年金会館(大阪府大阪市)で、第22回日本SF大会(愛称「DAICON IV(ダイコン・フォー)」)が開催されたが、そのオープニング アニメ(以下オープニング4)を庵野らは前田真宏と貞本義行、ならびに、プロのアニメーターである板野一郎と平野俊弘らと共に制作した。なお、品質において、オープニング4はオープニング3と比較して、飛躍的に向上した(図02.10)。

やがて、DAICON FILMのメンバーが、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年03月14日に劇場公開)を制作する事になり、1984年12月24日、GAINAXが設立された(図02.11,2,4,6,[7],[8])。

図02.10.『DAICON IV オープニング アニメーション』 企画書、画コンテ、および、セル画。
1983 庵野秀明、平野俊弘、貞本義行。
図02.11.『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987)のポスター群。

一方、庵野は『超時空要塞マクロス』に参加後、宮崎駿の下を訪問し、『風の谷のナウシカ』への参加を志願した。そして、庵野は宮崎に認められ、『風の谷のナウシカ』での巨神兵関連シーンを任せられた。溶解しかかった巨神兵がビームで王蟲の集団を薙ぎ払うシーンは、作品中のクライマックスのアクションとして称賛を受けた(図02.12,[9])。

図02.12.巨神兵『風の谷のナウシカ』(1984)の原画。

その後、庵野は『トップをねらえ!』(1988-1989)の監督(図02.13)、『ふしぎの海のナディア』(1990-1991)の総監督(図02.14,02.15)、そして、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-1996)の監督(図02.16)として、活躍した([10])。

図02.13.『トップをねらえ!』(1988-1989)のポスター群。
図02.14.『ふしぎの海のナディア』(1990-1991)のAR台本。
図02.15.『ふしぎの海のナディア』(1990-1991)の成功。
向かって左から、解説と庵野によるナディアのイラスト。
図02.16.『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-1996)のタイポグラフィ。

個人的には、庵野が特撮監督を務めた『愛國戰隊 大日本』(1982年公開、以下『大日本』)関連のものが観たかった。しかし、『大日本』は『スーパー戦隊シリーズ』の作品群と当時の冷戦下におけるソ連脅威論を下地にしたパロディ作品ゆえ、展示・公開されなかったことは当然か(笑)。

また、オープニング3とオープニング4関連文献の検索だけでなく、記事の纏めにも苦労したことも書き添える。



参考文献

[1] 株式会社 ムービーウォーカー.“庵野秀明が自身のキャリアを振り返る!【アマチュア編】高校時代~DAICONを語るトークショー濃密レポートPart1”.MOVIE WALKER PRESS トップページ.映画ニュース・読みもの.2014年10月25日.https://moviewalker.jp/news/article/51718/,(参照2022年06月13日).

[2] 株式会社 ムービーウォーカー.“庵野秀明が自身のキャリアを振り返る!【アマチュア編】高校時代~DAICONを語るトークショー濃密レポートPart2”.MOVIE WALKER PRESS トップページ.映画ニュース・読みもの.2014年10月25日.https://moviewalker.jp/news/article/51741/,(参照2022年06月13日).

[3] 株式会社 エイガ・ドット・コム.“庵野秀明監督の大特集スタート「恥ずかしい。帰りたい」も原点再確認し誇らしげ”.映画.com ホームページ.映画ニュース.2014年10月24日.https://eiga.com/news/20141024/29/,(参照2022年06月14日).

[4] 日本SFファングループ連合会議.“SF大会リスト”.日本SFファングループ連合会議 トップページ.日本SF大会について.2020年02月19日.http://www.sf-fan.gr.jp/jsfcon/list.html,(参照2022年06月17日).

[5] 株式会社 ガイナックス.“第6回「正式立候補」「ダイコン3開催決定」「庵野、山賀、赤井との出会い」”.GAINAX NET ホームページ.のーてんき通信.2014年09月02日.http://www.gainax.co.jp/wp/archives/daicon3-memory_06/,(参照2022年06月17日).

[6] スタジオ雄.“第158回 『DAICON IV OPENING ANIMATION』”.WEB アニメスタイル トップページ.column.アニメ様365日.2009年07月01日.http://www.style.fm/as/05_column/365/365_158.shtml,(参照2022年06月22日).

[7] 株式会社 ガイナックス.“第8回「オープニングアニメ(後編)」「ダイコン3」「祭のあと」”.GAINAX NET ホームページ.のーてんき通信.2014年09月30日.http://www.gainax.co.jp/wp/archives/daicon3-memory_08/,(参照2022年06月22日).

[8] 株式会社 ガイナックス.“会社概要”.GAINAX NET ホームページ.会社案内.http://www.gainax.co.jp/wp/company/outline/,(参照2022年06月23日).

[9] 「庵野秀明展」での「風の谷のナウシカ」(1984)の解説

[10] 株式会社 カラー.“仕事履歴”.カラー ホームページ.庵野秀明公式ウェブ.https://www.khara.co.jp/hideakianno/works/,(参照2022年06月25日).

いいなと思ったら応援しよう!